日本のたくみ/白洲正子

白洲正子さんは生前、銀座で染織工芸の店を営んでいたことがある。

それで染物や織物の作家・職人とも縁があった。
織物職人の田島隆夫さんとも柳悦博さん(柳宗悦さんの甥)の紹介で出会っている。面白い職人がいるといって紹介されたそうだ。そこで白洲さんは田島さんに「むつかしい注文を出してみた」そうだ。昔の織物のような「ざんぐりした味わい」を織物が欲しいといって、何枚かの古い布を渡して帰したのだそうだ。

田島さんは黙って白洲さんの注文を聞いていたそうだが、しばらく経つと織物を持ってきたそうだ。「織物は着てみないとわからない」と白洲さんはいう。そうしないと欠点がわからず、客に対しても責任がもてないという。田島さんが持ってきた織物も白洲さんは実際に着てみたそうだ。

着てみると着心地がよかった。見た目にも美しかった。ただ、しばらくすると欠点がわかってきた。味に重きをおきすぎたがゆえに、腰がなく頼りなく感じられてきたのだそうだ。
それで田島さんに「きものとしては不完全である」と注意したという。またしても田島さんは黙ってそれを聞き、また、しばらくすると新しい織物を持ってきたそうだ。

そういう付き合いが二十数年も続いたそうだ。そのあいだに田島さんは「小気味よい程成長して行き、今や押しも押されぬ一流の職人に育った」のだそうだ。



僕は、デザインをする人にはこの白洲さんのような力が必要だと思うのです。

「ざんぐりした味わい」など、自分が求めているものを明確に職人に伝え、「織物は着てみないとわからない」と正しく物を評価する目と客に対する責任を持ち、かつ、出来が悪いものに対しては「きものとしては不完全である」とはっきり判断できること。これができないといったい何をデザインしているのかわからない。
逆に、そのデザイナーの注文を実際の物にするのは職人の仕事なんだと思います。

デザイナーと職人

このデザイナーと職人の役割分担がどうも誤解されている感がある。

デザイナーが職人の領分に入り込んでしまっている一方で、本来、デザイナーがやるべきこと―注文を出すこと、評価すること、客に対して責任をもつこと、ダメなものはきちんと職人に注意すること―ができなくなっているのではないでしょうか。

著名なデザイナーである奥山清行さんも『伝統の逆襲』で「職人ならではの大きな特徴は、生産しながら開発していけるという能力だが、その点を理解する人がいない」と書いていますが、物を作りながら物そのものの魅力を高めていく技を身に着けている職人に対し、デザインというのはどこまでいっても頭のなかのイメージをいかにヴィヴィッドにしていくかという作業であり、そうしたスキルにおいて長けているのがデザイナーであるはずです。

デザインという仕事に必要なのは、人びとが暮らす生活文化のなかで、そこに必要だがいまだ存在してはいない物について明確にイメージすること、生活の文脈に沿った動きのなかで人と物との関係性を定義することだと思います。その頭のなかに人と物との関係性をヴィヴィッドにイメージできるスキルに長けたデザイナーが実際のものづくりに手を出しても、それを磨き上げることはできませんし、そんなことよりももっとやるべきことがあります。

デザイナーは物そのものをいかに魅力的に仕上げるかは職人のたくみの技にまかせるほかない。工業製品であれば機械による生産に委ねるしかないのといっしょです。
ただ、機械生産とは違い、職人には「生産しながら開発していける」力が備わっている。そこに物がさらによくなる可能性が大いに残っている。
その物をさらによくする手業を備えた「日本のたくみ」を訪ね歩いて、その技をデザイナー=ディレクター的な視点で鋭く観察して捉えたのが、この白洲正子さんの『日本のたくみ』という一冊です。

日本のたくみ

ここで紹介されている職人は、すでに紹介した田島さんのほかに、草木染めの志村ふくみさん、焼物の福森雅武さん、立花作家の川瀬敏郎さん、月心寺でおいしい精進料理をふるまう村瀬明道尼など、名の知れた職人さんもいれば、名前を隠して登場する方もいます。それから、京都で市原平兵衞商店という箸屋を営み、白洲さん同様、職人に対するディレクター、プロデューサー的な役目を勤める市原平兵衞さんなども紹介されています。



まず最初に登場する扇職人の中村清兄さんの話がおもしろい。
放浪癖のある中村さんは通常の扇作りを「これはパン絵だ」という。パン絵。すなわりパンを食うための絵です。そんな風にいうのは、中村さんには白木の檜扇を作れる手業があるからです。檜扇は、骨に紙を張る通常の扇とは違い、文字通り、透き通るような薄さの檜だけでつくった扇です。
中村さんは「もともと扇はあそびである」という。扇絵はけっして真ん中に描いてはならず、歌や俳句を書けるぐらいの余地を残しておかなくてはいけないという。そうやって人に弄ばれて捨てられるのが扇なのだそうだ。あそんで捨てられるからこそ、扇は隅から隅まで軽く涼しく清らかでないといけないという。

草木染めの志村ふくみさんの話もおもしろい。
志村さんも最初は化学染料も使っていたのだそうだ。ただ併用しているうちに両者の違いがはっきり見えてきたという。「化学染料を用いた作品には、何か異質な感じがあり、植物染料の方は自然と同じ次元にある。人間の血に通うものがある」ことに開眼したという。
さらに同じ草木でも切る時期があることも知ったそうだ。

たとえば桜は花の咲く前、二月頃に切るのが一番いい。花へ行く紅の色素が、幹の中にたくわえられるからで、木工の黒田辰秋氏にも、そういう話を聞いた覚えがある。またたとえば刈安は、鮮やかな黄の染料であるが、穂の出る直前、お盆のころに刈る。桜や梅と同じように、穂に出る色が茎の中に用意されるからで、その時期を逸すると、ぼやけた色に染まってしまう。
白洲正子『日本のたくみ』

んー、これなんかまさに「自然の力にあやかる」で書いたことですよね。物をつくることを知るというのはこういうことなのだろうと思う。物を作りながら物を知っていく。それはことばにできる知であるよりも、もっと繊細で感覚的な知であることも多いのだろう。

人と物をつなぐデザイナーの本来の仕事

この本では石工や木工の職人も紹介されていますが、彼らがみな道具そのものを自分でつくっているのもそういう繊細な感覚を手の延長である道具にも必要としているからなのでしょう。

「道具は人間が造ることができるけれども、砥石は天然のものだから、造るわけには行かないからだ」
白洲正子『日本のたくみ』

というのは、「なぜ職人が道具より砥石を大切にするのか」という白洲さんの問いに対する、木工職人の黒田乾吉さんの答えです。

ただ、こうしたたくみの技をもった職人も、人びとの生活文化が変わったことで物はよくても用途そのものがなくなってしまい、職を失っていくこともあります。職人のなかにも人びとのニーズにあわせて作るものを変えていける器用な人もいますが、そうでない人も多い。

焼物の福森雅武さんなどは「ふるいものを模倣することがいやなので、現代の生活に合った日常雑器を造りたいのであろう」と白洲さんが評価しているとおり、時代の変化のなかでも生き残っていける感覚を持ち合わせた職人なのでしょう。でも、やはりそうではない人もいて、名前をあかさずに登場している白木の杓子の職人などはまさに土産物の杓子に押されて職を失いかけていたりもします。

僕はそこにこそ、人と物をつなぐデザイナーの本来の仕事があるのだと思います。よい腕をもった職人を活かすために、人と物の関係を整理し直して再構成してあげる。あるいはそれあ職人の腕を生かすことではなく、技術を活かすための再構成でもいい。そうしたプロデュース、ディレクションの仕事が本来デザインをする人に求められる一番大事な仕事であるはずです。

目利きの力=物を観る力

ただ、本来、そういう役目を担うデザイナーがその職務を忘れ、人が望むものを明確に職人に対して注文することができず、また、できた品物の善し悪しを利用する人の視点で厳しく評価する目を失い、さらにそのことによって客=利用者への責務をないがしろにしてしまうような傾向があります。

自分に見る目がなければ、それを作り手である職人に的確に指示することもできないでしょうし、できたものを厳しく評価することもできないでしょう。
僕が最近、目利きの力=物を観る力を養う必要があることを繰り返しているのも、それゆえです。それには白洲さんがいつも書いているように、自分で選んで失敗して時には痛い目をみることで学んでいくということが必要なのでしょう。いつも他人の評価ばかりで物を選んだり、無難な選択ばかりしていては、自分の目を養うことなんてできるはずもないのだから。

もちろん、それは職人によるものづくりではなく、機械生産のものづくりでもいっしょです。いや、職人のような手業で物のよさを創造的に引き出してくれる余地がない機械生産ではなおさらデザイナーの人の要求を知り、それを物の品質へと落とし込むスキルにかかってくるものは大きいはずです。だからこそ、僕らはもっと自分の「観る力」を日々養う努力をする必要がある。

それにしても、白洲正子さんという方の目利きの力には、その著書を読む度、いつも驚かされます。そして、その度に自分ももっと精進しないという気になる。

白洲さんの本は僕にとってそういう栄養補給の役割も担ってくれています。



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