2009年03月27日

日本文化の形成/宮本常一

最近、本は相変わらずのペースで呼んでいますが、なんとなく書評を書く気にはなれなかったのですが、ひさしぶりに。

紹介するのは、すこし前に『忘れられた日本人』という日本民俗学における名著を紹介させてもらった宮本常一さんの遺稿を死後編集し出版したもの。
『忘れられた日本人』を読めば感じられるとおり、日本列島を徹底的に歩き回った宮本さんが、『古事記』や『日本書紀』、『万葉集』、『風土記』などの古代の文献を読み返しながら日本文化論がこの一冊です。

フィールドワークと文献研究

網野善彦さんによる解説のなかの次の一文がまさにそのとおりだと感じたので、まずそれを引用しておきます。

私は本書を読んで、民俗学者としての姿勢を徹底的に貫き、広い調査、フィールドワークを積み重ね、民俗・民具資料についての深い造詣を持つ人が文献に接したときに、どれほど豊かなものをそこから汲みとり、またそれに触発されることによって、文献のみに閉じこもっている研究者には到底思いつくことのできない、すぐれた新しい発想を展開しうるのかを、よく知ることができた。
網野善彦『日本文化の形成』解説より

分野はまったく違えど、調査に関わる身としてこれはまさに実感できることです。調査によって人に接すること・現場に接することはとにかく数をこなし、昨日「人間中心設計プロセスとシックスシグマに共通する継続的活動の重要性」で書いたように継続していく必要があります。現場にしかないものがあるし、繰り返し調査をしないと見えてこないものがあるからです。
ただ、現場での調査だけ行っていればよいかとそうでもない。同時に文献にあたることもやはり大事だと実感として感じます。その意味でフィールドワークと文献研究を両方とも積み重ねた柳宗悦さんや折口信夫さんのような方の本を読んでいるとやっぱり見る目がすごいなと感服することが多い。そして、その意味でこの本での宮本常一さんの視点の鋭さにも圧倒されたわけです。

人と技術の移動

さて、本書で宮本さんは、稲作を伝えた人びと、倭人の源流、日本文化にみる海洋的性格、畑作の起源と発展、海洋民と床住居といったテーマで、日本文化の源流に関する仮説を発想、展開しています。

宮本さんの発想の根底にあるのは、日本列島内だけでなく、東アジア・東南アジア・ロシアなどの地域を含めた人びとの移動です。稲作にしても、畑作にしても、土器や鉄器の生産にしても、文化はその技術のみで別の地域に伝わるのではなく、その技術を有した人びととともに移動するという考えが宮本さんの仮説の発想の根底にはあります。

そうした移動が縄文時代においてさえ、僕らが想像する以上に頻繁にあったと宮本さんは考えます。自身が日本各地を歩き回った宮本さんらしい発想だなと感じました。

凶作などで北から南への移動というのは大きかったと思うが、南から北への移動も大きかったのである。その中には陸地を移動していったものも多かったであろうが、海岸伝いに魚や貝類を求めて、北へ北へと移動していった者も少なくなかった。船を利用しさえすれば、その移動はそれほどむずかしいことではなかった。それは海人(あま)たちが南から北へ移動した足跡をたどってみるとよくわかる。
宮本常一『日本文化の形成』

とうぜん住み慣れた場所を移動するには、上代においても理由が必要だったでしょう。それは凶作を理由とする場合もありましたが、もともと漁撈民や狩猟民などは魚や獲物を求めての移動もしたようです。

海洋民としての倭人

しかも、こうした移動は地続きの日本列島内にとどまらず、海を越えての移動も決して少なくはなかったと宮本さんは考えています。

そして『魏志』「倭人伝」にみられる倭人に海洋民的性格を見出し、下記のような仮説を立てていることは非常に新鮮でした。

倭人が朝鮮半島と九州の両方に植民地を作ったことは、大陸と日本列島との往来関係を密接にし、大陸の文化が朝鮮半島を経由して比較的スムーズに流入するようになった。
宮本常一『日本文化の形成』

大陸文化が海を越えるためには船を必要とするが、大陸人は海に親しみがすくなく船の建造技術ももっていなかった。そこで大陸と日本列島の文化の橋渡しを倭人が担う。この倭人は縄文人の後裔ではなく、日本に稲作をもたらした南方の海洋民だろうと宮本さんはいいます。

おもしろいのは、海洋民である南方民族の温かい気候での住居形態―高床式で、壁をもたない柱のみの住居がその後の日本語の住宅となっていくという仮説です。温かい気候でこそ快適であった壁なしの住宅が、日本の南方にくらべれば寒い気候でも移入されているという点です。
御簾や簾、蔀戸といった壁の代わりをなす間仕切りを用いる住居形態が、南方の海洋民ゆずりだとしたら非常におもしろい。本来、そうした住居形態は日本の気候にあったものだとされていたのですから。

新鮮で独自性のある日本文化論

この本ではいま日本というひとつの国とみられているこの国がかつては明らかに東北日本と西南日本で明らかに違う文化をもっていたことにも言及されています。
その見方は次に紹介しようかと考えている網野善彦さんの『東と西の語る日本の歴史』にも受け継がれています。

ほかにも畑作の起源と狩猟民との関係などにも独自性のある考察がおよび、とにかく、これまでの日本文化の見方が変わる刺激的な一冊でした。
おもしろいのでぜひ読んでみてください。



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posted by HIROKI tanahashi at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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