今回は、基調講演に増井俊之さん(元アップルコンピューター)をお迎えしました。
以下のブログで詳しい様子は報告されていますので、僕はそのへんは割愛させていただこうか、と(ズルして報告をサボるわけです)。
というわけで、以下、参加して刺激をうけて僕なりに思ったことをつらつらと。
ほとんど講演の内容とは無関係なので、あしからず。
僕自身の将来のあるべきライフスタイルを夢想する
「インタラクションデザインの未来」でしたので、最初に僕自身の将来のあるべきライフスタイルということで考えてることを(未来ということばは嫌いなので、将来に置き換えています)。僕自身は将来のあるべきライフスタイルとして、パソコンを使わない生活というのを夢想しています。パソコンに限らずケータイなどでもいっしょです。
希望としては、コンピュータとのインタラクションをなしで済ませたいなと思っています。
理由は人間がコンピュータを操作するという行為が無駄だと感じるからです。
無駄だと感じるのは、コンピュータがやってくれる内容ではなく、そのために人が操作しなくてはいけないことです。
操作という違う作業への置き換えはどうなの?
どこが気になっているかというと、人間が普通に物理的な環境に存在するものに対して行っている行動を、無理やりGUIなどのデバイスによる操作に置き換えないでくれ、という点。できれば僕自身は紙に手書きで書くから、あとは必要ならコンピュータ側で勝手に処理してくれと思っています。その意味で最近、藤井さんのブログのスタイルに憧れるw。
Suicaで自動改札を通るくらいに普段の行動に自然に入ってくるならいいんですけど、普段の人間の行動を変えてまでコンピュータを操作するのは、果たして人間にとって有意義なことなのか、最近ますます疑問に思うようになってきています。
タバコとコンピュータ、どっちをやめようか?
これまではコンピュータによって実現できることが、その操作によって失うもののコストを上回っている気がしていましたが、最近どうもそうではない気がしています。それはコンピュータのもつ価値に対する僕の評価が下がったというよりも、支払ってるコストが実は想像以上に大きいのではないかという気づきによるものであったからそうなっている。手書きが面倒だからキーボードで打つ。書きなおしが面倒だからコピペして修正する。そういう面倒を省くことによる自分自身の能力のロストが馬鹿にならないのではないかという気がしています。面倒なことにこそ意味があるのに、その面倒なことができる機会が奪われているのではないか、と。それに面倒なことを排除したつもりが別の人の面倒を作っていたりもするわけですから。
まあ、「人間能力向上のための教育について」や「テキスト情報過多の時代に人は何を感じるか」で書いた話とつながってるわけです。
そういいながら、このエントリーも当然キーボードを打ちながら書いているわけですから、人間のサボリ癖というのも手におえないな、という気もします。
なんかこれはタバコをやめること以上に、コンピュータをやめることのほうが人間として真剣に考えるべき問題なんじゃないかとさえ思えてきています。
こっちはこっちでやるから、そっちもそっちで勝手にどうぞ
僕が感じている問題はコンピュータの利用そのものというより、その操作方法に関してです。なぜ人が本来身体全体を使って能力の発揮が可能な物理的環境に対する行為を、ヴァーチュアルな環境へのGUIデバイスを介した操作に変換してしまうのか、という点です。
その意味で、金曜日に話題になっていたユビキタスの話は興味深かった。
僕にしてみれば、こっちは普段どおりに物理的環境に対する行動をするから、あとはコンピュータの側で勝手にその行動のログでもとって、そっちはそっちでうまいことやってくれればよいな、と。そもそも操作という概念をなくしてはいかがか、と。そんなことを夢想したわけです。つまり、人間とコンピュータのあいだは非インタラクティブな状態で、一方的にコンピュータ側が処理をする状態がよいな、と。そのあいだに人間は釣りでも、料理でも、読書でも、工作でも、洗濯でも好きなことをしてられるのが僕の理想。
あとは特殊なケースを除いて仕事などの作業にコンピュータは使わない。コンピュータはゲーム等、エンターテイメント系の理由に特化するとかかな。
そんなことを夢想していたくらいなので、あまりにテーマである「インタラクションデザインの未来」とはかけ離れてしまっているな、と、なんとなくその場にいるのが気マズイなーなどと感じてみたり。
そこに長谷川さんのSite-it!を見つけたので、思わずほっとしてみたり。
ここまで来ると好みというか価値観の違いなのかもしれませんので、これはまぁ僕だけの理想かな、と。未来に背を向けてみるのもよいのではないかくらいに思っています。
そうはいってもいまは仕事もあるのでコンピュータを手放すことはしばらくできないと思いますが、本当に将来はコンピュータ操作の(ほぼ)ないライフスタイルを実現するためになんらかの方法を考えていかないとな、と思います。
関連エントリー
この記事へのコメント