真似からはじまる自己の再認識

かつて読んだはずなのですが、いま読み返しても感心してしまいます。

まず、自分の信義においてその対象が「本当に大切なこと、あるいは価値があるもの」と思うのであれば、徹底的に模範として活用してみること。次に、ひとはどんなに他人のマネをしてもマネし切れない自分を発見するものです。そのギャップこそ他ではない自分自身です。そのとき初めて自分の真実を発見した瞬間と言えるのではないでしょうか。その後はその芽を試行錯誤しながら、育てていく中にだれもマネの出来ない独自性が出来上がってくるように思えます。

「独自性」というキーワードで書かれたものですが、まずは守・破・離や、真似から話を進められています。最近、自分でも「稽古不足 」や「型と形」、「型とオリジナリティ(あるいは「他者の経験から学ぶ」)」といったエントリーを考えながら、おなじことを考えていたのですごくよくわかるし、感服します。
感服するのは、企業レベルの独自性を考えながら、上記の発想にいたっている点です。僕が考えていたのはあくまで個人単位でのレベルでしかありませんから。

自分を捨てることで自分を知る

昔、「真似るための3つの条件」で書いた3つの条件を繰り返せば、「よく観察すること」「我を忘れること」「繰り返すこと」が真似るためには必要になります。
最初の2つは結局、自分の思い込みを捨てて目の前にあることから学べということです。そして、3つ目はそれを繰り返すことでさらによく見えるようにすることです。

これは外を見ているようで実は内側を見ているのです。自分を捨て外部を見ることに専念することではじめて自分が見えてくるのです。

真似することからはじめるという意味はそこにあるのだと思います。単に他の人が自分よりよくできるから真似するのではない。
結局は真似することで自分を見つけることが大事なんだと思います。

ただ、問題は真似をはじめるにあたって必要な「本当に大切なこと、あるいは価値があるもの」を見つけ出す嗅覚が衰えてしまっている状況にある人・企業が多いようにも感じます。これは我を忘れるというよりも自分を見失ってしまっている状態、自分自身に関心がない状態に近い状態ではないかと思います。

自分(たち)で「本当に大切なこと、あるいは価値があるもの」を感じとることよりも、他の人や組織がそれを用いてよかったことばかりを探そうとしてしまっている状態というのはどうなんでしょう。それによって個人として、組織として成功を勝ちとろうとする傾向があるように思いますが、果たしてそれでよいのでしょうか?

意志の再点検

その点に関しても、こんなことが書かれています。

このような立場に立った場合、企業活動において明日をどのように切り開き持続的発展へと導くべきかについて考えてみます。公開された情報をすばやくキャッチしても、大概のものはすでに既知の情報ですから、価値は非常に低いと見ます。他社のマネをしても追いつくことは出来ても追い抜くことは莫大なコストが必要です。どこよりも早く情報をキャッチし、どこよりも早くサービスや製品を市場に投入するにはどうすべきなのでしょう。その答えは外部ではなく内部にあるように思えます。特に「企業としての意思」がどこに向いているかということが重要だと考えます。なぜならば、情報を受信することから、発していない情報を発掘することに興味の中心が行き、他社と比較することから、自社の主要顧客の声(事実)を捉えようとすることに情報収集の中心が移るからです。

スピードを上げようと思えば、自身の意志を再点検し、意志を行動に移すプロセスを見直すことと書かれています。これもまさにそのとおりだとしか思えません。
そして、バランストスコアカードで「財務」「顧客」「業務プロセス」「学習・成長」のバランスをとりながら戦略を実行し、常に戦略・実行・結果からのフィードバックの循環プロセスをクローズドループシステムでまわせ、と。

真似からはじまる自己の再認識

僕も最近では「内省する力」だとか「自分の好みを知るということが結局自分を知ることなんだと思う」などといったエントリーを書いていますが、ようするに自身の意思・行動力・プロセス・価値観を見直すことが大事なことなんですね。こうした観点において「本当に大切なこと、あるいは価値があるもの」に学び=真似びながら、自分自身の再点検、自分自身の発見を行うクローズドループシステムをまわしていく。それが結局は独自性をもった自身をつくりあげていくための早道ではないか、と。昨日の「お客さんから学ぶ」に書いたことも結局、その作業のひとつです。

意志の再点検にもプロセスを身につけるにも結局は、真似からはじまる自己の再認識の作業が必要なのだろうと感じます。企業においても、個人においても。
その努力ができるかどうかで将来はまるで違ってくるのでしょう。企業であっても、個人であっても。

僕自身のなかにそういう感覚が息づいているのも、まさに何年かここで修業させてもらった結果なんだろうなとありがたく思うことが多いです。



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