マーケティングの用語の使い方が大混乱しています

製品中心から人間中心のデザインへ」と「マーケティングとユーザビリティに対するデザイナーの失望」にトラックバックをいただいたので、いちお返事の代わりに書きますが、これだけマーケティング用語の使い方が混乱していて大丈夫?

ニーズが手段ってどういうこと?

まず、ここ。

ユーザーのニーズを得るのは比較的簡単です。しかしNeedsを満たしても、Needsはユーザーの本当の目的ではなくたくさんある手段のうちの一つであることが多いため、ユーザーの本当の目的を達成していないということがほとんどなのです。

あのー。マーケティングにおける「ニーズ」という言葉の意味をちゃんとわかって書いてらっしゃいますか? ニーズって文字通り「必要さ」だと思うんですが、それがどうして手段になっちゃうんでしょう?

ニーズがあってもそれが必ずしも目的化しないというのは、必要性があってもコスト(金銭的コストやめんどくささetc.)などとの関係からそうなる場合もあると思います。でも、基本的にはそういう制約条件がないところではニーズは目的となると考えていいでしょう。
先のエントリーで「ニーズが何かを目的化し実行する際の手段になる」と考えられてしまうのは、あくまで表面的で意識化したニーズのみを、その対象として考えてしまっているのではないでしょうか。だからこそ「ユーザーのニーズを得るのは比較的簡単」なんて話になるのかな?

でも、実際には顕在化したニーズがインターフェイスのデザインに影響することなんてそれほど多くはなく、実際には潜在的でユーザー自身も気づいていないニーズを観察やデプスインタビューなどの調査(ここは絶対にアンケート調査などではわかりません!)を通じて発掘してあげないかぎり、インターフェイスのデザインを決めるための材料にはなりません。
同時に、不必要(いらないもの)、反必要(避けたいもの)についても利用者の行動レベルと意味論のレベルで理解しておかないと、インターフェイスのデザインを組み立てる上での素材としては足りないと思っています。

ニーズ、ウォンツ、ゴールが混乱してます

もうひとつおかしな点を指摘しておくと、これ。

本当の目的を把握するためには、NeedsからWantsにさかのぼる作業をします。

ニーズからウォンツにさかのぼるというのもマジで?と思いますが、それよりも元のエントリーを見てもらうとわかりますが、このウォンツの定義がかなりおかしい。「なりたい自分になる」とかがウォンツになってしまっています。それは確かにある人にとってはそれが願望になることはあっても、それはいわゆるマーケティングでいうところのウォンツではありません。

マーケティングでいうところのウォンツはもっと具体的に欲しいものを指します。具体的というのは、極端な場合は特定の商品ですし、そこまでいかなくても「○○するための道具」とか「□□を簡単にする機能」とかです。このエントリーではそれがニーズとして定義されている(例えば「お金の出納を把握する」)ので話がおかしくなるのです。「お金の出納を把握する」はウォンツです。なぜ「お金の出納を把握」したいのかがニーズになる。そのニーズを理解することって「比較的簡単」でしょうか? 僕にはとてもむずかしく思えます。

ちなみに先の「なりたい自分になる」は、ゴールダイレクテッドデザインユーザーの3つのゴールでは、ライフゴールにあたります。ようはこれ、ウォンツではなくゴールのひとつです。サービスを利用する目的はこのゴールを満たすことになる。でも、このゴールだけを把握したところでデザインはできない。

根本的なところをいうと、ニーズとウォンツは別に固定的な因果関係にあるわけではないので、そう簡単には遡れません。それはウォンツとゴールであっても同じです。だからこそ、パーソナル・コンストラクト理論にもとづく評価グリッド法のように個々人の価値構造などの把握が必要になるし、それをやったからといって個々人の枠を超えた一般化ができるわけではありません。

20代のペルソナ?

もうひとつだけ、おかしな点を指摘しておきます。

20代のペルソナを用意した場合、20代というのはいまあるお金の投資方法によって自分の成長具合に変化があるわけですから、目的に達するためには、ただ収支を管理するだけでなく、「なににお金を使うべきか」「あなたが使ったお金はどれだけ将来の自分に対する投資となっているか」をなんらかの方法で把握できる機能が必要かもしれません。

これ、20代のペルソナといってる時点でアウトです。何がアウトかって20代のニーズ、ウォンツ、ゴールは全部いっしょなの?という点。

僕自身は最近、ペルソナを作成するときは、役割・目的・ゴールだけは明確にしましょうというようにしています。

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そして、調査データを元にどうユーザーをグルーピングするかを考える場合でも、この役割・目的・ゴールを基準に考えましょうといっています。
役割を中心に考えると、ペルソナごとにシナリオを書く場合も、製品を用いるインタラクションをペルソナごとのロールプレイングとして描くことができるわけです。つまり、割り当てられた役割を製品を使っていかに行い、ゴールを達成するかというシナリオとして。

量的調査ではダメ。質的調査からはじめないと

まぁ、先の話に戻れば、ペルソナをつくる作業がアンケート調査からスタートしてる時点でアウトなわけです。

アンケート調査って仮説検証のための道具であって、自分がわかっていないユーザーのニーズやゴールを探るための道具ではありません。自分がわかっていないニーズやゴールを理解しようとすれば、自分の内からいくら仮説を無理やり引っ張りだそうとしても無駄です。
最近の「アウトプットができない人がまずやるべき3つのこと」や「入力したものをどうするか?」で書いているとおり、固定観念を捨て、自分の外に出て、実際の人びとの現場をフィールドワークしたりするしかない。つまり質的調査をする必要がある。

質的研究は、現象に関しての先行研究の蓄積が少なく、変数が把握されていないときに用いられる研究手法です。あるがままの状況の中でデータを収集し、通常、データを数におきかえることなく分析します。

逆にアンケート調査を行うのは、すでに先行研究の蓄積が豊富にあり、何がどんな影響をもたらすかの変数が充分に把握されている場合です。先のエントリーであげられている例がそれにあてはまるかという大いに疑問。

なので質的調査を行わずに勝手に自分の頭のなかだけで仮説を立ててしまうから「20代のペルソナ」なんてものが平気で出てきてしまうんじゃないかと思います。何人か実際の20代の人のところへ行って、家計簿をつけることやお金の利用に関する行動や考え方に深く触れてみてはじめて、潜在的なニーズも見えてくるし、その人の役割・目的・ゴールも見えてくるのではないでしょうか。そして、それを実際に行えば、実際には20代にもいろんな人がいるし、そのなかには30代はおろか60代の人とおなじニーズやゴールをもっている人がいるかもしれないのです。

質問への回答

というわけで、最後に僕が「マーケティングとユーザビリティに対するデザイナーの失望」で「マーケティングリサーチの結果を知ったからといって、デザインをするうえで役立つ情報はまったく得られないと思っている」と書いたことに対して、それは「機能とUIを検討するプロセスが別にあるためにおこる問題なのでは?」と質問されていることへの答えは、

NO。
むしろ、人びとのニーズが簡単に理解できると思ったり、
そのニーズが外部の環境と相互作用的に生まれ、変化するものと捉えずに
常に固定されたものとしてあると考える傾向が、従来のマーケティングリサーチにはあるから、
人と物との関係を相互作用的にとらえるデザインには役立たないのです。


となります。
まぁ、そもそもUIと機能を分けている点でちょっとおかしいんですね。それは物の側から人間を見てしまっているのであって、人間の側から物を見ていないんだと思います。別の言い方をすれば作り手の眼で見てしまっているのであって、使う側の眼で見ていない。使う側にしてみればインターフェイスと機能の区別なんてないわけです(すべてがインターフェイスだから)。
詳しくは「お客さんから逃げない」とか「意味論的なデザインのアプローチへの転回」を読んでみてください。もっと詳しく知りたければ僕の本もねw

  

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この記事へのコメント

  • kanda

    いつも楽しく読ませていただいています。

    tanahashiさんの意図と反した見解が、我が物のように、他の人が書いているのは私もどうかと思いました。

    ただし、今回の記事はすこし残念でした。
    否定からではなく、考えを立て直してあげる、教えてあげる、くらいの気持ちがこの記事に表現されていると嬉しかったです。

    これからも引き続き読ませていただきます。
    応援しております。
    2009年05月15日 18:24

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