2009年08月15日

2009-08-15:西洋家具の美−18世紀の英国を中心に−

日本民藝館で行われている特別展「西洋家具の美 −18世紀の英国を中心に−」を見てきました。会期が明日までということもあり、かつ明日は仕事で行けないので、今日しかないと思って出かけたのです。



柳宗悦さんが蒐集した17、18世紀の英国を中心とした椅子や箪笥や机などの館蔵品、そして、松本民芸家具所蔵の家具を加えた展示でした。
その他併設展示として、バーナード・リーチ作品、朝鮮(李朝)の陶磁、木工、古伊万里染付磁気、アイヌの工芸品、沖縄の織物が展示されていました。

西洋家具の美

展示してあったものは18世紀の家具が中心で、なかには17世紀のものも混ざっていました。日本でいえば江戸時代の前・中期にあたる時代のものになりますよね。
椅子やチェストなどは比較的保存状態もよいものでしたが、風雨にさらされたはずの扉などはだいぶ朽ちて装飾も削れていました。

それでも、それが味になるのが木材のよいところではないかと感じます。ちょっとわかりにくですが、このパンフレットに載った教会用ベンチなども装飾が削れかえているところが、非常によい雰囲気になっています。



日本の古い家具や朝鮮・李朝の家具などのもつ繊細さはありませんが、逆にその幾何学的モチーフで形作られた佇まいには厳格な思考や信仰の積み重ねを感じさせる力強さがあります。

「西洋では英国のものを、東洋では朝鮮のもの」として、英国の家具を高く評価していた柳は、西洋の家具について次のように述べています。
「時代をゴシックあたりまで遡らすと、西欧のものは皆その美しさにさしたる上下がなく、一列に見応えがある。いつも背後に時代の大きさや宗教的な感情が動いている。だが近代になるにつれて、国々の有ち味が分かれ、一体に格が下がってしまう。中で一番正格を保って品物に骨を残しているのは、何といっても英国のものかと思う。(後略)」
「特別展 西洋家具の美 −18世紀の英国を中心に−」パンフレットより

200年以上前の産業革命、近代デザイン以前の西洋の家具をちゃんとみたのは、今回がはじめてでしたが、なぜウィリアム・モリスが手工業の美を損なう機械工業の嫌って、アーツアンドクラフツ運動を、柳宗悦さんらが日本民藝運動を行っていたのとほぼ同時代に行っていたが、あらためてわかるような気がします。

ものづくりを機械化するということ、日々使うものを大量生産品にしてしまうということは、それまでの宗教的思考・信仰を失い、みずから考えることを放棄してしまうことだったんだろうと思います。ものや自然との直接的対話を捨て、積み重ねてきた文化の分厚い蓄積を捨て去り、薄っぺらで表象的・記号的なものと思考の世界にはいってしまったのが、手仕事でのものづくりを破壊した産業革命以降のことだったんだろうと、今日の展示で並べられた家具の数々をみて感じました。

16世紀末までの西欧文化においては、類似というものが知を構築する役割を演じてきた。(中略)大地は空を写し、人の顔が星に反映し、草はその茎の中に人間に役だつ秘密を宿していた。絵画は空間の模倣であった。そして表象は―祝祭であるにせよ知であるにせよ―つねに何ものかの模写にほかならなかった。

本当の意味での思考とは―

そんなことを思いつつも、家に帰ると、うちには結構手仕事でつくられた民藝品が待ていてくれるので、ほっとします。最近はこうした手仕事でつくられた品々を日々使うこと・触れることが本当の意味での思考であると感じます。
もちろん、自分自身でもこうした手仕事でのものづくりにたずさわれるともっと違うでしょう。自然を相手にする仕事を日々行っていれば、それ以上であるはずなんだろうと叶わぬ希望を抱きながら。

それに比べたら、オフィスで人間や記号相手に行う仕事に思考など、ほとんど必要ないだろうなと思います。現代の職場では人は考えているふりをしているだけだから、反対に、本気で考えようとした人が逆に考えることができずに困ってしまいます。そんなことが起きているのがいまの職場環境、生活環境なのだろうなと思います。だから「思考術」なんてものが求められるんでしょうね。とはいえ、「思考術」を冠した書物のほとんどが思考について触れているとは思えませんが―。

自分の頭のなかに詰め込んだ意識あるいは世の中に蓄えられた知識をただひたすらこねくりまわすことが「考える」ことだという勘違いが、いまの世の中を覆ってしまっているのでしょう。
自然にはたらきかけず、自身の身体や感性、生死にはたらきかけることもなく、本当に考えることなどできるはずもないというのに

今日の夕食



先日2枚買った木工のパン皿も1枚のほうばかりを使っていたら、ほんのわずかのあいだに使っていたほうが油を吸って味が出ていました。冷蔵庫にいれてまださほど時間が経っていないために冷めきらないラタトゥイユも、涼しげなガラスの器に盛ると冷たさを感じさせてくれます。


  

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posted by HIROKI tanahashi at 23:53 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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