祖子手、僕 和 平仮名生活 似 素留 位 奈羅、万葉仮名生活 之 方我 良 斗 思手以留。
以下、通常通り、漢字仮名交じり文でお伝えします。
万葉仮名表記のほうが良いと思う3つの理由
冒頭にも書いたとおり、ひらがなに統一した表記の方向性を探るのがありなら、漢字に統一した表記の方向性を探るというのもありだと思っています(結論からいうと、僕は漢字仮名交じり派ですが)。ひらがなに統一するくらいなら、漢字に統一して万葉仮名でいくほうがよいと思う理由は以下3つ。
- 1.どうせ変換するのだから万葉仮名に変換すれば?
- ひらがなってそもそも万葉仮名で書いていたものを崩したものをそのまま使うようになったわけですから、ようは書くのを簡易化したんだと思っています。画数を減らしたのかな、と。分かち書きすれば、万葉仮名でもそんなに苦労はなかったんじゃないでしょうか。
で、いまは結局、キーボードでローマ字入力とかしてるわけです。そうなると画数が多いかどうかは問題ではなくなります。だったら、いまはどうせ漢字を変換してるわけですから、ひらがなで書いてる部分も同時に万葉仮名に変換すればいい。わざわざ崩したひらがなを使う必要もないんじゃないでしょうか。万葉仮名として使う文字をちゃんと一音ずつ統一すれば読むのもそんなに大変じゃないでしょう。
- 2.読むのが楽なほうがよいのでは?
- 漢字は覚えるのは大変かもしれませんが、覚えたら視認性は高いわけです。初心者向けのツールにするか、ある程度使えるようになった人が楽に使えるツールにするかでは?と思います。
ドイツの詩人リルケは俳句の研究も行っていて日本の文字も書けたそうですが、そのリルケが漢字をみたことがないドイツ人に「薔薇」という字を書いてみせ、何の花をあらわす文字か当ててみろというと十中八九バラという答えが返ってきたそうです。「葡萄」でも同じ結果だったらしい。これって表意文字の強みなんじゃないかと思います。
あと、文章のなかで用いるなら、ひらがなだけでもなんとかなりそうですが、単語をラベルとして用いたい場合にはいろいろ問題があることばがあるのでは?と思ったりもします。「ちょう」が「蝶」だか「超」だかわからないし、「あめ」が「雨」か「飴」かもわかりません。「ちょう」も「あめ」もひらがなにしてしまうと固有の形を失ってしまうわけです。白川静さんがいうように「形のないものは本当は語ではありえない」んじゃないか、と。
- 3.漢字とひらがなってそもそもそんなに違う?
- 漢字とひらがなって本当にはっきりと分けられるものでしょうか? 漢字とかいってますけど、いま使ってる漢字のなかには日本でできた文字もあるし、簡略化した文字もあるわけです。簡略化したという意味ではひらがなとそんなに違わないのでは?と思います。
そんなことねーだろ、ひらがなは一字一音だろうという方がいるかもしれませんが、本当にそう? 「へ」とか「は」はどうなんでしょう。それに漢字にだって日本で生まれた「峠」「崎」「鰯」「裃」「辻」のように訓読みしかなく、ひとつの読み方しかないものもありますし。
ひらがなと決められている文字の数が決まってるから、ひらがなと漢字の区別がつくだけじゃないのかなと思ったりもします。それに「〆」とか「凸凹」とかは漢字なのかなんなのかさえわかりませんしね。
という3つの理由で、ひらがなだけにするくらいなら、むしろ万葉仮名にしようといいたいわけです。
まー、僕自身はすでに書いたとおり、漢字仮名交じりのままがよいと思います。
じゃあ、なんでこれを書いたかというと、たまには話題のネタに飛びついてみようと思ったのと、ひらがな=簡単、漢字=むずかしいを当たり前とする考えにそれ本当?といってみたかったわけです。
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