マーケティングとユーザビリティに対するデザイナーの失望

昨日「製品中心から人間中心のデザインへ」というエントリーを書いたが、それに関連して「デザインの新しい基礎理論」で紹介したクラウス・クリッペンドルフの『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』という本のなかに、僕がずっと感じているマーケティングやユーザビリティに対するデザイン側からの疑念と一致するくだりがあったので紹介しておこうと思います。

マーケットリサーチはデザインの革新を制限するだけでなく、人工物の生涯におけるきわめて限定された段階、すなわち販売に焦点を当てることで、デザイナーを失望させた。
クラウス・クリッペンドルフ『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』

まずはマーケティングリサーチに関してですが、ほとんどのマーケティングリサーチがデザイナーにとっては意味をなさない結果しかもたらすことができないのではないかと僕もずっと感じています。つまりマーケティングリサーチの結果を知ったからといって、デザインをするうえで役立つ情報はまったく得られないと思っているわけです。

マーケティングリサーチ

利用者があるいは何を好み、何を欲しているかを聞いたところで、それが購入理由、選択理由にならないのは当たり前です。意向と実際の行動が異なることはマーケティングリサーチの内部でさえ理解されていることだと思います。

かといって過去の購入傾向から何か有益なものが割り出せるかというとそうではないと思います。有益なものというのはデザインする側にとって有益かどうかという意味で。つまり、結局、デザインする側を通してデザインされたものを使うことができる利用者にとっても有益かどうかということですが、これが過去の購入傾向の分析だけではほとんど意味をなさないと思っています。

理由はこうです。

コンシューマリサーチは何が消費者を動機づけたかという観点から消費者の選択を説明しようとする。しかしながら選択というものは利用可能な製品においてのみ観察され、代替の製品を意識しながら行われた選択が、消費者がその選択を行った理由について記述するのだが、その代替製品をこそデザイナーはこれから造ろうとしているのだ。
クラウス・クリッペンドルフ『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』

過去の購入傾向から、過去に購入されたものと同様の物をデザインしようというのならリサーチの意味をなします。でも、実際にはデザイナーがデザインしようとしているのは過去に購入したものの代替品になるものです。しかし、それはクリッペンドルフがいうようにいまだ利用されていない代替品に関しては観察が不可能であり、したがってマーケティングリサーチからは有益な結果は出てこない。

購入に関わる因子や満足度を左右する因子を個別に分析するという方法もとられますが、そんなバラバラの要素だけ取り出して分析しても、それを組み合わせるやり方がわからなければデザインにはなりません。そして、多くの場合、組み合わせの仕方によっておなじ因子をもったものでもまったく別のものになります。
飛行機の部品全部を集めても、無数に考えられる組み合わせのなかで、ちゃんと飛べる飛行機の組み合わせはたったひとつであるのとおなじことです。

個々の因子を特定するという還元主義的な発想では、複雑系の問題であるデザインの解を導き出すことはできないということを、デザインを考えていないマーケティングリサーチャーはわかっていないのです。

また、クリッペンドルフが指摘するマーケティングの側からみた次のような発想も、デザインする側の失望を助長する要因になっているのだと思います。

工業時代の製品に対する力点を商品やサービスやアイデンティティーに拡張してきたマーケティングは、デザインをその部門の一つとして、製品に対して価値を加えることが唯一の目的であるものとして考えている。
クラウス・クリッペンドルフ『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』

そして、これが製品中心主義であり、人間中心ではない限りにおいて、実際に製品を利用する人間の失望にもつながっているのだということをマーケティングをやってる人はちゃんと気づいたほうがいいと思っています。

ユーザビリティ

ユーザビリティに関しても似たような状況があります。ユーザビリティというとあたかも人間中心の考え方になっているように考えがちですが、実際は決してそうではないというのが僕が感じるところです。
ユーザビリティというのは、以下のような意味で人間と物との関係を限定しがちなのです。

国際標準化機構は「ユーザビリティー」を「個々のユーザーが個々の環境の中で、有効性、効率、および満足を充足させる特別の目標を達成できる度合い」として定義づけたのである。不幸にもこの定義は、ポスト工業化のディスコースへの工業化時代の機能主義と目的合理主義の再導入であった。
クラウス・クリッペンドルフ『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』

そう。ユーザビリティの発想では、人間と物との関係を機械的な意味での機能と合目的性に限定しがちなんですね。しかしデザインというのは決して機能性と合目的性のみをデザインしているわけではありません。
ドナルド・ノーマンが3つのデザインといい、アラン・クーパーがユーザーの3つのゴールというように、機能性・合目的性以外にもすくなくとも2つの次元がある。ユーザビリティという発想はそれを機能性・合目的性に限定してしまうことで、実はその考えでデザインした物のユーザビリティを損なう結果につながると僕は思っています。当たり前ですね。人間というのはそんな限定された形で物を利用しているのではなく、五感が統合された状態で物に接しているわけですから、機能性・合目的性以外の面がおろそかにされたデザインでは利用品質があがるとは限らないわけです。

結局、マーケティングリサーチにしても、ユーザビリティにしても、デザインとは何かが理解できておらず、予測するという発想になってしまっているところに問題があります。ところが、アラン・ケイがいうように未来は予測するものではなくつくるものなんですね。デザインというのは昨日も書いたとおりで組み立てるものです。予測するものではない。

これがわかっていないと予測がデザインするという活動の邪魔になる。結果、デザインしきれていないデザインができあがり、誰にとっても魅力がなく、売れない物・使いにくい物ができあがることになってしまいます。もちろん、これはマーケティングやユーザビリティの面からみても期待はずれの結果ですし、何より利用者である人間にとって大いに期待はずれです。

このへんの誤解をどうにかといて、デザイン思考のアプローチに変えていかないと、マーケティングの面でもユーザビリティの面でも今後はちょっとつらいんじゃないかなと思います。

  

関連エントリー


この記事へのコメント

  • mas.

    知る、創る、試す、という活動のうち、リサーチにしろ、ユーザビリティーにしろ、本来、知ると試す活動であって、創る活動ではないと思うんですが、そういうことをかかれてます?
    2009年04月21日 09:05
  • tanahashi

    知るも、試すも、創るのバリエーションだと考えます。
    リサーチ単独、ユーザビリティ単独で意味をなすと考えません。
    2009年04月21日 10:34

この記事へのトラックバック