特にタッチパネルのついた機種はひどかったですね。使いにくいどころか、使えない機能がある機種もちらほら。
まさに、料理は運ばれてきたけど、「あのー、箸はないんですか?」という感じで、機能は目の前に提示されてるけど、肝心の操作方法がない。仕方なく隠れている通常のボタンを出して、これまで通りの操作をするという具合。
それって売っていいんでしょうか?と思うものもありました。どこのどの機種とはいいませんが。
そこで思うのは、これって売りだす前に実際に誰か使ってみたりしてるんでしょうか?ということ。
それくらい、専門家評価(例えば、ヒューリスティック評価)以前のユーザビリティ上の問題が山積みになっているのが現在の日本製のケータイの現状だったりするようです。残念。
ねぇ、自分でちゃんと使ってみた?
自分たちで作ったものを実際に使ってみる。それって、ものづくりをする人たちが最低限やることなんじゃないんですかね。意図した機能が実際に操作できるかどうか。箸がなかったら料理が食べられないくらいのことは、やってみればわかるんですから。いや、もしかしたらやってるつもりだけど、そもそも前提とする操作方法がおかしいのかな? いや、箸がなきゃ食べられないのがわからないという想像力のなさというのはいくらなんでもないでしょう。
大抵のメーカーさんって品質保証に関するISOを取得していると思いますが、そのあたりの検証はないんですかね。それとも、それは仕様だからスルーなんでしょうか。
いやいや、そんな検証うんぬんではなく、ちゃんと設計した人が自分自身がユーザーになったつもりで使ってみるのが先決でしょう。
そのタッチパネルでWebの閲覧できるの?
そのサムネイルが並んだ状態で必要な写真を見つけられるの?
そういう最低限、ケータイでやることができるかどうかを自分でちゃんと試しているんでしょうか。そんな疑問を感じるくらい、ちょっとまずい状況。なにしろ基本操作がおぼつかないのだから。
他人に評価をたのむ前に、自分たち自身で評価してみるほうが先決です。そうしないと絶対によくならない。自分たちで自分たちのつくったものに触れ、自分たちで頭を使って評価する。それをやらなければ、いくら他人の評価を聞いても、そんなの役に立ちません。
もちろん、ここで書いていることはケータイのデザインに限ったことではないはずです。
他にもおなじように迷走状態に陥ってしまったもののデザインはたくさんあると思います。
自分でこだわって商品を選んで買っているか
話がちょっと逸れますが、ものづくりの企画やデザインや設計や開発に関わっている人って、ふだん、ちゃんと自分自身がユーザーとしていろんな商品やサービスにこだわって、選んだり買ったり使ったりしてるのかなって疑問に感じるんです。もちろん、あらゆるものにこだわっている必要はないけど、せめて自分が気にかかるいくつかの商品やサービスのカテゴリーに関しては、ちゃんと自分でこだわって買ってほしいし、使ってほしいなと思います。
だって、ものづくりに関わる人が普段の自分の生活のなかで、ものにこだわり、ものを見る目を養っていないと、自分たちがものをつくる際に、ユーザーのものに対するこだわりを想像できないと思うから。自分のこだわりを満たさない商品をユーザーがどう感じるかをイメージできないと思うから。
これ、無料のものだとだめだと思うんですよね。お金をだして買うというコストを支払うから、ものを選ぶ目って養われるのだと思います。ちょっとくらい財布を痛ませないと、学ぶことはできないんだと思います。
自分の生活のなかで自分が使うものを自分でしっかりこだわって見極めて選択し購入する。そんな風にして普段から自分のものを見る目を養ったり、人がものにこだわり、そのこだわりをどう購買行動や使用行動に反映させているかを自分自身を通して理解することをしていないと、実際に自分たちがものをつくる際にも、買う人、使い人の気持ちが見えないのではないかと思うんですよね。
なぜ商品を育てるという戦略をとらないのかな?
さて、話を戻しますが、できのよくないものづくりが目立ってきた理由のもう1つには、やっぱりいろんな商品を作りすぎ、ころころと商品のコンセプトを変えすぎというところもあると思うんです。iPhoneとか、まったくその逆ですよね。新しいバージョンができてきても前のものから基本コンセプトは変わらず正常な進化をしています。それに変にいろんなバリエーションがあるわけではなく、別の商品であるiPod Touchですら、それほど違わない。
これって大事なことだと思うんですよね。
1つは開発期間やコストの面で明らかに有利ですよね。よく開発期間が短いから問題点をつぶしきれないまま出してしまうみたいなこともいわれますが、それって毎回、違う商品を出すたびにゼロから新しいコンセプトでつくろうとするからなんじゃないでしょうか? 前の積み上げをまったく活かせないから、すべてをまたゼロから積み上げなくてはいけない。それではいくら時間があっても足りませんよね。
そうではなくiPhoneのように基本的なコンセプトはおなじのまま、それぞれのフェーズでの課題に注力してそれを解決した新しい商品を出す。あれやこれやの課題をいっぺんに解決しようとしたら、たとえ個々の課題は解決されたとしても、トータルではおかしなことになってしまうというのは避けられないと思います。プロダクトデザインとUIデザインの連携がバラバラ。いや、それどころか、もっと細かな部分で統一感がないどころか、互いに矛盾しあうようなことが平気で同居してしまうようなことも珍しくありません。
もともと日本人ってトータルな目で構造的に物事を組み立てるというのは、そんなに得意じゃないほうなんだから、そんな短期間ですべてをゼロから積み上げるような開発戦略でうまくいくわけないと思うんですよね。
もう1点は、商品ブランドの視点での重要性。商品が毎回新しいものが出るたびにころっと変わったら、ブランド価値を蓄積するってこともむずかしくなりますよね。これまた、iPhoneには初代からのブランド価値の積み上げ、いや、それどころか、iPodや、Macのブランド価値までついてきてるわけなので、その時点で結構差がついてますよね。どうして、そうした1つのブランドをゆっくり時間をかけて育てていくという戦略をとらずに、毎回、焼畑農業のようにすべてを灰にした更地の状態からはじめようとするんでしょうね?
自分たちが正しいと思う道を進む
自分たちが正しいと思う道を、使う人の声に耳を傾けて修正をかけながらも、じっくりと進んでいくというのが、どうしてこうもできないんでしょうね?そういう自分たちの信念やヴィジョンみたいなものがないまま、進んでしまうから、右往左往迷走して、結局、料理は出来たけど、箸を用意してなかったなんて状況が生まれてしまうのではないでしょうか。
これはユーザビリティうんぬん以前の、ものづくりが抱える大きな課題ですよね。
小手先のユーザビリティの改善ではどうにもならない部分が大きすぎます。
とにかく、この状況はなんとかしていきましょう。
P.S.
これはもしかしたら、シナリオと要件のリストを渡して、ひたすらペーペープロトタイピングと利用シミュレーションをやってもらうワークショップを企画してもいいのかも。
ちょっとそれで使えるインタラクションをデザインするということはどういうことを感じてもらったほうがよいのかな、なんて思いました
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この記事へのコメント
わっきー
大変興味深く読ませて頂きました。
ここでは携帯電話の話ですが
「道具を生み出す人 / 使う人」の間の温度差や
それに対する視点の違いを改めて意識する事が出来ました。
私も個人で製作・販売を行っているため
「作り手の考え」にどうしても重きを置いてしまいます。
実際に使う方・使った方のお話を伺い
「より良い道具となるには、何が必要か」を
勉強させてもらっています。
携帯電話を見ていると、元々の使い道以上の意味を持たそうとして
迷走してあっちこっち走り回っている風に見えてしまいます。
使い勝手より目新しさ、ライバル社に勝つ、等々
道具としての意味より先に別の価値を持たそうとしているようで
機械がちょっと可哀想に感じる事も…。
勝手な思いですが、製作者の愛情を感じないものが多いです。
「用の美」という製作者も使用者も納得のいく機能・デザインコンセプト
それを考えない方が直線的に商売に繋がるのでしょうが…。
不便で、寂しいです。
>料理と箸
製作者からすると
「俺は箸なくても食べれたよ!だからみんな食べれる!」
って感じでしょうか。
長文失礼致しました。
分断された製造現場が原因では?
2.その設計書通り下請けが製造します
元請けの経費=人員をなるべく少なく、下請けの人員を最大化するのが利益最大化の早道
しかし、元請けと下請けのモチベーションにはかなり温度差があります
下請けは設計ミスを指摘してあげたとしても、自分たちの納期的に不利になる改善提案をすることは希です
数少ない元請けのエンジニアは、今まで以上に最小の時間=経費で今まで通りの作業をこなすことが求められています
余裕のないプロジェクトは、ほんの些細なミスが致命的になりやすいのが現状なのです...
数多くの下請けのエンジニアは、早い段階で問題に気がついていたはずです。しかし、それについて意見することで自分たちが不利益を被るなら言いません
つまり、元請け・下請けの間に意識のズレが生じていたのです。プロジェクトマネージャーはそのズレを修正し、共通認識を再構築する責任があるはずですが...経費削減圧力で成果物が抽象的な問題には対処する時間が割けない...
私にはそう思えるのですが
わっきー
「設計→製造」分業で、入り口と出口にズレが出るというのは
よくある、よく聞く話ですね…。
>数多くの下請けのエンジニアは、早い段階で問題に気がついていたはずです。
>しかし、それについて意見することで自分たちが不利益を被るなら言いません
>プロジェクトマネージャーはそのズレを修正し、共通認識を再構築する責任があるはずですが...
>経費削減圧力で成果物が抽象的な問題には対処する時間が割けない...
このふたつがが出来ないのは、企業の土壌が良くないのか
日本の社会がそういう土壌なのか
単純に経済的なことなのか…。
「打ち出す側にいる人は必ず意識する、意識しないといけない事」だと思っているので
やはりこの二つを解決出来ない事は、大問題に感じます。
経営的な事、時間的な事、全てが解決出来る事ではないですし
8割方出来上がってから「これじゃイマイチ」といって止める事も出来ず
不満足ながら発売…という事だったとしても
「じゃあ修正出来る内に煮詰めておけ」と思ってしまうんですが
でもそれで素晴らしいものが出来たとしても売れるとは限らず
ならばそれなりに造りそれなりに売れれば…という選択も会社としては当然!
とは思いながら、でも…でも……と
「使う側の勝手な言い分」になってしまった…。
上から下へ、元請から下請への一方通行ではなく
アイディアを出す・実際に造る、双方の意見交換が今より少しでもあれば
少しでもフットワークが軽くなれば
今より良いものが増えそうな気がします。
>余裕のないプロジェクトは、ほんの些細なミスが致命的になりやすいのが現状なのです...
フットワークが軽くなるには、色んな面で余裕がないと無理で…。
多くの方が感じ、ジレンマの中にあるんだと思いますが
「やっつけ仕事でも売れれば官軍」というのは
やっぱりちょっと寂しいですね。
おk
モノづくりが好きな人の比率の結果だと思います。
金儲け好きが過ぎると、結果として金を設けられない。
アップルほどモノづくりがすきではないんでしょう、経営者が。
商品の数は多いけど、ほんとに欲しいと思えるものが圧倒的に少ない。
ほんとにいいものはちゃんと売れるってことなんで、僕たちのチャンスですね。
他社さんには今のまま小金儲けに走ってもらいましょうよ。