世界を、宇宙を、そして、人間を注意深く観察し、それらの謎を思索し、よりよき状態を希求し、そうした活動の結果を具現化する技術を探る。そうした構想と呼ぶべき活動を背景にもつことをやめた、形ばかりのデザインを「デザイン」と名指すのはどうなのだろう?

シェイクスピアのグローブ座(地球座)を含む、イギリスにおける後期ルネサンスの公衆劇場に焦点をあてながらルネサンス期の科学的/魔術的思考とその思考が生みだした世界=歴史を考察する『世界劇場』
『記憶術』
ディー、フラッド、ジョーンズ
イエイツは、この本で、ジョン・ディー、ロバート・フラッドという2人のイギリス・ルネサンス哲学の中心人物を召喚します。この両者は、マルシリオ・フィチーノやピコ・デラ・ミランドラからの系統をひいた、いわゆるルネッサンスのネオプラトニズムがヘルメス的要素やヘブライの秘儀的要素をつよく吸収している強力な影響力の流れから生まれ出たのであった。ディーやフラッドは、ルネッサンス期としては大へん遅い時期に現れたのであった、しかし、この両者は時期的には遅れはしたものの、とくに強力な形でイギリスに浸透してきたヘルメス的伝統を代表するルネッサンス学者とよばれる資格がある。フランセス・A・イエイツ『世界劇場』
ルネサンスがヘルメス主義やカバラ的要素を取り入れた魔術的=科学的思想をもった時代であったことは「記憶術/フランセス・A・イエイツ」でも紹介しました。そのルネサンス的特徴を顕著にもったイギリス・ルネサンスの思想家として、著者はジョン・ディー、ロバート・フラッドという2人の人物の思想を中心としてイギリス・ルネサンスの思考とそれがもたらしたイギリス・ルネサンス劇場史を考察していきます。
このディーとフラッドに加えてもう1人、フラッドと同時期に仮面劇を大成した舞台建築家であるイニゴー・ジョーンズが、本書における主人公たちです。
ヴィトルーヴィウスの『建築について』
イエイツはこの3人の思想、活動の共通する基盤として、紀元前1世紀のローマ帝国初期の建築家で、『建築について』を著したとされるヴィトルーヴィウス(マルクス・ウィトルウィウス・ポリオ)の指摘します。ヴィトルーヴィウスについては、前著『記憶術』
この本で考察されるイギリス・ルネサンスにおける古代劇場の復活としての公衆劇場の建築、活用についても、このヴィトルーヴィウスが古代ローマの劇場について書き遺したものが土台となっていることを著者は指摘しています。
エリザベス朝劇場は古代劇場をすこぶる独創的に改めた劇場で、偉大な民衆劇場を上演する器として見事に適っていた。表面の仕上り具合では、ヨーロッパ大陸でできた古代劇場改作の劇場と太刀うちできなかったものの、古代劇場の重要な特質は維持していた。すなわる宇宙的でそれゆえ宗教的な意味あいを含み、音響効果の上で特性をもち、俳優の音声が重要視され、詩と俳優の語ることばを俳優と観客の間の交流の主な手段として高く評価するというような古代劇場のもっとも重要な特性はなおもここに維持されている。しかも、劇場の大きさそのもの、多数の人間を収容しうる能力からみて、このイギリスの劇場は古代的な意味での公衆劇場(パブリック・シアター)であり、限られた観客しかもたない宮廷向けや学者向けの古代劇場の改作よりも、精神の上でより正当にヴィトルーヴィウス的であった。フランセス・A・イエイツ『世界劇場』
「宇宙的でそれゆえ宗教的な意味あいを含み」というあたりがルネサンスの特徴であり、ルネサンス的な視点でみた古代の捉え方といえます。そして、それは同時にルネサンス期における世界=宇宙の捉え方でもあり、それが劇場建築のような具体的なものとしてフィードバックされたのです。
数学的技術
このイギリス・ルネサンス期においてヴィトルーヴィウスが受け入れられた大きな理由の1つには、それが数学的技術を根本においた幾何学、算術、天文、音楽、人類誌、水理学、地理学、軍事技術、築城術などを包括するものとして建築が捉えられていたからです。たとえば、ディーは、ユークリッドの『原論』の英訳にあたり、長い「序文」を寄せていますが、その「序文」は大きくヴィトルーヴィウスの『建築書』に依拠しています。この本には付録としてディーの「序論」の一部が抜粋して収録されていますが、ディーはそのなかでこう書いています。
建築家は職人を集め、教え、指図して、手による仕事や家屋、城郭、宮殿の実際的建築におもむかせ、またそれを吟味する人である。だが(かしらたる親方で建築かとしての)彼自身には、線と面と立体を用い、幾何学、算術、光学、音楽、占星術、宇宙誌、(つまりは)これまで導き出されたあらゆる数学的諸技術や、その他の確認され確立されうる他の自然的諸技術の技師として働きをなす明らかな理由や根拠がやはり存在している。もしこれがその通りとすれば、建築は数学から派生した技術のこの正真正銘の仲間うちに当然正当に加わるのを許されるとあなたはお考えになるだろう。この点で私は二人のこの上ない完全なる建築家の判断を聞きたいと思う。その一人はヴィトルーヴィウスである。
このような建築を数学的技術の中心をなすものであると考えるヴィトルーヴィウス的な思想を伝える「序文」をディーは、プロテスタントが力をふるい、彼らが偶像や教会建築を嫌うがゆえにイタリアなどのルネサンスのように新古典主義的建築が生まれなかったルネサンス期において、ラテン語ではなく一般の人びとが解する英語で書きました。その平易な英語で書かれた「序文」を書くことで、ディーはエリザベス朝の中産階級の人たちに、比例(プロポーション)、構図(デザイン)の基本原理を教え、あらゆる数学的技術は「建築」というものを自らの女王として仰ぐものであることを明らかにしたのです。
建築物などというものは物的資材を用いてつくるのにたいし、「数学的技術」は物的資材でできた朽ちるおそれのあるものなど扱わないのだという粗雑な考え方をしりぞけて、ディーはつぎのように指摘する。すなわち、建築というものは、他のあらゆる技術にもまして、数についての抽象諸科学に基礎をおくもので、それらすべてを利用し、それこそすべての技術と科学を駆使するものであると。フランセス・A・イエイツ『世界劇場』
「すべての技術と科学を駆使するもの」としての建築という考えは、このディーの序文を通じて、中産階級の建築家や職人たちへと伝わり、ルネサンス期のイギリスにおいて古典劇場の新たな解釈としてシェイクスピアのグローブ座を代表とする公衆劇場を生み出す起点となったのです。
ルネサンス・ネオプラトニズム哲学の著が示す地球座の手掛かり
もう1人のルネサンス哲学者であるフラッドは、ディーの「序文」が世に出た4年後に生まれています。したがってディーに比べてはるかに年少ではあるものの、ディーと同時代を生きたことにもなります。ディーがエリザベス朝の哲学者だとすれば、フラッドは次のジェームズ朝において哲学を展開しました。フラッドの哲学も、ディー同様にヘルメス=カバラ的なルネサンス・ネオプラトニズム的な性格をもち、ディーの「序文」からヴィトルーヴィウス的主題を引き継ぎ、長大な著書である『両宇宙誌』としてまとめられています。
フラッドは、「ヴィトルーヴィウス的主題群」に関してディーのあとを受け継いだことは事実である。フラッドの途方もなく長い著作である『両宇宙誌』は、ディーの数学的「序文」に基づいたものであって、同一の「ヴィトルーヴィウス的主題群」をとりあつかい、しばしばディーと同じ典拠から引用している。(中略)「ヴィトルーヴィウス的主題群」を扱う際には、ディーと同様にフラッドも魔術的科学技術者として立ち現われるのであり、ディーが刺戟を与えて活動に導いたヴィトルーヴィウス=数学運動に接触したものとして姿をあらわす。フランセス・A・イエイツ『世界劇場』
ディーとフラッドに通底するルネサンス・ネオプラトニズムの哲学においては、宇宙は神に相当する超越的な「一者」から流出する「知性」、さらにそこから出てくる「世界霊魂」と個々の人間の「霊魂」があり、その最下部に「物質」があると考えられ、「一者」と個々の「霊魂」は本質的につながりをもつものとされます。
この哲学のもとに展開されたのが、フラッドの『両宇宙誌』という著作であり、その著作はマクロコスモスである宇宙=世界を扱う技術に関して著した第一巻と、ミクロコスモスである人間の内部―体内だけでなく精神も含めて―を扱う技術について書かれた二巻からなっています。
このミクロコスモスに関する技術を扱った第二巻に含まれる技術の1つが、イエイツが前著で扱った「記憶術」であり、そこにいまは失われたグローブ座(および同時期の公衆劇場)の姿を読み解く鍵が、フラッドが記憶の場として取り上げた図版に示されているのです。
イエイツはこの手掛かりを元に、グローブ座の舞台を復元するスケッチを本書に示しています。

イエイツによるグローブ座の舞台の復元スケッチ
俳優の音声から視覚的・機械的からくりへ
ヴィトルーヴィウスはその劇場建築論において、俳優の音声をいかに活かすべく建築を行うかを重要な問題として論じています。その影響を受けて建築されたと思われるグローブ座ほかの公衆劇場もまた俳優の声を活かすために設計された劇場でした。
シェイクスピア型の劇場は何にもまして聴覚的な劇場であった。それは偉大な詩劇を上演する場に適した劇場であり、舞台の上で俳優の発することばの朗々たる響きが劇場のすみずみまでさまたげるものは何物もない巨大な共鳴箱となるのに適した劇場であった。フランセス・A・イエイツ『世界劇場』
数学的技術の1つとして音楽を大事にヴィトルーヴィウスの建築論は、こうした聴覚的劇場を生みだすのにうってつけのものでした。しかし、その数学的技術は同時に、遠近画法、光学、機械学の発達も促すものでした。
フラッドと同時期に活動した舞台建築家のイニゴー・ジョーンズによる仮面劇は、遠近画法、光学、機械学などの科学の力を借りて、それまで聴覚的であった演劇を視覚的な演劇へと変貌させます。
これらの科学の影響のもとに、劇場は、「絵画的劇場」つまり観客がつぎつぎに入れ替わってあらわれる場面を見る窓と化し、劇作家と俳優の役割は縮小した。フランセス・A・イエイツ『世界劇場』
ルネサンス期の公衆劇場で用いられなかった遠近画法方式の場面展開は、同時期の私的劇場(宮殿などに設けられた一部の人向けの劇場)では、イニゴー・ジョーンズらにより展開されます。この聴覚的・音楽的劇場から視覚的・絵画的劇場への転換もまたヴィトルーヴィウス的主題の一部をなす遠近画法、光学、機械学などの数学的技術を用いたイニゴー・ジョーンズによって行われたのです。
科学と魔術
著者のイエイツはこうしたヴィトルーヴィウス的主題を核として展開されたイギリス・ルネサンスの思考の1つの結実として、グローブ座のデザインを捉えています。本書に集めたさまざまな種類の証拠は、ことごとく地球座の「理念」として「世界劇場」を指し示している。円形の黄道帯内部の三角形分割を基礎とする平面図形をもった古代劇場の宇宙構造的意味に、さらに神殿としての劇場という宗教的意味とまたそれに関連したルネッサンス教会の宗教的・宇宙的意味がつけ加わった。地球座は魔術的劇場であり、宇宙的劇場であり、宗教的劇場であり、「世界劇場」の内部で人間の生のドラマを演じる役者たちの声と身振りを最大限に支援するように設計された俳優のための劇場である。フランセス・A・イエイツ『世界劇場』
数学的技術につよい関心が寄せられ、ただ、それはいまのように科学と魔術が完全に切り離される前であったルネサンス期の哲学において、自らの思索=世界の捉え方を表すものとして構想・実現されたグローブ座。その設計の背後にあるのは、科学的であると同時に魔術的でもある世界のメカニズムに関する考え方でした。
このエントリーの冒頭に書いた疑問が頭に浮かんだのも、こうした世界の捉え方としての宗教、哲学が直接的にデザインと結び付いた時代と、現代の日本におけるデザインのギャップをつよく感じたからでした。
エリザベス朝時代に生きたディー、そして、ジェームズ朝時代に生きたフラッドとジョーンズ。彼らが生きたのは、1618年にボヘミアにおけるプロテスタントの反乱をきっかけに勃発したヨーロッパ全土を巻き込む三十年戦争の前のルネサンス最後の時代でもありました(フラッドの『両宇宙誌』は1巻が1617年に、2巻が1618年に世に出ています)。同時にそれが日本においては江戸時代の初期にあたることを次に紹介しようと予定している本の布石として記しておこうか、と。
この三十年戦争を境に、ルネサンスのヘルメス=カバラ的であり、ネオプラトニズム的でもあった思考は、啓蒙の思考にとってかわられます。啓蒙の思考においては、それまでおなじ数学的技術として手を結んでいた科学と魔術は切り離されることになります。そのあたりを含めたルネサンスと啓蒙の時代の空白の30年を描いているのが、手もとにあるものではイエイツの最後の本である『薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史』
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