18世紀の混乱からスタートして20世紀の初頭に結実したデザインを生んだといえる近代のしくみがいまや綻びてきているのが現在です。
その綻びが指摘されはじめたのは早くも1960年代の終わりごろです。商業化に偏りすぎたデザインに対する批判だけでなく、モダンデザインが目指したユニバーサルデザインの標準化や規格化は、必ずその枠組みに収まらないマージナルなものを生み出してしまいました。
建築家のミース・ファン・デル・ローエが考案したユニット化された均質的な空間が積層し増殖する「ユニバーサル・スペース(普遍的空間)」という空間デザイン手法による鉄とガラスの建築は暑いアフリカやアジアの地域では明らかに適さないものでした。
小学校などで使われる画一的なデザインの机や椅子はその規格化・標準化されたサイズにより、そのサイズに合わないものを異常と見なしてしまう風潮まで生み出しました。
また、各地域の文化の差異を無視した標準化の推進は、文化そのものを破壊し各地域の競争力も削ぎとってしまった面もあります。
こうした批判が1960年代の後半から噴出した。
デザインの終焉の時代ともいわれます。
基礎デザイン学とアーティフィシャル・サイエンス
そうしたなか、1953年に旧西ドイツのウルムにバウハウス出身のマックス・ビルが初代校長となって設立されたウルム造形大学で学んだ向井周太郎さんが、基礎デザイン学の対象は決して狭義のデザイナーではなく、デザイン的方法で新たな社会をつくろうという意志をもったすべての人なんですね。
1998年の「基礎デザイン学会設立趣旨」には〈今日の高度情報社会といわれるマルチメディアなどの新たな技術革命のなかで、私たちの生活世界や社会はどうあるべきか、あるいは、私たちはいかに「共生」の思想を具体化すべきか、あるいは、いかに「生」の全体性を再生しうるか、あらためてデザインの社会性やデザインの革新性、そのためのデザインの学術的追求や議論の展開が広く求められている〉と述べられています。
サイモンはデザインをある問題に対する最適化を求めるための叙述論理のひとつだという風にみていて、「デザイン創造の過程に何が含まれ、また創造活動が行われている間にどんなことが起こっているか」を考察しています。そして、「デザイン(人工物の科学)のカリキュラムの7つの項目」でも紹介したように、「現在の状態をより好ましいものに変える」ために「ものはいかにあるべきか、目標を達成し、機能を果たすためにはいかにあるべきかという問題に取り組んでいる」人びとのためのカリキュラムについて考えを巡らせています。
デザイン思考
ここ数年、ビジネスの現場でも「デザイン思考(Design Thinking)」という言葉を耳にするようになりましたが、その言葉を最初に用いたのもこのハーバート・サイモンです。つまり、デザイン思考も決して最近の流行ではなく、デザインの終焉が叫ばれはじめた1960年代からずっと志向されてきたわけです。そして、そのデザインのための基礎学習としては、専門領域にこだわらない領域横断的な学習が必要となる。
基礎デザイン学会の「設立趣旨」には次のような一文も見られます。
デザインが、自然との共生の理念を根底にすえて、人間の「生」の全体性に関わる生活世界形成の課題を目標とするのであれば、デザインは、自然科学との連携だけでなく、さらに人文・社会科学をふくむ広義の精神諸科学との緊密な連携をもつ、総合的な新しいデザインの知の在り方が探究されていかなければなりません。
これはバウハウスの「芸術と技術の統一」という理念を超えて、さらなる諸学問分野との領域横断的な連携による包括的な探求が行われることがデザインの課題と捉えたものでしょう。
「生活文化をつくる仕事」であるデザインをしようとすれば、既存の専門領域に囚われない領域横断的な思考や活動を行うことは避けられないということでしょう。
なぜアナロジー思考なのか?
ここにアナロジー思考の重要性がある。だいぶ遠回りしましたね。「1」で引用したバーバラ・スタフォードのことばを覚えてらっしゃいますでしょうか?「アナロジー化の良いところは、遠くの人々、他の時代、あるいは、現代のさまざまなコンテクストさえ、我々の世界の一部にしてくれる点である」でした。
生活文化を再構成しなおすという使命をもった現代のデザインが専門領域の枠組みを超えたトランスディシプリナリーな思考や活動を必要とすることはわかります。ただ、現実的に考えれば、ひとりの人間が扱える領域の数など、たかがしれています。とうぜん、そうなれば領域横断的な協働作業が必要になってくる。
しかし、バーバラ・スタフォードも指摘しているように分析的思考は各専門領域を細分化し精緻化する方向で思考を進めるのは得意でも、異なる領域とのコミュニケーションを行うことは苦手としています。そのため、現在の問題は異なる専門領域が同じような問題を扱っていても互いに交流ができない点にあります。
分析的な思考のように「ちがう」に着目するのではなく「おなじ」に着目するアナロジカルな思考は、このバラバラになった専門領域をつないで領域横断的な協働作業を可能にする力をもっているはずです。
デザイン思考という仕事の方法
川喜田次郎さんも『発想法』のなかで「国際的にも国内的にも、人間が、あるいは民族や国民が、はなればなれになってゆくような状況に対して、逆にそれを結合してゆく方法としてとりあげることができる」とKJ法を軸とした発想法の利点をみずから評しています。そのKJ法をはじめ、プロトタイプ、シミュレーション、シナリオなど、デザイン思考で用いる方法は、言語や数字に頼らない直観的な判断で領域の異なる分野間を安々とつないで新たな発想を生み出すものです。
デザイン思考というのは、デザイナーの発想の仕方を使って、商品やサービスの企画だけでなく、事業戦略全体の立案やマネジメントを行う仕事の方法だと僕は捉えています。
そのデザイナーの発想というのを一言でいえば、アナロジー思考だと思います。
もちろん、デザイナーに関わらず、ある問題を解決するためのプランを作成し実行に移す仕事をしている人は、その仕事のなかで多かれ少なかれこのアナロジカルな思考を働かせているはずです。
ただ、アナロジーによる思考を意図的に効率的に働かせることができるかというとそこまでは達していない人のほうが多いでしょう。意図してというよりも、考え抜いた結果、偶然アナロジーが働いて解決法をひらめくといった場合のほうが多いのではないかと思います。
デザイン思考の仕事においては、このアナロジー思考がはたらくのを偶然にまかせるのではなく、ある程度、意図してそれがはたらくようにマネジメントする点に利点があります。そして、それにはグループワークによる仕事の方法を組織的に身につけることが求められています。
グループワークによる発想
例えば、発明王として知られるエジソンでさえ、決して孤高の発明家だったわけではなく、むしろ、チームによる創造を重視し、そのための仕事の方法を模索していたのです。ニュージャージー州メンロパークにエジソン研究所を設立し、才能あふれる修繕屋や即興家、実験家を呼び集めた。実際、彼はイノベーションにチーム・アプローチを初めて採用し、「孤高の天才発明家」という固定観念を打破したのである。ティム・ブラウン「デザイン・シンキング」
とうぜん、アナロジー思考だけが協働作業を可能にするわけではありません。
前提として協働作業を行うもの同士が互いに信頼しあい尊敬しあうような創作の場を共有することが必要です。この点は「グループワーク」というエントリーでも書いていますので説明を省きますが、バウハウスが労働の場であると同時に生活の場であったように、協働作業を可能にする場においてデザイン思考を身につけた人びとがともに作業するなかではじめて、現代の社会が抱える問題を解決するようなデザインを創出することができるのだと思っています。
なぜモダンデザインという過去を顧みるのか?
こうしたことを自分自身のライフスタイル、ワークスタイルの問題として捉えるためにも、モダンデザインというプロジェクトがどのような問題に対峙していたのか、そして、その問題をどのように解決したのか、その結果、いかなる副作用が生じたのかということをしっかりと認識しておく必要があると思っています。昨日の「製品・サービス単体としてではなく、継続的改善をベースに据えた一連のシリーズと捉えたデザイン」でも書きましたが、そうした過去とのつながりがないから、場当たり的な商品デザインで過去とも未来とも関係をもたない単発的なスタイルの提案となってしまい、商品寿命も短ければ、人の気持ちに訴えかけるところもすくない物のデザインしかできないのだろうと感じています。もちろん、それゆえに人びとの生活をつくっていくということもない。
モダンデザインが18世紀から続いた混乱を解決したようには、現在の混乱を解決する気配もありません。それを問題と認識できるかどうか。それが一度終焉をむかえたデザインの今後を左右するのではないかと思っています。
「モダンデザインの歴史をざっと概観する」<1・2・3>
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この記事へのコメント
÷÷÷
細かい事ですが・・・。
tanahashi
修正させていただきました。
タカハシマサユキ
tanahashi