あらゆる仕事はデザインの仕事です。

残念なデザイン。」に、yusukeさんより、こんなコメントをいただいた。

知的労働って、そのものがデザイン行為。

はい。まさにそのとおりだと思います。

すべての知的生産活動はデザインである

しかも、それは職業的な仕事に限った話ではありません。
より日常的な生活における労働も含めてすべての知的生産活動はデザインであるのだと思います。

そして、そのことに気づいているかどうかで、人生は美しく有意義なものにもなれば、そうでないものにもなるのではないでしょうか。

  • 柳宗悦さんの「用とは共に物心への用である。物心は二相ではなく不二である。」ということばも、
  • クラウス・クリッペンドルフの「デザインとは物の意味を与えることである。」や「他人の意見を聞くことなしに自分で行う孤高の才能あるデザイナーは急速に過去の人となりつつある。」ということばも、

そうした文脈―日常的な生活における労働も含めてすべての知的生産活動はデザインである―において理解する必要があるのではないかと思います。

物に意味を与える仕事

僕は新しい本の「はじめに」でこう書いています。

デザインは生活に秩序を提案し実現するものです。物に意味を与える仕事です。人は「分かる」ためには物事を「分ける」必要があります。地と図がその境にある輪郭線で分かれているからこそ、人は物を認識できる。概念で分けたものを五感で認識できる色や形を与える仕事がデザインです。アレとコレを分けた境界線を人が認識できるようにすることで、人にアレとコレの意味の違いを分かるようにする。それがデザインの基本です。遠く古代より人はそのようにして物に意味を与え、自分たちの生活秩序を築き上げてきたのです。
そうした意味において、あらゆる仕事はデザインの仕事なのです。
拙著『デザイン思考の仕事術』

デザインは自分たちの生活そのものにおいて、アレとコレを分割し、その境界線を表現することで、生活における意味を生み出し、自分たちの生活そのものをつくってきたのです。

その仕事は単にかっこよく表現するかどうかなんてこととは何の関係もありません。

外に目を向ける

ですから、つくるものがかっこいいかどうかではなく、自分たちの生活において何が必要か、どんな形・ふるまいが欠けているかを日々考察し模索し続ける姿勢が必要です。

自分の固定観念―フレーム―のなかに閉じこもらずに、

  • 他人やまわりにある物事に興味・関心をもって日々の行動をすることができるか?
  • 他人やまわりの物事に対して敬意を感じながら接することができるか?
  • 他人に意味が伝わるにはどうすればよいかを常に考え、工夫するやさしさがあるか?

ということに常に意識的であるかどうかで、生活そのもの、人生そのものが変わってくるのだと思います。

自分の人生も、まわりの人びとの人生も。

デザイン思考の仕事術とは・・・

それを本来、デザイン行為というのだと思うんですが、どうも世間ではそうではないらしく、もはや他人の人生はおろか自分自身の人生についても無関心で、ただ機械的に日々を送っている人が多いのではないでしょうか。

物をみる目利きの力もなく、人をみる目利きの力もなく、ただ外から与えられる情報に右往左往しながら、自身を見直す反省もないまま、日々を過ごしてしまっています。
もちろん、そこにデザインなどあるはずもありません。

デザイン思考の仕事術とは、日々を生きる上での基本的な身のこなしであり、考え方であり、生き方そのものではないかと思います。
拙著『デザイン思考の仕事術』

自らの生活、人生、生命についての反省がないところに、デザインなどあるはずもないと思っています。

目下の悩みは、これがごくごく身近でいっしょに仕事をしてる人にさえ伝わっていないことです。あまりのストレスで胃が痛いです。もうほとほとイヤになりますね。どうしてちゃんと仕事ができないんでしょうか?



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