欲望を知る

自分が欲しいものがわかっているか。自分がやりたいことがわかるか。
このことが売れるものをつくること、ビジネスを成功させるうえでの最低限の条件ではないかと思うのだけど、どうだろう?
ちゃんと自分の欲望に気づく感受性を養えているだろうか?

自分の欲望に気づく感性を持ち合わせていないのなら、他人の欲望を理解することがきわめてむずかしいはず。他人の欲望を解せず、他人にものを売ることは困難だろう。他人が欲するものをつくることはできないだろう。

自分の欲しいものがわかっているか。自分のやりたいことがわかっているか。
それができていないのなら、ものづくりはできない。ビジネスを創造することもできないだろう。

ものをつくり、売るための想像力が欠けている

ものを売ることから体験を売ることへ。そんな風に言って、自分が欲しいものをわからずにいる事態を誤魔化してもしかたがない。ものあまりの世の中だから、もはや欲しいものはないなどと言ってみても、では、どうやってあなたの商売を創造するのかと言われたら終わりだ。

欲しいものがないなら創造するしかない。そして、欲しいものを創造するためには、少なくとも自分が何をどうしたら欲しくなるかを理解していなくてはいけないだろう。それができてはじめて人が何をどんな風に欲しくなるかを想像することができる。その想像がはたらかなければ、マーケティングやものづくりにはならない。

その想像力が欠けているから「ねぇ、自分でちゃんと使ってみた?」で書いたような事態が生じるのだ。開発体制が複雑だからでも、上司がわかっていないからでもない。そもそも、ものをつくって売るということがどういうことか。自分の欲望に照らし合わせて感じて考えることができなくなっていることがもっと根本的な原因としてあるのだ。
それが欠けているから、最終的に出来上がったものがどうあるべきかをイメージできず、ちとりあえず出来上がったものが最終成果だと誤解してしまうのだ。

物事を他人のレビューをみて評価することはできても、自分自身で評価することができない。自分でやることでもどこかテレビをみているかのように傍観者的にみてしまいます。
それで他人事のように自分はダメだと嘆いたりします。どうもみていると、そういう人は自分自身の思考(ことば)と行動(身体的感覚)のギャップに気づいていないように思います。

あなたは自分がつくっているものがどうあるべきかをわかっているだろうか。
なぜ、それが売れ、なぜ、それが使ってもらえるか、そして、それにはあなた自身が、組織が何をするべきかをわかっているだろうか。

やりたいことをやりたいと主張できているか?

組織が外部から評価されるようになるためには、組織ではたらく個人ひとりひとりが自分がやりたいと思うものをしっかりもつ必要がある。やりたいことをもつだけでなく、それを個人がきちんとやりたいと主張できるようになることが大事だ。組織内部に対しても、外部に対しても。

自分はこういうものが欲しくて作りたいと思うもの。こういう風に仕事をやってみたいという方法。この人とこんな仕事をしてみたいという相手。そういうやりたいことが見えているか。そして、それを組織内部の他の人間や、外部の人間に対して伝えられているか、主張できているか。

何をしたいのかわからない相手に、人は魅力を感じにくい。
それは個人が対象でも、企業や商品・サービスが対象でもおなじ。相手が何をしたいのか見えなければ、何も頼みようがないし、どうコミュニケーションしていいかさえ困ってしまう。いずれにせよ、何をしたいかわからない相手には、その相手に接する側のほうが気を遣わなくてならない。とうぜん、よほど気を遣う価値があると思える相手でなければ、継続的に気を遣いつづけること不可能だろう。つまり、気を遣って世話をするのにも賞味期限があるということだ。それを過ぎれば、だんだんと気を遣われずに放置されることになる。

自分のやりたいことに気づいているか?

一方、気を遣われる側―自分が何をやりたいかを示せていない側―は、相手が自分に気を遣って接してくれていることにちゃんと気がついているか。その気づきがあるかないかで大きく違う。気づいていれば、少なくとも自分でどうにかしようと気持ちにもなるから、まだ救われる見込みはある。自分で具体的な行動をとって自分の欲望を見つけ直すようにすればいい。何もむずかしいことをする必要はない。欲しいもの、やりたいことに臆せず手を出せばいいだけだ。

ただ、まわりが自分を世話してくれているから、なんとか自分が成り立っているということに気づいていないとしたら、これはかなり危うい。おそらく、多くの大企業が陥っているのは、そういう症候だろう。自分が何をやりたいか、何が欲しいかわからないもの同士が、傷を舐めあってしまう。それはそれで心地好かったりもするので、自分が他人に与えられたものでしか自分を満たせていないことに気づかない。気づきそうになっても目をつぶることができてしまう。日々を調整や会議に追われているだけで、自分が何も生産的な仕事に関われていないことにさえ気づいていなかったりもする。とうぜん、そうした環境からは、売れるもの、人が欲しがるものは生まれてこない。

やりたいことをやりたいと主張する

ただ、他人が世話をしてくれる、気にかけてくれるのは、若いあいだだけだ。歳をとるごとに他人は世話を焼いてくれなくなる。しかも、自分の側でも目新しい物事に出会う機会は減る一方だから、やりたいことや欲しいものに出会う確率はどんどん減っていく。そうなったときに、自分から積極的にやりたいこと、欲しいものを見つける力をもっていない人はつらいだろう。先にも書いたとおり、それでは他人が欲するもの、やりたいことをつくっていくことができず、ビジネスに貢献できないからだ。若いときなら育ててどうにかしようと気にかけてくれる人も、ある程度、歳をとった相手にはなかなかそういう手間もかけてくれない。

そうなる前に、普段からやりたいことをやりたいと主張しておくことが大事だ。社内で、そして、会社の外の世界に対して。やりたいことをやれるようにするためには、その前にちゃんとやりたいと主張する必要がある。もちろん、主張しても必ずしも、やらせてくれるとは限らない。それはそれでいいのだ。そしたら、別のやりたいことを見つければいいし、粘って違う主張の仕方でやりたいとしてみてもいい。とにかく1回の主張で、自分のやりたいことができるなんてことは稀だ。相手がやらせてくれるのは、熱意が伝わるか、そのやりたいことに明らかにメリットがある場合だ。いずれにかける努力がなければ、やりたいことはできない。

ただ、できなくてもやるしかないのだ。やらせてもらえないなんて言って他人のせいにしたところで、やってないのは自分自身だ。そんな風に他人のせいにして自分を誤魔化す前に、ひたすら努力して、相手がやらせずにはいられないような、その分野の権威になるくらいになるつもりで、ひとりでもやればいいのだ。

本当にやりたければ、そんな苦労も大したことではないはず。ひとりでやり続けるのは多少は努力が必要でも、楽しいはず。やりたいことなら楽しいに違いない。
やりたいことをやるべきなのは、それが楽しいことだからでもある。楽しさを知ることが必要なのだ。楽しさを知らなければ、それを相手にも伝えられない。相手に伝わる楽しさを知らないから、うまくいかないのだ。楽しさを知らずにマーケティングやら、ものづくりをしているつもりになっているから、どんどん、そのビジネスはシュリンクしていっているのではないだろうか。



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