日本芸能史六講/折口信夫

民俗学者の折口信夫さんは日本藝能の歴史を発生学的に論じた『日本芸能史六講』において、<藝能はおほよそ「祭り」から起つてゐるものゝやうに思はれます>と述べています。また、この「祭り」は饗宴といったほうが適当かもしれないとも言っている。かつては祭りそのものが宴会の形をなし、客人(マレビト)を饗応の御馳走で招くものだったからです。

このまれびとに対して対蹠の位置にある人があるじです。このあるじといふ語は、吾々は主人といふ風に考へ易いが、もとは饗応の御馳走のことを言うた語です。つまり来客の為に準備しておいた御馳走を、その客にすゝめることをばあるじすと言うてゐますが、御馳走をすゝめる役が、主人だつたのでせう。そしてこのことから、主人をあるじと言うやうになつたのです。
折口信夫「日本芸能史六講」『日本芸能史六講』

そして、このあるじとまれびとの間に介在するものとして「舞をまふもの」が、饗応の場=祭りの場に登場してくる。ここに折口さんは藝能の発生をみています。

常世の国からの客人(マレビト)

この『日本芸能史六講』という本には、表題作「日本芸能史六講」のほか、「翁の発生」という折口民俗学を代表する一編も収められています。
その「翁の発生」ではこう述べられています。

私は日本の国には、国家以前から常世神(トコヨガミ)といふ神の信仰のあつた事を、他の場合に度々述べました。此は「常世人」といつた方がよいかと思はれる物なのです。斉明天皇紀に見えてゐるのが、常世神の文字の初めでありますが、此は、原形忘却後の聯想を交へて来た様で、其前は思兼神も、少彦名命も、常世の神でした。然し純化しない前の常世人は、神と人間との間の精霊の一種としたらしいのが、一等古い様であります。
折口信夫「翁の発生」『日本芸能史六講』

神として純化される前の常世人。それが先の饗応の場=祭りの場に登場するマレビトです。

折口さんは沖縄を二度訪れて、その地に残っていた祭りを目にするなかで、海の彼方から来るマレビトというイメージを直観しました。

日本人は、常世人は、海の彼方の他界から来る、と考へてゐました。初めは、初春に来るものと信じられてゐたのが、後は度々来るものと考へる様になりました。春祭りと刈上げ祭りは、前夜から翌朝まで引き続いて行はれたものでした。其中間に、今一つあつたのが冬祭りです。ふゆまつりは鎮魂式であります。あき・ふゆ・はるが暦法の上の秋・冬・春に宛てられるやうになると、其祭りも分れて行はれる。其祭りの度毎に、常世人が来臨して、禊ぎや鎮魂を行うて行く。かうなると又、臨時の祭りが、限りなく殖えて来ました。
折口信夫「翁の発生」『日本芸能史六講』

「臨時の祭りが、限りなく殖えて来」ると次第に、常世人を演じる役割の人にも頻繁に訪れるための目的が必要になる。そして目的にあったように藝能の形も固定化し純化してくる。同時に常世人も常世神に順化していく。

そして、

神様が出て来られねば、まつりにはならぬのです。その点教育を受けたものが一番不幸で、神様の現実にゐられぬまつりなるものを感じてをりますが、かへつて教育を受けぬ人には、まつりには神様がそこに来てゐられるといふことが信じられたのです。つまり、教養のある者は、空つぽのまつりを祭りだと考へてゐるのです。此はよくなうことです。
折口信夫「日本芸能史六講」『日本芸能史六講』

という具合になっていく。
そして、この「神様がそこに来てゐられる」という状態は、芸能の分野では、田中優子さんが『江戸はネットワーク』で指摘しているように、江戸期まで連歌会や歌舞伎芝居のような場では必ず神棚が祀られていたことにも通じているのでしょう。僕は最近、芸能的なセンス=感覚と、神を信じるといった場合の信仰、そして、直観と知識、あるいは物事を直接感じとる力と常識という壁の関係についてちゃんと考えなおしておく必要があるなと思っていますが、この話は長くなるので、また別の機会に書くことにします。

常世の国は、海から山へ

そして、時代が下るに連れ、常世の国は海から山へと移動していきます。

常世の国を、山中に想像するやうになつたのは、海岸の民が、山地に移住したからです。元来、山地の前住者の間に、さうした信仰はあつたかも知れませぬ。だが書物によつて見たところでは、海の神の性格職分を、山の神にふり替へた部分が多いのです。
折口信夫「翁の発生」『日本芸能史六講』

この移動によって、山から神が下りてくるようになる。そして、同時に芸能民もまた山から現れ、山から山へと移動する存在になっていく。これが網野史学において再三論じられているように、中世の無縁の場における芸能民へとつながっていくのでしょう。

大昔には、海の彼方の常世の国から来るまれびとの為事であつたのが、後には、地霊の代表者なる山の神の為事になり、更に山の神としての資格に於ける地主神の役目になつたものでした。さうして、其地主神が、山の鬼から天狗と言ふ形を分化し、天部の護法神から諸菩薩・夜叉・羅刹神に変化して行く一方に、村との関係を血筋で考へた方面には、老翁又は尉と姥の形が固定してまゐりました。
折口信夫「翁の発生」『日本芸能史六講』

そう。折口さんは「翁の発生」の源にマレビトを見ているのです。そして、ここにこそ、神、祭り、芸能のつながりが見えてくる。境界を渡る者としての芸能民の存在も、祭りに訪れるマレビトと重なり合うことで、その関係性がより明らかになってくるのではないでしょうか。

もどき

この本を読んでいてもうひとつ興味をもったのが、「もどき」です。

折口さんは「私は、日本の演芸の大きな要素をなすものとして、もどき役の意義を重く見たいと思ひます」と述べています。

もどくと言ふ動詞は、反対する・逆に出る・批難するなど言ふ用語例ばかりを持つものゝ様に考へられます。併し古くは、もつと広いものゝ様です。尠くとも、演芸史の上では、物まねする・説明する・代つて再説する・説き和げるなど言ふ義が、加はつて居る事が明らかです。
折口信夫「翁の発生」『日本芸能史六講』

もどきはつまり物真似です。世阿弥も『風化姿伝』において申楽(能)においては物真似が重要だとしていますが、もどきには物真似という意味と同時に、説明するという意味もある。申楽においては、説明する役は狂言の側にある。すこし前に紹介した梅原猛さんの『うつぼ舟I 翁と河勝』でも論じられていたように、能においては特殊な演目とされる「翁」でも、能楽のシテよりも狂言師が演じる台詞のある三番叟が主役となっています。

このもどき=物真似する、代つて再説するということが日本という方法を深く理解する上では大事なキーワードだなと感じます。「型と形」というエントリーで書いたように、日本文化においては非常に重視されてきた概念であり、「根源の形象」である型は、すこしずつ原形とは異なりながらも類似する「個々の形象」としての形として再帰してきます。つまり、形はつねに型をもどくことで、型に「ち(霊)」を付与していることになる。

このことを芸能の根本的なところにおいたのが日本の文化です。そういう意味において、この「もどく」というキーワードについてはもうすこし考えてみる必要があるな、と。これについてはまた後日書くことにします。



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この記事へのコメント

  •  まったくもってtanahashiさんの読書にはついていけてませんが、この「まね」に関しては岩波書店のPR誌「図書」2008年3月号に村山道宣さんという民俗学者の『「まね」はかつて呪術だった』という記事が掲載されていて読んだことがあります。ただ小冊子4P程ですが、「まね」とか「まなぶ」が非常に興味深い言葉になりましたね。

     多少引用して紹介しますと。

    <<
     「効(まね)び」の「効」には、列島に以前から伝承されてきた、呪術としての「まねのわざ」の意が込められていたと推察される。おそらく、その「わざ」には、人類学者J・G・フレーザーが述べている「類似は類似を生む、すなわち結果が原因に似る」という「類感呪術」の思考原理に近いものが働いていたのであろう。(「図書」08年3月号P30より)
    >>
    これはフレーザーの「金枝篇」からの引用です。
    かなり分厚い本のようですが一度読んでみたいです。
    他に
    <<

     今日、私たちは神事や芸能、例えば各地で初春に稲作の予祝儀礼として行われる「田遊び」などに、「まねのわざ」が呪術であった時代の痕跡をかろうじて見ることが出来る。(略)…それらは、<豊作を模擬的に演ずるとその通りになる>との俗信に基づく「呪い」の所作であった。
     そのような民俗信仰も儀礼も、すっかり影が薄くなってしまった昨今であるが、でも、ひっとするとそれらの中に、わが国の芸能の根本原理が潜んでいるかもしれないのである。「図書」08年3月号P31より)
    >>

     とtanahashiさんが紹介してくれた本の内容に通ずる所がありますね。読みたいです。

     影の薄くなってしまった昨今だからこそ、この無形の行動(方法)、精神や意志(心)、のデザインとなんといっていいのかわかりませんが、そういう可能性、必要性があるなと思います。
     そういうのってtanahashiさんが仕事でやられているペルソナ手法(そういえば「まね」的)などの様々なデザイン方法と通ずる所がありますね。
    2009年03月04日 14:22
  • tanahashi

    翔さん、

    コメントありがとうございます。

    > <豊作を模擬的に演ずるとその通りになる>との俗信に基づく「呪い」の所作であった。

    これは呪詛のことばでも同じだったようですね。
    凶兆のことばを発しても、吉兆のことばを発してもそのとおりになる。
    言霊(ことだま)であり、白川静さんが万葉集や中国の詩経などを研究して明らかにしたのも
    そうした詩の呪的な性格でした。

    そのあたりも含めて「もどき」「型と形の関係における類似物の再起」ということに興味があります。
    人間の認知能力、環境理解の方法として、そうした呪的な方法がかつて確かに存在したわけですから。
    2009年03月04日 15:04

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