2009年11月15日

不安はなぜ起こるのか

うーん、どうも家のパソコンが壊れたらしい。ハードディスクは大丈夫そうだが、ディスプレイの部分になにかしら問題があるらしく表示ができない。
なのでブログに書きたいことはあるが、それはひとまず眠らせておいて、ケータイから書ける範囲のことを書いておこうと思います。

さて、昨日は木村さん主催のワークショップ「インフォグラフィックス ワークショップ 2」に参加してきました。めずらしく、というか、はじめて講師サイドではなく参加者サイドの立場で参戦。本当はそのことについて書きたいのだけど、上記の理由により保留(書きました)。ここでは、そのワークショップの打ち上げの場で学生との会話をもとに考えたことをすこし書いておきたい。

学生と社会人

きっかけとなったのは、ある学生からの「学生時代には何をしておけばよいか」という質問。僕の答えは2つ。教えてもらうことと自分が好きな無駄に思えることをすること。両方とも社会人になったら、なかなか時間をつくるのはむずかしくなるからこそ学生のときにやっておくといい。もちろん、社会人になってもできるが、社会人になるとそれを実際にやるには能力が必要になる。能力があまり必要でなく、わりと誰でもできるのは学生のときなので、それをやっておかない手はありません。

前者は先日の社会人と学生がいりまじったワークショップで、あらためて学生って教えてもらうことに関してはプロだなと思ったこともあって、これは学生時代にやっておくべきことだと思いました。社会人が(一部をのぞき)ぜんぜん僕に質問できないのに対して、学生(特に女の子)は、どんどん僕に質問してくる。また「わからない」ことははっきり「わからない」と言っていました。ようするに教えてもらう気が満々なわけ。結果、僕はより多くのことを学生に教えられました。社会人のほうはどちらかというと、そのおこぼれをもらった感じ。
これって、学生の特権だと思うんですよね。社会人になったらなんでも教えてなんてもらえません。誰かに何かを教えてもらおうなんて社会人がいたら、そんなの社会人失格です。自分で考え、自分で自分の方法を生みだし、その活動において社会的に意味のあるものを生産する。それが社会人の仕事でしょう。その義務を怠って他人の手法を学ぶだけで、まともなアウトプットもだせないのに平気な顔をしてる社会人はどうかしてます。遊んでないで仕事しろって思います。

不安はなぜ起こるのか

そんな話が前提なわけですが、そもそも学生がなぜ、そんな質問をしてきたかというと、将来というか、より具体的には就職に不安をもっていたからのようでした。就職するにはいま何をしたらいいかということと、就職よりもっと先の将来を考えた際にいま何をしたらいいかの狭間で悩んでいたようでした。不安を感じていた。

先になぜ不安が起こるのかというと、やるべき(だと自分が信じる)ことをやっていないからです。自分がやるべきだと信じることをやっていれば、不安を感じるひまなどありません。

不安はひまな人の特権です。忙しい人はそんな余裕もなく、やるべきことのためにどう時間を確保するかに躍起にならざるを得ないでしょう。やるべきことが全部(あるいはその大部分)できないと不安が首をもたげてくるので、それを避けるためにもやるべきことに集中しなくてはなりません。

無駄なことをやる

学生のやるべきことは先の2つです。でも、もっと単純化すれば、無駄なことをやるという1つに統合できます。自分が好きな無駄なことをするというのはそのままだし、もうひとつの教えてもらうというのも実は他人から自分には役に立たない無駄なことを教えてもらうということにほかならないからです。この自分の好きな無駄と他人が好きだったり信じたりしている無駄に触れておくというのが学生がぜひやるべきことです。

そうした無駄なことに没頭せず、何をすれば就職に有利か、何をやっておけば将来の役に立つかと考えるから不安になる。無駄なことをやるべきなのに、それをせずに役に立つかどうかで利己的に考えるからつまらない。そんな思考が社会人になっても他人にたよる姿勢から抜け出せず、いつまでも他人の思考のテンプレートを探すことばかりに時間を浪費し、自分の方法で自分のアウトプットを出す力を身につけられなくなります。無駄なことをやるべきなのは学生であって、社会人になれば一部の有能な人を除けば有益な結果をだすことが仕事として求められます。有益な結果をだせなければ、それこそ無駄と思われてしまいます。

ゴミの山の編集

他人の方法ではなく自分の方法で結果をだすことが求められる社会人。
では、どうしたら、そうなれるかというて、いかに学生のときに無駄ができるか、無駄なもののアーカイブを溜め込んでおくことができるかだと思います。自分の方法で自分の結果をだすためには、そうした他人が過去に作った自分にとっては無駄でしかない(それを有益だと感じたらただの物真似だから)アーカイブをどれだけ引き出しにしまいこみ、そのゴミの山の編集から自分の方法、自分の結果を生み出せるかにかかっているでしょう。

これがわかっていると、社会人になっても遅くない。社会人になっても無駄ができるし、無駄なゴミを社会にとって価値あるものにかえることもできます。
それを理解せず、最初から機械的に有益なものを求めて無駄を排除しようとするから身動きがとれず不安になるのです。



関連エントリー
ラベル:不安 就職 将来
posted by HIROKI tanahashi at 17:29| Comment(1) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ブログ拝見させていただきました
とても為になる話で心が軽くなりました。
私は印刷会社でグラフィックデザイナーとして勤務しているのですが、
今現在鬱になって会社を休んでいます
なにかいつも不安にかられ
休みの日も仕事に意味のある事、
つまりデザインや絵の勉強をしないと
ダメだと思い苦しくなって
鬱にかかってしまいまいた
 (それだけが鬱の原因ではないのですが
大きな要因である事は最近認められるようになりました。)

『何をやっておけば将来の役に立つかと考えるから不安になる。無駄なことをやるべきなのに、それをせずに役に立つかどうかで利己的に考えるからつまらない。』

まさにそのとうりで、
楽しかったデザインの勉強や絵を描く事を
すべて利己的にしか考えられなくなってしまい、全てがイヤになってしまっていました
あなたのブログを読んで少し心が楽になりました。
ありがとうございました。
Posted by 上原 竜太 at 2009年11月15日 20:05
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック