ユーザー理解とは―

ユーザーを理解するというとき、その「理解」というものを間違った形でイメージし、理解しているケースが意外と多くみられます。とりわけ多い間違いは、ユーザーとなりえる人の人となりすべてを理解することが、ユーザー理解だと思ってしまうことではないでしょうか。あるいは、漠然と理解するというだけで、何を理解しようとしているのかのフォーカスがなかったりすることもあります。

そもそも、特定の人間のすべてを理解するという漠然としたイメージでそもそもどんなことを理解しようとしているのかもよくわかりませんが、普通に考えて、ひとりの人間のすべてを理解することなんて、そうそうできるはずもありません。長年付き合いのある友人や家族だって、その相手のことを理解できているなんていえないでしょう。

それなのに、ユーザー理解となると、その人のことを簡単に理解できてしまうと考えてしまうのは、ちょっと考えが足りないのではないかと思います。よく考えずに、ユーザー理解ということばを用いて、それならユーザーを調査すればよいのだと安直な発想で調査を企画実施していないでしょうか?

ユーザー理解というのはそういうものではなく、あくまで人があるモノを使う場―まさに、ある人がユーザー=使う人になる場―におけるユーザーの行動、その行動が行われる状況、その行動を行ったことによる心理的変化などを把握、理解しようとする活動です。
そのため、人間を理解しようとするだけでなく、あるモノが使われる場で「使う」という行為が行われる状況全体(もちろん、使う人を含めて)をひとつの相互依存的なシステムとして理解することが求められるのです。

ユーザー調査における3つの間違い

上記のように「ユーザー理解」というものを捉えると、フィールドワークや会場でのユーザーインタビューなどの形式で行われるユーザー調査の課題も浮かび上がってきます。

ユーザー理解のためと称して行われるユーザー調査で、みられながちな間違いとしては次の3つがあります。

  • 対象とコンテキストの相互関係をみない。動きのなかで捉えない。
    対象者の行動は、その行動が行われる場のコンテキストに依存しています。状況が変われば、対象は必ずしもおなじ行動をとるとは限りません。
    しかし、そうした行動と行動の状況=コンテキストとの相互依存性をみることなく、対象の行動をコンテキストから独立したもの―対象者の固定した性質、行動パターンとしてみてしまうと、事実の正確の把握ができず、問題の本質を見誤ってしまうことがあります。
    あくまで、その行動が行われた状況との相互依存的な関係の動きのなかで捉えることが大事です。「動きのなかで捉える」ということについては「点の思考、線の思考」でも書いていますので参照ください。
  • 自分の固定観念で対象(の行動)をみてしまう。
    自分と対象者のコンテキスト(生きる環境、行動の理由、etc.)の違いに気づかずに、自分の物事の見方の枠組みから対象の行動を捉えてしまうと、対象の行動の意味やその背景に存在する潜在的なニーズを取り違えてしまうことがあります。『デザイン思考の仕事術』で繰り返し「自分の外に出る」と書いているのは、それゆえです。
    特に、あらかじめ自分が用意した質問を投げかけて、その答えのみで対象のことを理解したつもりになるのは避けなくてはなりません。そもそも、その質問のフォーカスそのものが相手を理解するのに適した質問かどうかはわからないのですから。調査会場で話を聞くよりも、実際の人びとの暮らす現場で、実際の暮らしの場面に触れたほうがよいのもそのためです。どうしても話だけですと、自分が普段つかっていることばのイメージで、相手のことばを理解してしまいます。それを避けるためにも、実際に自分の眼でみるとか、自分でも体験するということが大事です。
  • 正しい対象に目を向けない。
    対象をどうみるかということ以前に、そもそも適切な対象を選べていないということもあります。いくら正しい見方を身につけていても、間違った対象からは間違った答えしかでてきません。
    そうした間違いを犯さないためにも、対象を理解するための調査を実施する前に、自分たちに「わからない」ことは何かを明らかにしておくことが必要です。つまり「わかっている」ことをそれぞれ出し合うことで、空白としての「わからない」を焙り出しておく作業をするのです。
    そうした事前の作業が、では、その「わからない」の答えをみつけるためには、どんな場にいけばよいのか、どんな状況で活動を行っている人を対象にすればよいかを考えるためのヒントとなるはずです。「利用状況」を把握するのか、「生活」を把握するのかはまったく別のことです。自分たちは何を把握しようとしているのか。そこから対象の選定を含めた調査設計を行うことが重要です。

よく「相手の立場になってみろ」といいます。それは相手の気持ちを察しろという意味とは違うと思っています。
あくまで相手が立っている立場=コンテキストを自分でも体験したうえで、そこからだと物事がどうみえるかをイメージすることだと思います。



自分の物事の見方の枠組みのなかで、いくら相手の気持ちを想像しても、それは単に自分の価値観、固定観念で相手を評価しているだけです。そうではなく相手のコンテキストとおなじ場に立ったうえで、相手と自分の価値観、固定観念の差分に気づくことが大事なのです。
相手の立場からみた自分の枠組みに気づくことこそがユーザー調査で最低限求められる発見でしょう。

他人とのコンテキストの違いを捉えられるか

自分と他人の生きるコンテキストの違いを理解すること。それが調査で対象となる人びとを理解するうえでの大前提です。

日常生活で、家で子どもの世話や家事をして一日を過ごし、子どもの友人のお母さんたちの狭いコミュニティのなかで長いあいだ生きていかなくてはいけない妻と、外に出て職場でさまざまな理不尽な苦労をしながら、それでも毎日仕事に行くしかない夫が、それぞれおたがいの関心事や悩みをくだらないと感じてしまったり、上司と部下がたがいに異なる立場の悩みや不満を理解しないまま、相手は何もわかっていない、考えていないと愚痴をいうのも、おなじようなものです。
明らかに生活におけるコンテキスト、状況が異なる立場にいる者同士が、相手のコンテキストを理解しようともせず、ただ相手の行動や発言だけで、相手に不当な評価をするといったすれ違いもまさに、自分の枠組みの外に出られないための相手に対する無理解から生じるものでしょう。

コンテキストが違えば、おなじことばでも意味は異なったりもしますが、お互いに相手と自分のコンテキストの違い、立場の違い、視点の違いを理解しないまま、おなじことばに対する相手の見方・考え方に関する違和感から、相手がバカだと感じたり、相手が何も考えていないと思ってしまったりもします。それは人間にとって目にみえている世界はそれぞれ違うのだということを理解できていないがゆえに生じてしまうすれ違いです。

見ている対象が変わるから驚くのではなく、自分が変わることで驚く

さまざまな調査方法を用いて、ユーザー理解をしようと考えるなら、まず、こうした間違った解釈の要因となりうる、自分たちの物事の見方のフレームワークをいかに超えて、むしろ、対象となる人びとの視点から自分たち自身の偏った見方を打開するかを、しっかり考え、計画したうえで調査にのぞむ必要があります。

そして、そうやってきちんと準備をしてのぞんだとしてもなお、実際の調査では自分たちの偏った目で対象を理解してしまうという罠があることを意識して、さまざまな工夫をして相手の立場に自分をおくという努力をすることが大事です。

調査をするなかで何か目新しいことはないか、自分が知らない事実がないかと探しても、そんなにこの世のなかに多くの新奇の発見があるわけではありません。そうではなく調査で大事なのは、自分の視点そのものを変えるきっかけを発見することです。見ている対象が変わるから驚くのではなく、自分が変わることで驚くんです。本当の意味での「わかる」というのは、そんな風に自分が「かわる」ことを指します。

そう。新しいものを発見するという意味を捉え間違えてはいけません。変わったことを見つけるのではなく、自分の見方の変化によって驚く。それが発見です。それが調査にのぞむうえでの大事な姿勢です。

いかにして「わかってしまう」という罠を避けるか」。
また、いかにして自分の固定観念の外に出られるか。
それをつよく意識して、ユーザー理解のための調査にのぞむことが必要でしょう。



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