これまでの考え方というのは、どちらかというと自分たちの将来をいかに実現していくかというところに重きが置かれていたのだと思います。将来のゴールを描いて、そこにどう到達するのかの戦略を考え、実行に移す。それはそれでこれからも必要なことだと思いますが、その際、視野にあまり入れることがなかった変化する環境のなかで、いかに自分たちの思いやビジョンを維持していくかというところをきちんと視野に入れて考え、実行する方法を模索する必要があると思います。
つまり、無常を前提としたうえでの持続性のデザイン。
持続性のデザイン
まぁ、いちおデザインといってみましたが、無常の環境のなかで自分たちも変化しながら、なおかつ自分たちの思いや意思を持続させていくという意味では、なにかシステムを固定させることとは根本的に違うので、デザインという領域は超えたところがあります。むしろ、1つ前のエントリー(「コンセプトワークにおける編集力」)で書いた編集ということばのほうがフィットする気もしますが、まずは求められる持続性を維持する方法の見取り図を作成するという意味ではデザインといっておきたい。自分たちの思いや意思を持続させるためには、変化する環境、変化する自分たち自身を認めた上で、どう思いを持続させるかを考えなくてはいけない。経済環境は変わるし、文化も変わる。僕らは年をとるし、僕らとは違う思考や生活スタイルをもった若い人がどんどん社会に入ってくる。産業の構造も変化すれば、生活や仕事のインフラも変わっていく。企業ブランドであっても、地域ブランドであっても、そうしたなかで自分たちの思いを持続させ、かつ自分たちの生活そのものを成り立たせるにはどうしたらいいかということを考えていかなくてはいけないと思います。
サステナビリティとの違い
なので、これは従来のいわゆるサステナビリティ(持続可能性)とは、すこし違うところがあるのではないかと思います。いや、本来のサステナビリティの考え方は似ているのかもしれませんが、なんとなく今のサステナビリティの受容のされ方は、自分たちのいまや将来への見取り図を持続させるために、できるだけ周囲の環境には変わってほしくないという期待を込めて考えられているようなフシがあるからです。いや、正確にいうと、時間によって変化する環境に思考的にどう対処するかというインタラクション的発想の思考ができないから、静止した時間のいま置かれた環境のなかで将来的持続可能性を云々してしまっているのではないかと思います。
すべてをシステム化、人工物化、情報化することで、自分たちはおろか周囲の環境まで完全に固定してしまうことで、自分たちのいまや未来を持続させようという、エジプトのピラミッド的発想では、僕が思い描いているような持続性は実現できないだろうと考えます。むしろ、20年に一度式年遷宮で生まれ変わることで持続性を維持する伊勢神宮のようなしくみが必要なんだろうな、と。それは折口信夫さんがいうような、祝詞によっていつでも原初の時空間に戻ることができるという古代人的思考のもつ特性を、持続性をデザインするうえで取り入れていく必要があるのだろうと考えています。
それは結局、情報というものをどう捉えるか。その情報技術の変革がキーになってくるはずです。いまの情報技術、システム論を超えたところで、持続性をデザインするための基本となる思想をつくる必要があるだろう、と。
持続性のための要件
企業にしても、地域にしても、無常を前提とする環境で、自分たちも常に変化しながら、自分たちの思いを持続させていくためには、すくなくとも、- 変化する外部環境といかに定常的なコミュニケーションを維持できるか
- 外部環境の変化を内部に取り入れ、それに対するフィードバックを行ううえで、いかに性急な対応で自分たちの思いまで見失ってしまうことを避け、松岡正剛さんがいうような苗代で育ててから田圃に出すような対応ができるか
- 外部とのコミュニケーションを維持できるな内部のしくみや、そのしくみを実際に動かす人材を確保できるか
- そうした人材をいかに教育するか
- はたまた、そうした人材が企業組織や地域に根付いてもらうための魅力的な経済文化をいかにして構築し維持するか
- 人材の確保や定常的なコミュニケーションを可能にするための魅力をいかにして外部に発信しつづけられるか、その魅力をいかにして生産しつづけられるか
といったあたりは、きちんと考え、実現のための方法を模索していく必要があるでしょう。
そうでなければ、どんなに大切に感じていても自分たちの思いを持続させていくことなんてできないのでしょうから。
とはいえ、その前に前提として「自分たちの思い」というビッグピクチャが描けていなければ、持続もへったくれもありません。そもそも持続性うんぬんより、持続する価値のあるビッグピクチャが描けていないということが問題であることのほうが多いのでしょう。
逆にそうしたビッグピクチャがないから、教育や確保もふくめた人事戦略もおぼつかないし、それゆえ人は育たず組織は成長できないし、サービスや商品ラインナップ、ブランドポートフォリオをどうするかといったマーケティング戦略・ブランド戦略も描けないという状況に陥るわけです。1個のサービスや商品のコンセプトは描けても、組織全体のコンセプトを描けないんですね。そのコンセプトはビッグピクチャの一部となるわけですから、そりゃ持続性も何もあったもんではないんですね。
そっちもどうにかしていかないといけないですね。ビッグピクチャ絵画教室もつくりましょうか?
関連エントリー
この記事へのコメント