忘れられた日本人/宮本常一

宮本常一(1907-1981)さんは、昭和14年以来、日本全国を歩き回るフィールド調査により、各地の民間伝承を収集した民俗学者です。この本で宮本さんはみずから訪ね歩いた辺境の地で聞き取りした古老たちが語るライフヒストリーをまじえながら、日本の村々の民衆の暮らしを鮮やかに浮かび上がらせています。その老人たちの話はどれも個性豊かで、それぞれが小説か民話の主人公のように活気に満ちていて、これが普通の村に暮らす民衆の姿なのかと驚かされます。

村里生活者は個性的でなかったというけれども、今日のように口では論理的に自我を云々しつつ、私生活や私行の上でむしろ類型的なものがつよく見られるのに比して、行動的にはむしろ強烈なものをもった人が年寄りたちの中に多い。これを今日の人々は頑固だと言って片付けている。
宮本常一『忘れられた日本人』

まさにこの本に描かれた老人たちは「行動的にはむしろ強烈なものをもった」人びとです。
その姿は、網野善彦さんが『日本の歴史をよみなおす』『無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』で示した中世の人びと、田中優子さんが『カムイ伝講義』で明らかにした江戸期の百姓の姿につながります。また、柳宗悦さんが『工藝の道』が描いてみせた勤労な工人の姿に重なってくる。

決して豊かとはいえない生活のなかで朝から晩まで働き続けることにむしろ感謝をしめす姿勢、あるいは、閉じた村に外の世界のことを知らせるために率先して各地を放浪する世間師と呼ばれる人など、その人間としてのバイタリティの高さはとてもではないがかなわないという印象を受けながら、圧倒されつつ、一冊読み終えました。

中世以前につながる山の道

それと同時に、こうした老人たちの声を日本各地を歩いて集めた宮本さんのフィールドワーク自体にもすごさを感じました。

昨日の白洲正子さんの『日本のたくみ』でも、柳宗悦さんの『手仕事の日本』でも、自分が興味をもったものに対して各地を歩いて実際に物や人に触れて取材するという姿勢には頭が下がるばかりです。

特にこの宮本さんなどは、山中の道なき道を歩いて村々の老人を訪ね歩いて道に迷いそうになりながら、そこに歴史とつながった現在を発見する。

こうして道をあるいていて思ったことだが、中世以前の道はこういうものであっただろう。細い上に木がおおいかぶさっていて、すこしも見通しがきかない。自分がどこにいるかをたしかめる方法すらない。おなじ道を何回も通っても迷うということはよくわかる。
宮本常一『忘れられた日本人』

そうした山道を歩く知恵を七十近い老人が宮本さんに伝える。

「歌をうたっておれば、同じ山の中にいるものならその声をきく。同じ村の者なら、あれは誰だとわかる。相手も歌をうたう。歌の文句がわかるほどのところなら、おおいと声をかけておく。それだけで、相手がどの方向へ何をしに行きつつあるかぐらいはわかる」

ラジオも新聞もなく、土曜も日曜もない村で、人びとは歌をうたう。
そして、歌のうまい人には「楽しみがあった」という。

昔の人はよく旅をした。村の人は旅人が立ち寄ると無料で宿を貸した。食べ物もふるまった。
そんななか、旅人と村の人で歌のかけあいがはじまることがある。節のよさ、文句のうまさで勝敗を決める。そのうち、いろいろのものを賭けはじめる。男は女のからだをかけさせる。歌のうまい人に楽しみがあるのは、歌合戦に勝って旅をする女性と契りをかわすようなこともあるからだ。

女性の旅、男性の旅

網野善彦さんも書いていることだが、昔は女性がよく旅をした。今でも女性は旅行が好きだが、むかしは山道をひとりで数人で歩く旅です。とうぜん、それなりの危険もある。もちろん、危険と取るか、楽しみと取るかは別だが。

「昔の旅のたのしみは何でありましっろうか」
「はァ、道づれでありましっろうの。歩いていると、ひとりでに連れができてそれで気安うなって…」
「夫婦になったりする者もありましたろう」「はァい、ありましたのう、あんたは知ってじゃろうが、この西に二宮という家があって、あそこに旅から来た婿がおりました。丹後の宮津の者じゃというて! あれは出雲へまいる途中でねんごろになったという事でありました」
宮本常一『忘れられた日本人』

かつての性は今とは比較にならないほど開放的であったようです。夜這いもあったし、年に一度は「好きなことをしてよい日」があった。その夜だけは男女誰とでも寝てもよかったという。ましてや、旅の恥はかき捨てでした。

旅をするのは女性だけではありませんでした。
男性もまた旅をする。仕事を求めての旅もあった。

大工の伊太郎は西南戦争で荒れた街の復興のために熊本に行く。伊太郎は仕事もまじめだったが、夜の夜這いも熱心だった。夜這いのついでに、熊本では食べない庭の鶏を盗んで鍋にもした。そのうち、村のなかの鶏がすくなくなるのに気づいて村の人は戸締りを厳重にするようになった。戸締りが厳重になったので伊太郎は夜這いもできなくなった。それで村長の仲人で、すきな娘と結婚して入り婿になった。

ところが伊太郎には家の方に結婚したばかりの女房がいた。おとなしくて働き手で伊太郎にはすぎた娘だと言われていたが、本人はそういう事もおかまいなしに他郷で入婿養子になっていた。
宮本常一『忘れられた日本人』

現代からみるとむちゃくちゃな話です。
家の方では二年も戻らないので様子見にくると、その有様なのでそれは間違っているといって連れ戻したそうです。ただ、それで伊太郎が懲りたかというとそんなことはこれっぽちもなく、また鹿児島に出かけていったといいます。

近い過去から遠く離れた現代、遠い過去とつながったすこし前の世界

そんなバイタリティあふれる古老たちの話がこの本には満載です。

それが明治や大正、場合によっては昭和の話かと思うと、いかに現代がそこから遠くへ離れてしまったかということに驚かされると同時に、その老人たちの話がむしろ田中優子さんが『カムイ伝講義』で書いた江戸期の村落の姿や、さらには網野善彦さんが描く中世の村落の姿のほうに近いことに驚かされるのです。

僕自身、つい最近までこういう昔の村落の姿、民衆の姿に対してほとんど無知でしたが、きっと今を生きる多くの人がそんな世界は遠い昔のことだろうと考えているでしょう。
しかし、それは意外と近い過去の話なのです。そして、その近い過去はずっと以前からあった遠い過去の世界と地続きでつながっている。

網野善彦さんが『日本の歴史をよみなおす』で、

現在、進行しつつある変化は、江戸時代から明治・大正、それから私どもが若かった戦後のある時期くらいまでは、なんの不思議もなく普通の常識であったことが、ほとんど通用しなくなった、という点でかなり決定的な意味を持っています。
網野善彦『日本の歴史をよみなおす』

と書いていますが、この『忘れられた日本人』という本を読むとこの言葉の意味がさらによくわかります。まさにこの本で描かれた老人たちの生活、生き方というのを今の僕らは完全に忘れている。いや、忘れているというより最初から知らなかった。
そして、網野さんが「江戸時代から明治・大正、それから私どもが若かった戦後のある時期くらいまでは、なんの不思議もなく普通の常識であったこと」というのとはまったく別の常識を当たり前だと思っています。

道を見失って歌をうたう

最近はそれがすごく危険だなと感じています。

せめて過去の世界はどうであったか、なぜそれが現在のようになったのか、その変化の根幹にあるのは何であり、変化によって自分たちが何を失ったのかくらいは把握していてよいと思うのです。
それは過去のほうがよかったとか、過去を復刻すべきとかいう話ではなく、自分たちの居場所を知っておくという意味でです。

僕らは見通しがきかない山道で道に迷っているようなものです。歌をうたって、向こう側の人の歌声を聴いて、自分の居場所を確かめなくてはならないし、相手がどの方向へ何をしに行っていたのかを知るべきかもしれません。

それもあって、最近、この手の本を読まずにはいられないんです。
それにしても亡くなった方の本を読むことが多くなりました。



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