考えなしの行動?/ジェーン・フルトン・スーリ

静止した一点ではなく、動きのなかで物事を捉える視点。
点の思考、線の思考」で指摘したのは、物事にことばによるレッテルをはることで、それでその対象を理解したと勘違いしてしまう思考の危険性でした。

実際、現実はそうした言語データ化がむずかしいほど多くの意図されない意図を含んでいます
そうした意図されない意図にいかに気づき、そうした言語外の情報をいかに多く集め、並べ、それをデザインの発想として組み立てるか。それがデザインする人に求められる姿勢であり、能力ではないかと思っています。

思考の履歴としての写真

IDEOのヒューマン・ファクターの専門家であるジェーン・フルトン・スーリの著書、『考えなしの行動?』は、まさにそうした意図されない意図に対する著者自身の気づきの事例が満載された一冊です。

その気づきは、こんな風な写真で紹介されています。



スクーターの座席のところに傘がかけられているのはなぜか?

あるいはこんな写真で、紙は何を代替しており、人はそこにどんな必要性を感じているのか?



僕自身、講演などをさせていただく際に、こうした意図せずにモノが別の用途で使われている様子が写った写真(例えば、椅子の背に洋服がかかっていたり、高い所にあるものの踏み台にされている写真など)を紹介して、その行為に隠された人びとのニーズは何かということを話したりします。
デザイン思考で大切なのは、人びとの意識のなかにある意見を聞くことではなく、こうした人びとが無意識に行っている行動に実はニーズが隠れていることに気づく観察力なんですね。

意図されない方法で使われるものは、いつも人々のニーズに関するなにかを示している。そして、そのニーズは、ときにはデザインの好機といっても良い。
ジェーン・フルトン・スーリ「考えなしの行動の組み立て」『考えなしの行動?』

デザイン思考で行うユーザー調査というのは、まさにこうした行動の観察が主体となるのが望ましいと思っています。ユーザーにインタビューするだけではダメで、行動の観察のなかで意図されない行動のなかに隠れたニーズを浮かび上がらせるものである必要があります。

そのためには、本書で紹介された数々の写真をみて、そこにどんなニーズが隠されているのかを考えるのは1つのエクササイズになるのではないでしょうか。

いかに発想をうみだすか

原書ではこうした写真が何の解説もなく並べられているそうですが、日本語版では、翻訳者の森博嗣さんが"日本語で読む人の多くは、特にデザイナになりたいわけではなく、もっとリラックスして「ものの見方」を楽しみたい、「思考の履歴」に触れたいという読者だろう"と考え、写真のページに簡単な見方のヒントが加えられています。

その意味では確かに気楽に読むことができるのではないかと思います。ただし、その解説だけを読んでわかった気になるなら、本書の意図することはまったく理解されていないのも同然です。あくまで意図=ことばにならないものを自分で読み解くことが大事なのですから。

こうした人びとがはっきりと意図せずに行う行動のなかに、人びとの隠されたニーズを発見できるかが、デザイン思考では欠かせない発想のひらめきを生み出せるかどうかに関わっているのです。
そう。いかにひらめきを計画的に生み出せるかということに。

デザインの大部分は、実は計算であるが、その以前に、なんらかの「発想」がなくてはならない。ここが人間の仕事といえる部分である。発想さえできれば、あとはコンピュータ(あるいは部下)が計算してくれるだろう。
森博嗣「着眼と発想のエクササイズ」『考えなしの行動?』

残念ながら多くの人がこのコンピューターあるいは部下が計算として行うような部分をデザインだと考えているのではないかと思います。

まぁ、僕自身は森博嗣さんとは考えは違って、森さんが「計算」だと読んでいる部分も、すくなくとも現在の数学でできるような計算ではないと考えていて、それを「組み立て」と呼んでいます。
それでもその「組み立てる」という作業が地道なねばり強さがあればできる作業だということは「集める、並べる、組み立てる」などでも書いたとおりです。

発想をうみだす観察力

実際には、それ以上に発想を生み出す力が必要なんです。意図されない行動のなかに隠れたニーズを浮かび上がらせる観察力です。

人々の行動を観察することは、既往の方法が押しつける限界を打破し、人々の活動と経験をさらに支援する改革をデザインチームにもたらす。観察することによって、私たちは最終的な製品に注目するのではなく、デザインを通して支援しようとしている行動そのものに焦点を合わせざるをえなくなる。
ジェーン・フルトン・スーリ「考えなしの行動の組み立て」『考えなしの行動?』

製品そのものにではなく、行動に焦点を当てる。それが観察を軸にすることで可能になる。そこがデザインの核だといってもよいと思いますし、それもなしにデザインしているつもりになっているところに、多くのデザインの残念さの根源があるのではないかと思います。

さて、なんとなくこの残念さの根源に心当たりのある人はぜひ本書を手にとってエクササイズをはじめてください。
もちろん、本書でエクササイズのやり方がわかったなら、実際に街に出て観察をはじめてみることです。



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