2009年02月14日

自然の力にあやかる

梅の季節です。



うちの梅はまだ咲きません。咲くまでにはもうすこし時間がかかりそうです。

梅の盆栽をいただいてから1年経ちました。それをきっかけに、うちにもこの1年でいろんな植物が増えました。
日々、水をやったり世話しながら見ていると、植物の変化ってほんとに面白い。冬を越してこの季節になると梅のつぼみは膨らんでくるし、初夏にはきれいな色の若葉が芽吹きます。5月から夏くらいまではどんどん枝葉を伸ばして成長する。山もみじは秋になれば色づきます。小さな鉢でもちゃんと季節を感じさせてくれます。

そんな植物の面白さと人間はどう付き合うか。付き合ってきたのか。

植物の力

白洲正子さんはこんな風にいいます。

人間に自分に合った家が必要なように、花にも落着く場所が必要で、今の生け花がよくないのは、器のことをちっとも考えていないからね。(中略)人間が摘み取って、器に入れて、部屋に飾って、はじめて花に本当の命が吹き込まれるのだと思う。
白洲正子「"ほんもの"とは何か」『白洲正子"ほんもの"の生活』

また、法隆寺、薬師寺の棟梁であった西岡常一さんはこんな風にいう。

技術というもんは、自然の法則を人間の力で征服しようちゅうものですわな。私らの言うのは、技術やなしに技法ですわ。自然の生命の法則のまま活かして使うという考え方や。だから技術といわず技法というんや。

植物の力というのは切り取ったからといって急に失われるわけではない。古い木造建築をみればわかるように、何百年も場合によっては千年以上も呼吸をしながら建物を支えます。
先日、宮島に行ったときも厳島神社に後白河上皇の時代のものといわれるこんな古木が残っていました。



たとえ伐られたとしても、人間よりもはるかに長い年月を生き長らえる木の力。そして、単に生き長らえるだけでなく、年月を刻んで味わいも増していきます。こんな素材はいくら科学が発達したとはいっても人工的には作れません。

自然の力にあやかる

木だけではないでしょう。竹にしても、石や土にしても、自然の素材のもつ特色を人工的に生み出すことはできません。人間にできるのは、その特色にあやかるくらいです。

ただ、その力にあやかることで人工的に作られた道具や建物などが素材の特色を生かした美をまとうことも可能になる。

美しい材を用いるということは、やがて自然の美しさを讃えているに外なりません。平に削ったりあるいはそれを磨いたりすることは、要するに自然の有つ美しさを、いやが上にも冴えさすためであります。(中略)一つの品物を作るということは、自然の恵みを記録しているようなものであります。

物を作ることで自然のもつ魅力をさらに磨き、それを大事に用いることで自然の恵みを物理的にも精神的にも記録・記憶する。
割り箸を使い捨てたり、紙を無駄に使ったりという生活は、あらためる必要があるかもしれませんが、自然のもつ魅力を活かした物で生活に豊かさ・味わいを与えられるなら、それは生活文化を大事に作り上げていく上でも、もうすこし見直してもいいことだと思います。

緑は石油に匹敵する財産

「デザインとは生活文化をつくる仕事」だと定義する阿部雅世さんもこんな風に言っている。

阿部 世界的に見たら、水を撒かなくてもこれだけ緑が生えてくるというのは、石油に匹敵するくらいの財産なんですけれど、そこに気づかずに、岩肌丸出しの国から高い値段で大理石を買って、それを玄関とかトイレ周りに貼っている(笑)。(中略)この日本の湿気と緑を、もっと財産として認識したデザインが都市空間の中に生れてきてもいいのではないか、と思うんです。

これは日本ほど緑が豊かではないヨーロッパでデザインの仕事をしている阿部さんだからこそ気づいたことなのかもしれませんね。普通に日本に暮らしていると、自分たちに身近な木々が財産であるということを忘れてしまいます。

民藝の時代であれば手に入る素材はそれこそ身近にあるものだったから、自然とその財産をうまく用いていたのでしょう。
ただ、ここ最近、民藝の話を書いてきましたが、何もそれは民藝があふれていた時代の暮らしに戻ろうとかそういうつもりで書いているわけじゃないんですね。いや、実際、戻ろうとしたって戻れない。
そうじゃなく、日本の環境に適していて、かつ日本の財産でもある素材をうまく使ったものづくりを今の時代にあった形で見直し再構成して自分たちの生活に織り込んでいく。それと同時にそれを日本発で世界にも提案していけばよいのだと思うんです。

それはきっとこれまでもグローバル市場で展開してきたような大手メーカーの仕事ではないでしょう。もうすこし規模も小さく、職人の技とテクノロジーをうまくミックスさせたものづくりができるくらいの小回りがきく規模の企業なんだろうと予想します。自然素材を用いるといっても、かつての民藝のようなものである必要はまったくありません。現代のテクノロジー、なんなら、ITも組み込んでもいいでしょう(とはいっても、単に木でできたマウスを作りましたじゃ、あまりにセンスがないですけど)。

レッドオーシャンを抜け出す道

『なぜデザインなのか。』のなかでは、原研哉さんも、マーケティングによって掘り起こされただらしない欲望によって欲しい物を消費していく文化よりも、デザインによって覚醒された生活の方が確実に社会を豊かにし、そのことに早く気がついた経済文化圏が次の時代をリードしていくんじゃないかといっています。それができる財産を日本は持っていて、歴史的にもそれを魅力的にみせる「技法」を培ってきたわけです。
それなのに、世界のどこでも実現できることを特徴とするテクノロジーの土俵で市場を争うレッドオーシャンな戦いばかりをしている。決して、それがなくなればいいなんて思いませんし、それはそれで重要なことも多々あるのですが、一方で、日本だからできる素材と技を用いたブルーオーシャンでの戦いももうすこし仕掛けていく必要もあるのだろうと思っています。

このあいだ、ある会社のオフィスにお邪魔した際、木材をうまく使った空間で、こんな空間で仕事ができたら気持ちいいだろうなと感じました。そういう提案はいまからでもいくらでもできるはずです。今の時代にあった形で自然の力にあやかったものづくりを見直すといったところに、経済的にも文化的にもレッドオーシャンを抜け出す道があるのではないかと思います。

   

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posted by HIROKI tanahashi at 00:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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