正しい行動を行うための3つのステップ

マーケットをみて顧客をみない。マーケットをみるのも競合他社の動向や流通をみる。いや、いちばん目を向けているのは社内の上司や他部門のことかもしれません。あるいはまわりに目をやる余裕もなく、ただ目の前の自分の仕事を処理するのに精いっぱいだったりするのでしょうか。

それでは売れる商品など、なかなか生まれてくるものではありません。
ヒットするサービスなど、つくれるわけもありません。

自分たちの社内や自分自身の仕事のことにしか目を向けず、外の世界をみることがないのなら、どうして外の世界から評価されるものが生み出されるのでしょうか。

問題を小さく捉えることができない

なかには、そうした現状を憂いて、ちゃんとしたものづくりをしたいなどと口にする人もいます。そのものづくりの対象は商品であることもあれば、自社のWebサイトであることもあったりします。

でも、ちゃんとしたものづくりをしたいと口ではいうものの結局何のアクションも起こさず現状を憂いているだけだったりもします。何のアクションも起こさないのなら、完璧にちゃんとしてはいなくても、まずはできる範囲でいままでの仕事を改善したほうがいいと思うのですが、そうはしないのです。相変わらずおなじやり方で商品づくりをしたり、自社のWebサイトをリニューアルもせずにほっておいたりしてしまいます。

問題を小さく捉えるということができないんですね。自分たちがすぐ手をつけられない大きな問題ばかり捉えても時間の無駄です。それより自分たちがしばらく何も変えられていないのだと感じたら、すこし無理すれば自分たちでもどうにかなる小さな問題に焦点をあて、それを素早く解決してしまうということも、結局は大きな問題の解決へ通じる近道だったりします。この「すこし無理すれば」というところがポイント。まったく無理しないのなら、それは現状のままということでしょうから。

問題を小さく捉えられないというのは、結局、現状がちゃんとみえていないということだと思います。社内しかみていなかったり、自分のまわりの仕事だけしか、ちゃんと目を配っていないのでしょう。外から自分たちの仕事がどうみられているか(あるいは、どう無視されているか)を確かめてみようともしていないのではないでしょうか。

正しい行動を行うための3つのステップ

自分たちの関わる現状をみて問題を正しく捉えること。これがマーケティングにおいても、ものづくりにおいても大事なポイントであるはずです。

正しい行動を行うプロセスというのはすこし乱暴に簡略化すれば次の3つのステップしかないと思っています(念のため書いておくと、この場合の「正しい」はやってる最中にはわからなくて、あとで外から評価されて決まるビジネス的正しさです。ようははじめから決まった答えなどはない)。

つまり、

  • 現実をみて問題を正しく理解する
  • 問題解決のためのコンセプトを生みだす
  • コンセプトを具現化するための実行案を作成し実行する

の3ステップです。
このうち、2番目の「問題解決のためのコンセプトを生みだす」というステップが、『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』で「ひらめき」と呼んだ発想の部分にほかなりません。

また、同書で川喜多二郎さんのW型問題解決モデルをつかって説明したとおり、この「ひらめき」の部分をのぞく、ほかの2つのステップは基本的に、自分たち内部で完結できる仕事ではなく、自分たちの外=企業外をみて、それらと交わりながら、問題発見~問題解決を行うステップです。
この外をみる、外と交わるということを問題発見~問題解決のあいだにやらないから、いつまでたっても自分たちだけの袋小路からでることができないのだと思います。

3つのステップのいろんな形での分解の例

乱暴に3つのステップに簡略化しましたが、もうすこし丁寧に分解すれば、いろんなプロセスに合致します。

たとえば、IDEOなら、これを理解→観察→視覚化→改善→実行というプロセスとして分解します(cf.「IDEOにおけるデザイン・プロセスの5段階」)。
おなじ人間中心のデザインでも、アラン・クーパーのゴールダイレクテッドデザインなら、調査→モデリング→要件確定→フレームワークの設定→デザインの精緻化→開発サポートというステップに分解されます(cf.「ゴールダイレクテッドデザインとは」)。

あるいは、マーケティングマネジメントの世界であれば、市場の現状を理解し、セグメンテーション~ターゲティング~ポジショニングを考えながら、消費者のニーズ・ウォンツを明らかにしたうえで、それを商品・サービスのベネフィット、それを実現するための商品属性へと展開し、具体的な商品デザインを行い、同時に販売計画や生産計画なども立案しながら、実際の販売までもっていくというステップになるでしょう。

詳細化のレベルや個々のステップの呼び方は違っても、結局のところ、先の3つのステップをそれぞれのフィールドでの問題に適応して詳細化しているのにすぎません。

いずれも、観察や調査、リサーチというものをプロセスの前半部にもってきて、きちんと現状を理解し問題を捉える段階があることは決して軽視してはいけないことだと思います。現状をみずに自分たちが解決すべき問題がみえてくるはずはないわけですから。

コンセプトワークのための材料

先日、ユーザー中心デザインに関するワークショップの講師をした際に、参加者の方から「上司にこうしたペルソナだとかユーザー中心のデザインの必要性を理解してもらうにはどうしたらいいでしょう? ペルソナとしてひとりの人に絞ってしまう意味をどう説明すればいいでしょう?」という質問がありました。

そのとき、僕がまず最初にいったのは「僕は逆にユーザーのことを知らずに、なぜデザインができるのかわからない」ということでした。あまりに瞬間的にでたので自分でも実はちょっとびっくりしたのですが、実際、利用する人のことを考えずにどうやって機能やスタイルや価格や販売場所を決めているのだろうかと本当に疑問に思うんですね。

相手を知ることで自分たちのアクションが変わる」でも書きましたが、利用者も含めて自分とは異なる他人のことを知るというのは、自分の発想のきっかけを得るためだと思うんです。自分以外の他者の生活、行動に目を向けて仕入れた情報こそがコンセプトワークのための材料です。
それをしなければ、結局、最初から自分の頭のなかにある材料だけで物事を考えることになってしまうのではないでしょうか。

誰のこともみていないのなら…

知るということは何より未知を知るということだと思います。

当たり前ですが、既知のものを知るということはできません。未知のものだからこそ、新たに知ることができます。だから、知るというのは、最初から自分の外に向かう行為だと思うんです。自分の外に出るのをこわがっていたら、何も知ることなどできません。問題を捉えることもできないのです。

先のことばに続く僕の答えはこうでした。
「ひとりの人に絞ることの是非以前に、現状はひとりのユーザーのことも見ていないのではないですか? ひとりに絞るのに問題があるのなら、異なるユーザータイプのペルソナを複数つくって、その全員の要求を満たすデザインを考えればいいと思います。いろんな人がターゲットだというのなら、いろんな人を可能な限り包括できるだけのペルソナを何体かつくればいいだけです。それをせずに、うちのユーザーはいろんな人がいるというだけで、その誰のこともみようとしないのがいいことだとは思いません。」と。
そうしたことを丁寧に上司に説明してみては、というのが僕の答えでした。

そう。いろんなタイプのユーザーがいるといって、その誰のこともみていないこと自体が問題なのではないでしょうか。
そのうち、何人かでも実際にその相手のことをちゃんと観察してみれば気づくはずです。いかに自分たちがそれまで何もみていなかったということを。

未知を知ることからしか、自分たちがいま解決すべき問題を正しく捉えることはできないはずです。



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