ある事実を観察したとしても、
- 事実を特定の視点による特定の角度からしか観察できない
- すべてを観察することができず一部のみしか観察できない
- 観察者の意思が働いて、観察結果に事実そのままではない強弱ができてしまう
- 観察者それぞれで異なる見方をしてしまうので、おなじ事実をみても観察者によって解釈が異なる
ということが起こるので、観察した結果を、調査後、再度メンバー全員での分析作業により、上記の問題を補う必要があります。
多くの調査がこの分析作業を重視しないので、多くの事実が抜け落ちてしまったり、ゆがめられて解釈されてしまうため、せっかくの調査が具体的な問題解決に活かせません。
なぜ、KJ法は失敗するのか?
観察やインタビューを主体とした質的調査の結果を分析する方法には、KJ法やグラウンデッド・セオリー・アプローチなどのさまざまな手法がありますが、ここでは僕自身がおもに使っているKJ法に関して、よくある失敗の原因についてまとめてみようと思います。注:KJ法というと、ペルソナを作成する前段階で使う手法だと勘違いしている人も多いようですが、そもそもバラバラに集めた質的データを、いかに包括的な視点でそれらの関係性を組み立て、部分をみていたのではわからなかった新たな発見をするかという手法です。創造的に問題発見を行う発想法です。
ですので、当然、あらゆる質的データの分析に応用可能です。ユーザー行動を観察した結果だけでなく、組織内のスタッフが個別にもっているビジネス上の問題に関する質的なデータを統合して、問題の全体像をつかむといった場合にも。
『デザイン思考の仕事術』
以下では、このプロセスの各段階それぞれについて、よくありがちな失敗をあげてみようと思います。
- 単位化の失敗
- 他人がみて、どういう状況の行動を抜き出したのかがわからない。
- 要約しすぎてしてしまう。元々の行動の文脈が抜け落ちたり、具体的な内容が失われる。
- 勝手に「これはいらない情報だ」と判断して単位化しない。情報が不足する。
最初の作業は、集めた質的データを単位化する作業ですが、ここでの失敗は集めたデータを漏れなく抜き出せなかったり、抜き出す際にデータをゆがめてしまったりすることにあります。
せっかく集めた事実を、この単位化の時点で抜け落としたりゆがめてしまえば、あとの作業はそうした抜け漏れのあるゆがめられた情報を必死で分析することになるので、結果はとうぜん抜けがあり、ゆがんだものになります。
これがどうしていけないのかは考えればわかることだと思いますが、実際の作業現場ではこうしたことが当たり前のように行われてしまいます。注意しなくてはいけませんね。
- 統合化の失敗
- 似ているものをつなぐことをせず、カテゴリーに分けてしまう。
- 観察対象の人びとの行動のなかの体験そのものを想像せずに、カードに書かれた言葉のイメージだけで分類する。
- 最初に大きなグループに分けてから、小さなグループを作ろうとする。
- グループ化したものに、そのグループに含まれる特徴をすべて含んだ適切なラベルがつけられない。
- ラベルが貧弱なため、ラベルとラベル同士の類似が見つけられない。
KJ法で一番苦労するのは、この統合化の作業です。とにかく普段、思考の別化性能(違いで分ける)ばかりはたらかせている現代人は、似ているもの同士をつなげるという類化性能をはたらかせるのが苦手です(別化性能/類化性能については「古代から来た未来人 折口信夫/中沢新一」を参照)。「似ているもの同士で小さなグループをつくってください」といっても、ついついデータを大きなカテゴリーに分析してしまう。実際に観察した行動の文脈を無視して、カードに書かれた言葉の同一性(「検索する」「お得なものが好き」など)でカテゴライズしてしまう。求められているのは、「分ける」ことではなく「つなぐ」ことなのに、表面(言葉)の同一性に眼を奪われて、人びとの行動や体験そのものの背後にある類似性に眼を向けることが苦手です。
このあたりはひとつ前の「日本における生成の概念と「型と形」」で書いた、本来常に動き変化するものである物事をことばなどで固定化した形でとらえてしまい、動いている事物のなかの緒力に目を向けられないという現代人の傾向にもつながる話ですね。
また、グループにラベル(表札)をつける際もグループに含まれたデータすべての特徴を含むラベルをつけることができず、カテゴリー名のようなラベルをつけてしまいます(つまり、上の図のようなラベルでは特徴が表現できていないので不十分!)。本当に必要なのはラベルを見ただけでそのグループ内のデータがどんなものを想像できるラベルなのに、「検索」だとか「情報収集」のような無味無臭なカテゴリー名をつけてしまう。そうするとラベルをつけたグループ同士の類似性をみつけることは困難になり、小さなグループからさらに大きなグループをつくっていくKJ法の作業そのものが成り立たなくなってしまいます。
こういう頭の働かせ方は多くの人が普段まったくやっていないことなので、何度も繰り返してKJ法を行ってみて、こうした思考法に慣れていくしかないと思います。
- 図解化・文章化の失敗
- 図解化、文章化の作業を省く
- 個別の観察データを分析するワークモデル分析で見出した様々な関係性が活かせない。
- 文章化して、関係性の検証を行わない。
最後の図解化から文章化ですが、ここにはまずこの作業自体をそもそもやろうとしないという決定的な問題があります。KJ法を単なる情報の整理法だと考えている人に特にこの間違いをする方が多いのではないかと思います。
KJ法で行うべきことは、情報の整理ではありません。KJ法は調査などで集めたバラバラの情報に関係を見いだしながら、理論を組み立てたり、発想を創出する方法です。整理と違い、部分の全体は部分と一致しません。部分を組み立てることで別のものを生み出すのがKJ法です。
統合化の時点でグループ化、ラベルづけがしっかり行えていないと、とうぜん情報全体を説明する図解もつくれませんし、さらにその関係性をあらためて言葉にする文章化もできません。ただし、この文章化の作業によって、作業に参加したメンバー誰もが納得できる情報全体の解釈が生み出せなければ、KJ法をやる価値などないのです。この時点で調査データとおなじものしかメンバー間で共有できていなきとすれば、それはそこまでの作業プロセスのいずれかが失敗しているということです。あるいは、そもそもメンバーにKJ法の作業を行うスキルが十分備わっていないか。
事実と問題解決をつなぐ問題発見の過程
調査で事実を集めることと、企画・デザイン作業によって具体的な問題解決を生み出すことのあいだをつなぐ作業が、このKJ法などを用いた分析~発想の過程です。解決すべき問題そのものを発見~創出するのがこの過程です。事実に基づく発想がなければ、どんな問題解決案を思いつこうとそれはすこしも実際の人びとの生きる場での問題を解決するものにはなりません。問題が正しく定義されていないのですから、いくら解決案を考えても、解決すべき問題そのものにブレが出てしまいます。当然、問題と解決案のあいだにブレがあれば、具体的な解決案が生活の現場の問題にフィットしたものにならないのは当たり前です。
それなのに、多くの現場でこの大事な過程がおろそかにされています。
おそらく、この過程が普段使わない類化性能をつかうこともあって作業そのものが面倒に感じられるということもあるのでしょう。そうであるがゆえに普段要領良く仕事をしている人をこの作業から遠ざけてしまうのではないでしょうか。でも、「休み休みでも、最後まで自分が謎だと思うものにこだわり続ける」で書いたとおり、ときには愚鈍に面倒な作業にみずからを投じなければ、新しい発見には手が届かないはずです。
問題発見なくして問題解決なんてものはあるはずはありません。
この点に関しては、多くの仕事の仕方の見直しが必要なのではないかと思います。
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この記事へのコメント
愚者
これだとタイトルだけを見た人に、KJ法そのものが失敗する方法だと思われてしまう。
KJ法の注意点とか、成功するKJ法へのステップとか、ポジティブなタイトルをつけるべきであろう。
tanahashi
内容はごもっともと感じるところもありますが、言い方はあまりにも不躾ではないですか?
いきなり他人の表現にあれこれおっしゃるなら、ご自身の表現の仕方にも配慮なさられたはいかがでしょうか?
せめて「ですます調」で書くなど、人として、はじめて接する他者に対する配慮というものがあるでしょう。
それができないことこそ「拙い」のではないかと私は考えますが、いかがですか?
suzu
KJ法を成功させる上で一番キモなのは、ラベルが持つ「志(こころざし)」のようなものを互いに結びつけてゆくことやそのプロセスにあると思っています。
それだけに、取材ネットの張り方しかり、データの書き方しかり・・・ラベルそのものが質的に一定以上のレベルであることが必要です。そのためKJ初心者に正確なトレーニングを行っておくことが大切で、そこに骨が折れるわけです。
私の場合、結論を急ぐが故に方法論を軽視してしまう・・・そんな方が周りに多いんでしょうね(苦笑)
tanahashi
コメントありがとうございます。
「単位化」が失敗の緒源。ラベルの一定水準以上のレベル。
おっしゃるとおりですね。
素材が悪ければ、あとの料理の腕がどんなによくても、どうにもならない部分がありますから。
何をそこから得ようとするのか。
何を生み出そうとしているのか。
それを考えたうえで、素材を集める作業そのものを重視したり、集めた素材を適切なラベルに下拵えする作業が大事だと思います。
いずれにせよ「結論を急ぐ」。
これが多くの面で災いのもとになっている傾向があるのでは―。僕もそう感じます。
p
話されていることは正しいのではありませんか。
KJ法で検索すると、この記事はかなり上位に表示されます。
誤解を招くやすく、攻撃的な印象を受けました。
アクセスが多い以上、文責を意識することが必要になってくるはずです。
tanahashi
ご自分で書いてらっしゃることのおかしな点に気づいてます?
当たり前のことですが、 記事を書く時点で検索上位にこの記事はあるわけがないですし、もちろん アクセスもありませんでした。
それに大げさにいうほど、内容は攻撃的ではないでしょう。
おっしゃりたいことは、この記事が気に入らないから削除しろということでしょうか? 削除しなくていけないほど、この記事の内容は問題なのでしょうか?
K
わたしも検索したときに「KJ法そのものが失敗しやすい」といっているような印象を受け、なんだか攻撃性を感じてこのサイトをひらきました。読んでみれば違うということがわかります。しかし、やはりタイトルは誤解を受けやすいのかなと思います。ちなみに、Google検索でトップのほうにきています(2013年現在)。
愚者さんの書き方は確かにマナーのなっていないものであると思いますが、Pさんは削除しろといった意図でお書きになったわけではないと思いますよ。記事を書いた当初検索上位になくても、現在検索上位にあるわけですし、誤解を招く表現はひらたくされたらどうでしょうというような提案に感じます。文責のお話であって、棚橋を中傷しようとか削除させようとかそういった意図をもっているわけではないと(第三者は)思いました。単なる親切心では?
発言者がどのような意図で伝えようとしても、受け手がどう感じるかは別ですから、こうしたことはよくあると思います。長々と失礼いたしました。
井上
今度部内でKJ法を用いてディスカッションできればと思い、色々と調べていました。
わたくしもGoogleの検索でこのサイトの表題をみて、KJ法という方法論がそもそもうまくいかないものであるという印象を受けました。だからこそ開いてみたのですが、、、。
削除云々は大げさとしても、エントリーのタイトルを変えた方が読者としては違和感が少ないと思いました。
もし主様が読者の目線を特段気にしていないのであれば別にそのままでもよいと思いますが、読者に向けて有益な情報を発信されようとしている意気込みを感じましたので、コメントさせていただきました。
ohara
今回私が初めてやらされるKJ法について、(必ずしも完璧な方法ではない)KJ法そのものの問題や、(完璧からは程遠い)取り組む者が陥りやすい問題などを「タダで」勉強させて頂きました。ありがとうございました。
ところで「(検索上位にくるから)題名を変えろ」などの感想コメントはいったい何なのだろう?
「羅生門」が大ヒットした後で、「焼肉屋の話かと思ったら違うじゃないか」「焼肉屋と間違えそうになるから題名を変えろ」「大ヒットしているんだから誤解の無い様に題名をもう一度考えろ」「みんなが題名を変えろってて言うのは貴方への親切心だ」って作者の芥川龍之介にクレームをつけているようなもんですよ。
そうすれば芥川が「かつての平安京、平城京の大門であり、羅城門と書くのが本当だけれども、いまは当て字としてこのように書く羅生門(焼肉屋とは関係ありません)」と題名を変えると思っているのでしょうか?
なんだんだ?「文責」って。「文責」という用語の意味を勉強しろよ、と言いたくなります。
追記:メルアドが公開か非公開なのかがわからなかったので書き込みませんでした。
中崎知道
デミングが日本にやって来た時、その品質管理手法を導入しようと判断したのは各企業のトップ・マネジメントであり、その行為はまさにQMSの本質であったわけです。
1980年代からMBAに頼った米国のマネジメント手法が流行りだしたのは、日本のデミング賞が権威付けされ過ぎた反動があったのかも知れません。
今ではデミングの本は日本で入手不可能です(米国では未だに出版されていますが)。
KJ法が失敗するのは、概念を理解せずにツールとして使用するためです。それはクッスク・シグマも同じであり、使用者の能力によって成功を導くツールでしかありません。
今度、久し振りにKJ法をやります。
うまく進められるようにネットで検索していたら、ここに辿り着きました。おっしゃっている事は至極当然ですね。うまく進められるように頑張ります。