僕はそれを自分の頭の中を整理するために使っている。
こういう風に書くと、なんだか自己満足な感じを受けるかも知れないが、そういう意味ではなく、もちろん、公開しているわけなのだから、人の目は気にしているし、他の人とのコミュニケーションのきっかけになればよいと思っている。
時折、コメントをいただいたりトラックバックをいただけるのは何より嬉しいし、所詮、自分1人の考えだけでいい考えなど生まれるわけはないと思っているから。
そういうことはあるのだが、ここでCui bono?(誰が得をする?)と発すれば、やはり、僕自身だと思う。
「ユビキタスとWeb2.0」というエントリーでも書いたが、まず最初に、公開されるブログエントリーで宣言してしまうことが、その後の自分自身を変えると思っているからだ。
さて、この僕の行為の効用は、脳科学や認知科学の分野の研究でも、ある程度、実証されていることなのだ。
たびたび引用しているが、今回も茂木健一郎氏の著書『脳と創造性』から引用しよう。
ところで、コミュニケーションというと、普通はそれぞれ独立にAさんとBさんが存在していて、その間に情報がやりとりされることだと考える。しかし、ミラーシステムの発見に象徴されるような現代の脳科学ないしは認知科学の知見を総合すると、独立した主体の間の情報のやりとりというコミュニケーションのメタファーは、あまりにも狭すぎて、生の現場において実際に起こっていることの本質をとらえていない。
実際に起こっていることは、自己の中に他者がミラーシステムを通して投影され、他者の認識の中に自分の心の認識が反映される、きわめてダイナミックなプロセスである。その中で、自分自身も、自分の中の他者のイメージも作り替えられる。『脳と創造性』
ミラーシステムとは、茂木氏による造語で、「あたかも鏡に映したように自己の行為と他者の行為を共通のプロセスで処理する脳内モジュール」を呼ぶ。
茂木氏のこの言葉の元になっているのは、ミラーニューロンというものである。
ミラーニューロンは、1996年にイタリアの研究グループによって発見された、猿の前頭葉の運動前野で、自分がある行為をするときにも他人が同じ行為をするのを見ているときにも活動する物真似ニューロンで、その後、人間の前頭葉でも見つかり、運動性言語野とされるブローカー野であったこともあり、「言葉は物真似から覚えていくというラマチャンドラン(Vilayanur Ramachandran)の理論展開によって注目されるようになった」ものらしい。
先のエントリーで「Web2.0に告ぐ:猿真似はやめよう」なんてことを書いたが、物真似とコミュニケーションの中で「自分自身も、自分の中の他者のイメージも作り替えられる」クリエイティブなプロセスは非常に密接な関係にあるのだと思う。
創造性の最高の形式の1つは、自分自身が変わることである。人間は自らの置かれた文脈にあわせた「ふり」をすることで、自らを変身させ、新しいものを創造するのである。このような「ふり」をする能力は、先に述べた「ミラーシステム」を含む、脳の前頭葉を中心とした神経細胞のネットワークによって支えられている。『脳と創造性』
ここにコミュニケーションの本質、クリエイティブの仕組みがあるように思う。
「美術市場における複製の歴史的意味」のエントリーなどで、すでに美術の歴史においても複製が新しい美術のパラダイムを切り拓いていったことなどについても触れた。
脳の仕組みがそうであるために、創造には複製という過程が不可欠なのだろう。
しかし、18世紀の複製版画が単なるコピーではなく翻訳版画と呼ばれたように、猿真似ではなく、クリエイティブにつながる「ふり」が必要なのだろうと思う。
僕がWeb2.0という環境に期待するのは、こうしたコミュニケーションを通じた、創造性の向上だ。それは決して猿真似をすることではないだずだと思う。
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