地域の力

いま読んでいる田中優子さんの『未来のための江戸学』は、僕のいまの大きな関心事である地域活性、地域ブランドという面でも、大いに考えさせられる1冊です。
そのなかには「地域の力」というキーワードも出てきて、その内容はとても共感するものです。

たとえば、こんな一文があります。

ゼミ合宿では佐渡と秋田に行く。江戸時代の日本は各藩が特産品を持ち、経済も法律も自立していた。漁や農や流通や鉱物資源で独自の産業が発展し、武士たちもそれに尽力していた。漁で大金を稼ぐ者もおり、農村では優れた布や紙が生産されていた。そういう地域の力を知らなければ江戸を知ったことにはならない。

こうした事柄はすでに何冊か田中優子さんの本を読んでいる僕にはすでに馴染みのあるものですし、ほかにも柳宗悦さんや日本文化の形成/宮本常一さん、東と西の語る日本の歴史/網野善彦さんの本を読んでいれば同様の地域とクリエイティブな生産力の結び付きの事例には事欠きません。
そもそも僕が地域に目を向けたのも、こうした本によって考えさせられることがあったからですし、そうした知識に触れることができたからこそ、自分自身の足で訪れた高千穂や宮島という土地からも地域の力の重要性というのは直接感じることもできました。また、学生時代に田中さんのゼミの学生同様に佐渡を訪れ地元の人と交流させてもらった経験があるのも、いまとなって生きているのかもしれないなと思います。

その意味で田中さんの「地域の力」というキーワードは僕にとってもとても大事な意味をもつものです。

その土地に蓄えられる自然と人の技

なぜ地域の力なのか?

それは地域にはいまの科学技術には生み出せないものがあるからです。
1つは地域特有の自然であり、もう1つは地域に蓄積されうる人間の力です。

柳宗悦さんの『手仕事の日本』にはこんな文章があります。

幸いにも手仕事の世界に来ますと、人間の自由が保たれ、責任の道徳が遥かによく働いているのを見出します。親切な着実な品を誇る気風が、まだ廃れておりません。品物として幾多の健全なものが今も作られつつあるのを見ます。しかも多くはその土地から生まれた固有な姿を示します。

美しい材を用いるということは、やがて自然の美しさを讃えているに外なりません。平に削ったりあるいはそれを磨いたりすることは、要するに自然の有つ美しさを、いやが上にも冴えさすためであります。(中略)一つの品物を作るということは、自然の恵みを記録しているようなものであります。
ともに柳宗悦『手仕事の日本』

その土地特有の自然を科学技術によって生み出すことはできません。いや、科学技術どころか、人間の力ではそれらを生み出すことはできません。人間にできることはといえば、せいぜい手入れをしたり、自分たちが自然の力を搾取したら元に戻るよう世話をする(木を切ったら植林するとか)ことくらいです。しかも、どの自然の力を利用できるかは基本的に気候やそもそもの地質などが異なる、その土地ごとに異なります。

そして、その力を活かすには、その自然をよく知った人の力が必要になります。土地に人の力が蓄積されるのは、自然の力を活かすことを知った場合です。田中優子さんも「今必要なのは、この多様な気候と自然を活かす人を育てることだ」と書いています。
原研哉さんとの対談集『なぜデザインなのか。』のなかで阿部雅世さんが「日本の湿気と緑を、もっと財産として認識したデザインが都市空間の中に生まれてきてもいいのではないか」と言っていたり、「グローバル化がこういうかたちで進んでいるいまだからこそ、ローカルの価値が出る。ここでしか食べられないものがあるというのは、ローカルが飛躍的に価値を持って光りだすチャンスかなと思います」と言うのもこの文脈で考えるべきでしょう。

学問は地方で育った

田中さんの本を読んでいて新鮮だったのは、学問の力も地域で育つと書いている点です。これは「なるほど」と思いました。僕はこれまで物質的な面でしか、地域の力というものを視野に入れていなかったのですが、田中さんがいうとおり、学問も本当に人びとの生活に役立つものとして考えると、地域固有の問題を扱ってこそ育つものなのでしょう。

私塾は吉田松陰が人材を育てた萩の松下村塾、菅茶山が福山に開いた黄葉夕陽村舎(廉塾)、シーボルトが開いていた長崎の鳴滝塾、大阪で商人たちが作った懐徳堂など、全国にあって、じつにユニークだ。藩校に比べ時代に沿った新しい学問が特徴で、しかもそれぞれの土地に根差している。彼らは現実の農村の荒廃や社会の矛盾、変化を眼前に見ており、その現実こそが学問の動機であった。地に足のついた学問は地方で育ったのである。

田中さんは、江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者である荻生徂徠がまだ少年のころ、父親が江戸払いとなって現在の千葉県茂原市に暮らすことになり、そこで人びとの暮らしを骨身にしみて知ったことで、それから書を読んでも何でもよく理解できるようになったといい、それを「南総の力」と呼んでいる例もあげていますが、江戸時代以降でも、南方熊楠の学問が南紀の熊野とは切っても切れないものであることを僕らは知っています。

こうした様々な面で、地域の力というものを僕らはもう一度見直し、それをどう自分たちの生き方、仕事の仕方に役立てていくかということを本気で考えていかなくてはいけないのでしょうか。そのためにも、それぞれの地域がある程度自立して生活できるようなしくみというものをつくっていかなくてはいけないだろうと思うのです。

それには成功例をすこしずつでもつくって、それぞれの地域が自分たちでもできるという自信をもち、地域の暮らしの再建へのモチベーションが高まるような雰囲気をつくっていかなくてはならないのだろうな、と。
さらに、そうしたしくみを具現化して目に見える形にするためにも、しくみを象徴するようなモノのデザイン、それを活かしたライフスタイルやワークスタイルというものをデザインしていくことが大事か、と。

僕は、地域ブランドというものをそうした大きな課題を解決するための手段の1つだと考えています。



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