リフレーミング

先日からたびたび紹介ているクラウス・クリッペンドルフの『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』という本は、決して目新しい視点ではないものの、人間中心のデザインを考えるうえで大事な考え方がとてもよく整理されていて役に立つと思われることが多い(これを読まない人ははっきり言ってソンだと思っている)。



たとえば、視点あるいは物事をみるフレーム・角度を変えて、物事を多角的に理解し、深く追求するための方法としてのリフレーミング(僕もひとつの方法として「ひとりエスノグラフィ」を紹介しました)も以下のように整理されています。

  • 既知のものを変形する
  • 代わりとなるメタファーを利用する
  • 与えられた状況の類似を探す
  • いろいろな理論的視点、特にさまざまな分野から獲得される視点を用いる
  • さまざまなステークホルダーの概念の枠組みを引き出す
  • 問題やデザインを概念化するためにさまざまなメディアに翻訳する

これはいわゆる狭義のデザインを考えるだけでなく、物事を企画する際に発想を膨らませるやり方としては覚えておいてよいものだと思います。
ひとつひとつをみると当たり前のことだったりしますが、こうやってある程度、網羅的に整理されていると自分のなかで抜け落ちていた点もわかってよいなと思いました。

既知のものを変形する

たとえば、そのうちのひとつの「既知のものを変形する」もさらに次のように細分化されています。

  • サイズを変える(cf.おみやげで売ってる大きな「おっとっと」など)
  • モーフィング―既知のつ以上の形態のあいだに存在する、徐々に変化する中間形態のすべての可能性を見いだす(cf.ネットブック―ノートPCとスマートフォンの中間形態?)
  • 内側と外側を裏返す(cf.パリのポンピドゥー・センター)
  • 構造を統合する、または分散する(cf.クラウド・コンピューティング)
  • 多くの特徴を取り除く、または、多くの特徴を付加する(cf.引き算のデザイン
  • 覆っているものを可視化する、または見せているものを隠すこと(cf.中が見える腕時計、Ajaxなどによる詳細検索の表示/非表示)
  • 目立つものであれば背後に、隠れているものであれば前面に
  • 自由に組み合わせ可能なコンポーネントにモジュール化、または多数の技術を多目的な1つのものに統合(cf.前者はiPhone?後者は普通の携帯電話?)
  • 連続的な流れを扱いやすいステップに変える、または、その逆にステップに分かれている作業を一連の動作に(cf.デザインという属人的な作業のプロセス化など)
  • ソフトウェアの形式をもったハードウェア、またはその逆
  • 現象の因果関係の方向性を再概念化すること
  • 材料をまだ試したことのないものに取り換えること
  • 新しい用途を見つけるために、新たなコンテキストにおく(cf.「プール」を「ボウル」に

こうやって、リフレーミングすることで、既存の意味を新たな意味に変えたり、既存の技術の新しい応用の仕方を発見できたりするわけです。ちなみに、この記述は僕が勝手に解釈して変形してますので、正確に知りたいから原本にあたってください。

リフレーミングの方法をただの知識にしてしまわない

もちろん、先のリストにあった「既知のものを変形する」以外のものも、既知の物事に対する自分の固定観念から抜け出して新しい発想を生み出すためにはおなじように役に立ちます

リフレーミングは、ある特定の表現メディアが隠しているものを視覚化し、解決し、理解可能にする。

日常当たり前に思っているコンテキストのなかに埋まってしまっている意味を、別のフレームからの視点に置き換えることで、新たな意味や価値の発見を行うのがリフレーミングという方法です。
ようするに、逆からみると、いかに自分の固定観念というフレーム―特定の表現メディア!―が物事を隠し見えなくしまっているかということに気づくことです。

ようするに「ひとりエスノグラフィ」や「意味論的なデザインのアプローチへの転回」で書いたとおりで、人と物との相互関係における意味はそれがただひとつの正解という形で固定されているのではなく、習慣化されているのだと考えることで、その習慣の外に出る方法として、いかにリフレーミングの手法を用いることができるかということが、それが役立つかどうかのポイントになるんですね。

まぁ、そうなると当然、


といった、大きく3つに分けられる能力がないと話にならない。ようは、先にあげたリフレーミングの視点のリストを知識として知っているだけじゃ役に立たないというわけ。知識として知っているだけでは結局はまたしても「方法依存症」です。

知識として知っているだけという状態と、身につけて実施することのできることの違いは、「情報摂取の場・過程・作法をみなおす」にも書いたのとおなじで、後者には実施のための場、過程、作法というものがあるということです。
とくに作法という具体的な行動への落とし込みがないと、方法を実行することはできません。想像力にもとづく創造の作業というのはGUIのディスプレイのなかだけで何かが起こっているのではありません。GUIを用いるにせよ、個々の情報と自身の作業行為そして認知の関係性における作法のあいだで、そして、その結果の過程の推移の積み重ねのなかで何が起こっているのです
このあたりはリフレーミングに限らず、ちゃんと考えていくべき課題かと思われます。

リフレーミングの視点は組み合わせて使う

また、先のリストにあがっているリフレーミングの視点による意味の変換は、それぞれ単独で1回だけ行えばOKというのではなく、前に「なぜ量が質を生み出す可能性を持っているのか?」と「もうひとつの量の追求」という(ほぼ)連続したエントリーでも書いたように、質を追求するための試行錯誤として行う量の追求において、繰り返しさまざまな組み合わせによって行うことではじめて意味をもつのだと思います(ようするにブレインストーミングやプロトタイピングで実行すべき思考操作・具体的な作業というのはコレだということです)。

これまで述べてきたすべての技巧は、デザイナーの概念空間を拡大させる過程といっていい。それらは共同して、単独の手法に比べ、よりたくさんの理解を提供する。それらの技巧の上手な活用は、行き詰ってしまうか、あるいはもっと優れたアイデアを犠牲にして、早々にアイデアを固めてしまう―といった学生がしばしば遭遇する認知的罠を回避する。

さらにもうひとつ付け加えるなら、「グループワーク」というエントリーでも書いたとおりで、さまざまな視点からのリフレーミングを効率的に行おうとすれば、もともとさまざまな視点をもっている複数人によるグループワークを通じて作業を行ったほうが、個々人がどうしても陥りがちな「認知的罠」を回避しやすいと思います。

とうぜん、このリフレーミングという発想の仕方は、いわゆるデザインということばでイメージされるような仕事だけに有益なものではなく、もっと広い範囲で有効なものだと思っています。身につけておいて損のない思考法か、と。



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