2009年11月21日

メタ認知や抽象的思考ができない人が心がけ実践すべき3つの事柄

自分で物事を考えて答えを出すということができない人というのがいる。「思考停止」なんて言葉もあるけど、そういう人たちにとって「停止」は動いていた状態からの変化を示す"stop"ではなく、そもそものはじめから思考がスタートしていない場合が多く、最初から思考が働いていない。

そうした人たちに共通するのは、メタ認知ができないこと、抽象的な思考を苦手とすることだとだと思います。見たまんまのことしか考えられない。だから、手法を扱えないし、戦略的な話ができない。

そうした人びとは、抽象的な記述や理論的な話題に対する想像力が著しく欠けていて、それが世界の記述であることをイメージできずに、すぐに「具体的な事例がないとわからない」という。それが自分のメタ認知や抽象的思考力の欠如からくる想像力のなさに由来することを考えもせずに、話者や論者の語り方・記述の仕方に問題があるかのように非難しがちです。もちろん、そんな風に相手のせいにばかりしているから、いつまでたってもメタ認知や抽象的思考力は育ってきません。

つまり、図式化して表現すれば、下図のようになります。



ある事象A、B、Cがあった時に、とりあえず、それぞれの事象に対する思考A'、B'、C'くらいなら生み出せる。これはほとんど反射神経的なものですから、これができないという人はいない。

ところが、その思考A'、B'、C'を比較して、思考A'とB'の共通点から抽象的思考としての思考Dを取り出したり、思考A'とC'の相違点から思考Eを取り出したりということができない。そうした人びとにとって思考の対象となるのはあくまで目の前に事象(A、B、C)はある時に限られるのかもしれません。自分自身の思考であるA'、B'、C'を、思考の対象として扱い、思考DやEを導き出すことはとにかく苦手です。もちろん、その思考DとEを統合する形での思考Fを生み出すことなんてほとんど奇跡なのかもしれません。

だから、KJ法のような方法も苦手なんですよね(cf.「なぜ、KJ法は失敗するのか?」)。
だって、KJ法って結局、上で図式化したような階層化された思考をカードやポストイットを使って可視化しながら行う推論の方法ですから。
そして、一番の問題は、こうした図式化による抽象的な説明がそもそも具体的なイメージとして理解できないのも問題なので、ここで僕が書いていることもきっと伝わらないのかな?なんて思います。

調査データが読めない

こうしたメタ認知や抽象的な思考を苦手とする人びとの傾向として典型的なのは、調査データが読めないということでしょうか。

「具体的な事例」を欲しがる割に、事実を集めた調査データから思考を働かすことができないというのはまったく奇妙な話です。結局、欲しいのは事実の一例としての事例ではなく、子供にもわかるような物語ということなのでしょう。
それが事実であるかどうかなんて関係なく、テレビドラマのようにその世界観に没頭できる、それなりのリアリティで語られていればいいということでしょう。没頭できるということ。それはつまり自分で考えなくていいということですから。

「ケータイでゲームをする人は男性よりも女性のほうが比率として多い」だとか「あるデジタルカメラを所有している人のカメラの利用傾向は、ほかのデジタルカメラを所有しているユーザーの利用傾向とは著しく異なる」とかいう事象を示す調査データを前に、「へー」と感じるだけで、そこから自分たちの具体的なアクションにつなげていくための思考が展開できない。

そういう自分たちの身の振り方を決めるような抽象的な思考力がなく、だからこそ、なんでもかんでも他人のノウハウや知識ばかりに頼ろうとするようになってしまいます。他人の指示がなければ動けず、他人の成功事例ばかりを追い求めるようになります。もちろん、そんなものの先に自分自身の未来なんてないのにも関わらず。

抽象的思考ができるようになるためには

では、メタ認知や抽象的思考ができるようになるためにはどうすればいいのでしょう?

僕は次の3つを心がけ実行することが大事だと考えます。

  • 思考を文章や図にしてまとめるクセをつける
  • あきらめずにむずかしい本を読む
  • 仕事のなかで自分で考え答えを出す

この3つはメタ認知や抽象的思考を鍛えるための訓練の例です。訓練なので、ただ何も考えずにやっていてはダメです。訓練なので訓練そのものを行っている自分自身について考えることが大事ですし、訓練そのものについても思考をしつづけることが大事です。

では、ひとつひとつ補足を。

思考を文章や図にしてまとめるクセをつける

1つ目の「思考を文章や図にしてまとめるクセをつける」ですが、これは「文章にする」のと「図にする」という作業自体が抽象化の作業にほかならないからです。自分が見たもの、考えたことを文章や図にするというのは、見たもの、考えたものをさらに一段階抽象化しないとできないことです。そもそもメタ認知や抽象的思考が苦手な人というのは、文章を書くことや物事を図式化して表現するのも苦手な人が多いと思います。メタ認知や抽象的思考を鍛えるというと、どうしていいかわからないかもしれませんが、文章化や図解化の練習をするといえば、具体的な作業イメージもできるのではないでしょうか。
ちなみにKJ法でも最後は図解化と文章化を使って、調査データ全体を把握します。それこそがKJ法がアブダクションを使った実践的推論法である所以です。

あきらめずにむずかしい本を読む

次の「あきらめずにむずかしい本を読む」ですが、これもメタ認知や抽象的思考が苦手な人が不得意なことの1つですよね。でも、苦手だからこそ、取り組むべきでしょう。ずっと前に書いていますが「苦手だと認識したら克服する努力をしてみる」ですよ。
話を元に戻すと、むずかしい本って感じる本がむずかしく感じられるのはきっと抽象的な記述がなされていたり、そこで取り上げられている具体的な事柄に対して自分自身の知識が足りなかったりするからではないでしょうか。そうしたものに相対する場合、普段から具体的な事象に関する直接的思考(A'、B'、C')しかしていない人は、何が書かれているのかが理解できないはずです。抽象的な記述を扱うには抽象的な想像力が必要ですし、書かれたものが具体的であってもそれに対する知識がなければその事象は抽象的なものと変わらないわけですから抽象的記述を読むのとおなじでやはり抽象的な想像力を必要とします。なので、無理してでも「あきらめずにむずかしい本を読む」ことで、メタ認知や抽象的思考を鍛えることができるはずです。まぁ、それ以前にそもそも本を読まないなんてのはまったくの論外ですけど。

仕事のなかで自分で考え答えを出す

最後の「仕事のなかで自分で考え答えを出す」ですが、実はこれが一番重要。上の2つは自主的な努力にかかっているのでサボる面がどうしてもでてきますが、仕事になればそうもいってられず、とにかくやらなきゃいけない面が多いと思います。「不安はなぜ起こるのか」や「見本とテンプレート」でも書いているとおりです。
普段は敬遠しがちなことでも仕事になればやらざるをえないことは多々あります。そして、それゆえに思考が普段以上に働きやすいのも仕事でのシーンではないかと思います。僕自身も思考のブレークスルーが起こるのは決まって仕事で苦労して何か答えを出さなきゃいけなかった時のあとです。苦労して、ああでもない、こうでもないと模索することで、思考自体の比較による共通点・相違点の精査が行われ、階層的な思考の組み立て、統合が行われます。抽象的思考を養うのには仕事の場面ほど適した場はないと思います。それは仕事が自分ため(だけ)にやるのではなく、他人のためにやることであるということが大きいのでしょう(ただし、遊びでも真剣に取り組むことでブレークスルーが生まれるケースがあるのは「インフォグラフィックス ワークショップ 2」でも紹介したとおり。こういう遊びの場がすくないのが現代の問題なんでしょうね)。

とはいえ、仕事の場であれば、いつでもメタ認知や抽象的思考を鍛える場になるかというと、決してそうではありません。もし、そうだったら、世の中にこんなにメタ認知や抽象的思考が苦手な人が多いわけがないのですから。
仕事の場でも、自分で考え、自分で答えを出すという姿勢がなければ、メタ認知や抽象的思考を鍛えられる場にはなりません。誰かの方法やノウハウに頼ったり、他社の事例がなければ物事を進めることもできなかったり、自分では具体的に考えることはせず、できる人が考えてくれるための調整役に徹してしまったり。そんなことではいつまでたってもメタ認知や抽象的思考は鍛えられません。ここでも、やはり自分自身の積極的な関与が最初は必要です。自分で「やります」といわなければ、誰も「自分で考え、自分で答えを出す」ような仕事を与えてはくれないからです。

結局は、世界を自分の目で見て考えるか、自分では考えることを放置して他人が見て考えてくれた結果を教えてもらって安心してしまうかという姿勢の違いでしょうか。世界は自分の目の前にあるとおりのものだと思って、なんの疑問も関心ももたなければ、メタ認知や抽象的思考を使って、世界の別の面を見出し、別の新しい世界を作り出すことなどはできるはずもないでしょう。



関連エントリー
posted by HIROKI tanahashi at 17:54| Comment(12) | TrackBack(3) | ライフハックス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
データ=具体的な事例 ではないと思います。
林檎を知らない人に、もっとも一般的な林檎の特徴を
「木の高さは約XXm、枝は木全体の高さの上半分ほどから四方八方に伸び、
春 花を咲かせ秋に大量に実をつける。
実は一つXXgで中心に種が約X個放射状にあり、皮の色は赤から黄緑のグラデーション、
味は甘味XX酸味XX、食感は硬さXXN・ジェリー強度XXN.mm・窪みXXmm、香り成分はXX……」
というようなデータで教えても具体的ではありません。

この様な説明をして、林檎を知らない相手が具体的な事例を求めてきたら
それはまず間違いなく「林檎を直接見なければ分からない」と言う事でしょう。
この時、林檎そのものを用意出来ないのであれば、
相手が知っている物に例えるのが次善の策であり、
相手が林檎は知らないけれど桜を知っているのであれば、
桜に似た木であると説明するのが具体的な事例を示すという事になるのではありませんか?

メタ認知や抽象的思考が出来るようになるには、
抽象的な物と具体的な物がつながる経験が何度も必要なのだと思います。
既にメタ認知や抽象的思考が出来るようになった人が、
そうでない人に抽象的な説明をして 相手が具体的な事例を求めてきた時に、
データではなく 相手にとって本当に具体的な事例を示せば、
相手のメタ認知・抽象的思考能力の成長を促し、
結果的により早く相手と抽象的で戦略的なやり取りが出来る様になると思います。
相手を成長させる手間を惜しむから、いつまで経っても手間がかかり続けるのではないでしょうか。
Posted by nana at 2009年11月22日 09:16
「他人の指示が動けず」は誤記でしょうか?意味が通りません。
Posted by サム at 2009年11月22日 16:48
サムさん、

指摘ありがとうございます。
修正しておきました。

「他人の指示が動けず」→「他人の指示がなければ動けず」
Posted by tanahashi at 2009年11月22日 21:37
nanaさん、 僕が言ってるのは逆ですよ。
理論から具体的なイメージができないことを問題にしているんです。
その具体的なイメージは、別に個々人がすでに知っているものであっていいんです。
なので、林檎を知らないは問題にならない。

それに実際のところ、具体的なものと抽象的なものの境界なんて本当はないと考えます。その人にとって、目の前に見えているもの、他人から聞いたことはすべて具体的です。そこには現実に何かがあるわけです。僕はその意味で「具体的」という言葉を使っています。もちろん、データも含めてです。

問題は、その「具体的」なものから、自分自身で新たなイメージを想起できるかどうかということをここで問題にしています。言葉を聞いて何かを連想できるか、自分の知っていることと結び付けることが自分自身でできるか?です。
その際、想起したイメージが正しいとか間違っているとかはとりあえず保留。それ以前に想起が起こらない、想起する努力、知ろうとする努力が怠ってしまうことが多いということを、ここでは問題にしているわけです。
Posted by tanahashi at 2009年11月22日 22:13
人に説明するとき、その人が理解しやすいように身近な何かの事象に置き換えて簡単にすることを心がけています。
これは抽象化でしょうか?
Posted by bowwow at 2009年11月24日 07:25
興味深いお話をありがとうございます。
ものすごくスッキリした気分です。

ずいぶん前ですが、自分もこの事に気づきました。
話すのが厄介な相手は、自分みたいにイメージ
がわいてないんだなと確信したんです。

あと、極端なことを言えば、出来る出来ないは
生まれつき決まってるんじゃないかと思いました。

努力してイメージがわくように話をしても、
出来ない人に何も変化はおきませんでした。

おっしゃるとおり、自分で気づいて自分で獲得
しようとしなければ変わらないのだと思います。

残念ながら、ほとんどの人は一生気づかないで
終わるみたいですね。

そういえば、面白い話があります。

会社の中でフリートークの場が与えられること
があります。例えば朝礼でXXのことについて
考えを話せというケースです。

XXは社是とかですね。

するとイメージ出来ない人達はXXのことを
そのまま話すんです。どこかに書いてある事
をそのまま引用です。更に『自分の考えは…』
とか言って話をきりだすんです。

更には…

その話のどこに自分の考えが入ってるんだ?
まったく何もないじゃないか?

と怒る人もいないんです。

恐ろしいことに、恐ろしいほど沢山いること
に気づきました。

イメージ出来る人の方が圧倒的少数派です。
Posted by くろひつじ at 2011年09月03日 08:47
目から鱗が落ちました
感謝します
Posted by ・ at 2011年11月09日 07:40
>>くろひつじさん
生まれつきの素質は人それぞれですけど、メタ認知力は後天的にも十分伸ばすことが可能ですよ。成人以降でもです。
Posted by 1. at 2013年11月20日 02:14
共感しました!
本記事の内容を「具体化」したブログを書いてみました。

Posted by motohasi at 2013年12月04日 13:12
ブログを読んで思わず、「はい」といってしまいました。今から心がけます。
Posted by ハラ at 2014年02月19日 15:01
メタ認知や抽象的思考ができない人は単純に具五感・具体信者だと思います。
五感で感じられる具体的、分かりやすいもににしか存在意義を見出だせない。
「高校以降の数学が社会で役に立つか?」という思考が典型だと思います。
具体の前には必ず抽象があり、五感の前に働いている脳みそが解釈する空間にアクセス出来ないのです。
ともかく必要無いと結論を出している以上、その者達が抽象的思考を身につける事は無いと思います。
Posted by あ at 2014年08月08日 20:26
医師が作った「頭のよさ」テストという本があるのですが、この本自体は自閉症患者を見てきた医師が書いているので健常者だと細かくは疑問が出てきますが、情報の入力に視覚優位、聴覚優位、言語優位がありそのグループでも2パターンに分かれ、計6パターン+番外編というものでした。

お話されている、言語を図式化するのが得意とされている、抽象的概念が簡単に分かるグループは言語優位抽象タイプのグループでした。

そして比較的抽象的概念を持っているのは各優位グループの片方で、3次元的にものを見れるグループだと思いました。
そして2次元的なグループの方は、手本がないと判断できないとも置き換えられるのではないかと思います。

記憶力がいいタイプは視覚優位タイプだと思います。
中学生までは特に勉強しなくても好成績をおさめる人達です。しかし高校になるとつまずく方がいるそうですが、どうも抽象的概念が薄いので理解が難しくなっているのではないかと思ったのです。

記憶のイメージで本棚から取り出すタイプで、単純に本棚から一冊取り出すタイプと本に紐付けがあり一緒に何冊か取り出すタイプがいるそうなのですが、後者が抽象的概念があるタイプのようです。

この図式化はこの紐付けですが、このイメージすら自分にはないと否定するので、あると仮定して下さらない事には難しいだろうと思いました。
Posted by 名無し at 2017年01月11日 12:54
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