デザインをする人に求められる資質

さすがyusukeさん、いいとこついてくるなー。

前述の定義で知的生産活動でいう製造を考えると、ディストリビューション行程にあたると思います。ソフトウェアをCDに焼く、絵を印刷する、音楽を配信する。設計されたものと同じものを作りだす作業です。これらの作業はとても重要ですが、知的生産活動の実践者が責務を負うことではありません。そこには設備が必要であり、とても個人が机の上でできることはないからです。製造にはリアルな製造設備が必要なのです。

ディストリビューションは、設計されたものと同じものを作りだす作業。その作業はとても重要だが、個人が机の上でできることではない。

うん。すくなくとも狭義の知的生産活動ではないでしょう。
「狭義の~」というのは「意識的な~」という意味でいっていて、実は僕はディストリビューション行程に別の知的生産活動としての無意識的・身体的な知的生産活動が必要と思っていますが、そこは話がそれるので別の機会に。

デザインをする人に求められる資質

ところで、僕は『デザイン思考の仕事術』のなかで、白洲正子さんの『日本のたくみ』に出てくる白洲さんと織物職人の田島隆夫さんのエピソードを引きつつ、こんな風に書いています(エピソード自体は
日本のたくみ/白洲正子」を参照ください)。

デザインする人に求められるのは、実際に物をつくり上げる技術ではありません。それよりも必要なのは、「ざんぐりした味わい」など、自分が求めているものを明確に職人に伝え、「織物は着てみないとわからない」と正しく物を評価する目と客に対する責任を持ち、かつ、出来が悪いものに対しては「きものとしては不完全である」とはっきり判断する力が求められるんですね。「ざんぐりした味わい」「織物は着てみないとわからない」「きものとしては不完全である」はどれも人と物との関係性についての注文であり評価ですよね。
拙著『デザイン思考の仕事術』

「人と物との関係性についての注文であり評価」。つまり物に意味を与えるということです。それがデザイナーに求められること。物自体をつくるのではなく、物に意味が与えられた状態を設計するんですね。もちろん、意味といっているのは機能的なことだけでなく情緒的なもの、生理的なものも含めてです。

こう書いた上で、「デザインをする人に求められる資質」として以下の3つを挙げています。

  • デザインしようとしている物とそれを必要とする人の関係性を明確にイメージできる
  • 求められる物を実際につくれるように正確な注文を出すことができる
  • 出来上がった物に対しては人との関係性において正しく評価をすることができる

平たくいうと、企画する資質設計する資質レビューする資質です。さらにひとことでいえば目利きの資質ということになる。

デザインする人に実際に物をつくる資質ではなく、物を使う人・作る人の立場に立って目利きする資質だと思います。カンタンにいえば、デザイナーと職人は別ということです(ただ、職人が知的生産者じゃないかというとそれは違う。それが先の「狭義の~」の話につながる)。

デザインする人は先の3つの資質をいかに日々の生活のなかで養っていけるかだと思うんですよね。
どう養えばいいかは『デザイン思考の仕事術』に書いてますのでぜひ。

 

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この記事へのコメント

  • yusuke

    >職人が知的生産者じゃないかというとそれは違う

    うん。職人さんがしていることは「大量生産のディストリビューション」とは違いますよ。昔ながらのBTOの世界は、絶対に相手のことを考えながら作るはずだし。
    あと、酒や菓子の味を同じに保つために、材料やブレンド率を積極的に変える、という"職人技"を考えると「設計と同じものを作る」は、確かに誤解を招くかもですね。
    2009年06月03日 19:25
  • tanahashi

    >職人さんがしていることは「大量生産のディストリビューション」とは違いますよ。

    はい。そのとおりだと思います。

    以下、自分の過去のエントリーから引用。

    おもかげ、そして、母型としての「型」に、自然の根源的な力=霊を宿したものが「形」というわけです。おもかげが霊を宿せば個体となる。それゆえ、型=根源の形象、形=個々の形象という区別となるわけです。
    「型と形」より。
    http://gitanez.seesaa.net/article/114721972.html

    職人による大量生産は、型から形を生む生産か、と。

    その職人による"知"が加わった生産があんまりできていないのが、"知"を半分しか使えてないようで、もったいないなと思います。
    2009年06月03日 20:35
  • yusuke

    > 職人による大量生産は、型から形を生む生産か、と。

    うわ、これいい。イチローが「自分の型を持つことで、どんな球でも打てるようになる」みたいなことを言っていたけど、まさに、それですよね。バットの軌跡は毎回違うけど、型は同じ。
    2009年06月03日 22:35
  • たかぎりょうこ

    失礼いたします。
    勝手ながら白洲正子つながりでTBをさせて頂きました。

    ワタクシもグラフィックデザインや、イラスト、マンガなどに関わる者なのですが、
    キモノの世界でも、やはり型による抑制された美というものには魅力を感じたりします。

    プリントされた狂いのない鹿の子模様よりも、
    やはり人間の手を経た型染めの方が美しさでいったらどうしても上だなぁと感じます。

    もちろん、メーカーによる大量生産にもさまざまな工夫が凝らされていて、
    それはそれで、大変な努力なのは、ワタクシもメーカー出身なので承知しているわけなのですが。。。

    すみません、初めてですのに、本筋と違うことをつらつらと!
    失礼いたしました。m(..)m
    2009年06月06日 18:05
  • tanahashi

    > たかぎりょうこさん、

    コメントありがとうございます。
    最近、僕も型染めの美しさに興味を惹かれているところだったので、タイムリーなコメントです。

    もともと民藝の品に興味があり、器などを購入するのですが、最近は器よりも染織品にひかれています。
    うちにも藍の型染め座布団などありますが、とても気に入っております。
    いまは芹沢けい介さんの図版などを見ながら感嘆しているところです。

    機械でつくられた布製品でも、昔の機械でつくられたTシャツやジーパンにはおもしろいものがあり、それを再現している現代のものでもおもしろいものがあるなと感じています。

    いちがいに判で押したような均質な品質を目指すのではなく、すこしの違いはあってもそれが味・魅力として受け止められるような品質を求めるものづくりを模索しはじめてよいころだろうなと思っています。
    2009年06月06日 18:23

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  • 意味と技術から物を作るってこと
  • Excerpt: 与えたい意味と技術の狭間で選択を行い、"それ以外にありえない、あるべきカタチ"を探し求める。
  • Weblog: arclamp.jp アークランプ
  • Tracked: 2009-06-03 22:38