手仕事の日本/柳宗悦

なんて淋しく切ない本なんだろう。
この本はかつて存在した日本というものの遺書のようです。

そして、最初に書いておきますが、この本はこの国でものづくりに関わるすべての人びとが一度は読んでみるべき一冊だと思います。



私どもは西洋でなした過失を繰返したくはありません。日本の固有な美しさを守るために手仕事の歴史を更に育てるべきだと思います。その優れた点をよく省み、それを更に高めることこそ吾々の務めだと思います。
それにはまずどんな種類の優れた仕事が現にあるのか、またそういうものがどの地方に見出せるのか。あらかじめそれらのことを知っておかねばなりません。この本は皆さんにそれをお知らせしようとするのであります。
柳宗悦『手仕事の日本』

この本に関しては1つ前のエントリー「模様を生む力の衰え」でもすこし取り上げましたが、以前に『工藝の道』を紹介した日本民藝運動の創始者・柳宗悦さんが、大正の終わり頃から約20年をかけて日本全国をフィールドワークして歩き回って見つけた手仕事の工藝品の優れた仕事を、地域別に丁寧に「どんな種類の優れた仕事が」「どの地方に見出せるのか」をまとめてくれた一冊です。
取り上げられた品は、焼物あり、染物あり、織物あり、金物あり、塗物あり、木や竹、革、神を用いた細工もあり、ただすべてが人びとが実際に生活で用いている品物です。北の陸奥の国の刺子着を見つけては「その出来栄えは日本一の折り紙をつけてよいでありましょう」といえば、四国は讃岐の国に「すべ箒」と呼ばれるほうきを見つけては「形がふっくらして大変美しく、茶人でも誂えた品かと思われるほど」だという。

機械仕事と手仕事

柳さんが手仕事の品にこだわる理由のひとつに「凡てを機械に任せてしまうと、第一に国民的な特色あるものが乏しく」なることを挙げています。いち早く機械工業化した西洋において、手仕事が衰え、アーツアンドクラフト運動などを中心に手仕事の技を盛り返そうと努めている状況であるのに対して、日本は欧米に比較してはるかに手仕事に恵まれた国であり、「各地方にはそれぞれ特色のある品物が今も手で作られつつあります」と記している。

ただ、そう記した本書が遺書のように感じられるのは、本書の「序」には以下のような言葉が綴られているからです。

この一冊は戦時中に書かれました、記してある内容は大体昭和十五年前後の日本の手仕事の現状を述べたものであります。戦争はおそらく多くの崩壊を手仕事の上に齎したと思います。それ故私がここに記録したものの中には、終戦後の今日では、既に過去のものとなったものが見出されます。
柳宗悦『手仕事の日本』

戦争を通じて崩壊した手仕事が不必要なものであったなら、それが過去のものとなってもそれをことさら惜しむこともありません。ただ「機械は世界のものを共通にしてしまう傾きがあります」という柳さんの言葉は、今でこそ重みをもつものではないかと感じます。

先日、宮島に行った際、すこし広島の市内にも立ち寄ったのですが、まさに機械によって世界のものが共通化された結果の魅力のなさを感じました。
いや、宮島そのものでさえも、

宮島で客を待つ土産物も色々ありはしますが、郷土的な香りのするものは大変衰えました。箱根あたりのものまでまじる始末であります。
柳宗悦『手仕事の日本』

と書かれているのをあらかじめ読んでいたとおりで、牡蠣や穴子などの食べ物は美味しく魅力的でしたが、民藝的な品に魅力を感じるものは見出せませんでした。ましてや広島市内などは「昔と違って今は工より商が盛んなためか、作るよりも使う側に立つためか、この都で出来る特色のあるものは、少ないように見受けます」という通りでした。

とうぜん、これは広島だけではないでしょう。ほとんどの地方都市が同じ状況にあるでしょう。京都などの一部の都市を除けば、その地にしかない物に出会うという魅力はほとんどないのではないかと思います。
もちろん、地方都市だけではなく、東京でも同じです。世界的に見て、東京にしかない物がいまどれだけあるか。差異こそが価値なのだとすれば、他との違いを失い均質化された都市は物としての魅力を失ってしまうのではないでしょうか。もちろん、魅力の喪失は活気の喪失であり、様々な意味での活力の喪失につながっていくのではないかと思います。

健康の美

そうであるがゆえに、その地方の素材を用い、その地方に伝統的に伝わる技を用いて作られる手仕事の数々は、いまや貴重な価値をもつのではないかと思います。昨今、民藝に注目が集まっているのもこれが理由でしょう。
まさに手仕事の技をもった人びとは、リチャード・フロリダが『クリエイティブ・クラスの世紀』で書いたクリエイティブ・クラスにあたります。

柳さんが品物を評価する際のキーワードに健康の美というものがあります。
物は美術品のようにただ美しく作られるだけではだめで、日常生活の使用に耐えられる実用性と耐久性をもって、使えば使うほど美しくなるような実用品としての美しさを備えている必要があるという。その必要を満たすものが「健康の美」をもち、そうした物が一国の文化そのものを健やかにするとも言っています。

幸いにも手仕事の世界に来ますと、人間の自由が保たれ、責任の道徳が遥かによく働いているのを見出します。親切な着実な品を誇る気風が、まだ廃れておりません。品物として幾多の健全なものが今も作られつつあるのを見ます。しかも多くはその土地から生まれた固有な姿を示します。
柳宗悦『手仕事の日本』

健全な品は元より、その土地に結びついた材料や技によって固有の姿を示します。それは無理に個性や差異を狙わなくてはならない作家的作風ともマーケティング的戦略による不自然さとは無縁のものです。機械的、テクノロジー的技法に走れば、個性をなくすのは必然です。そうであれば、ひねって別のところに取ってつけたような個性を付加するしかない。ただ、それは鍍金です。鍍金は時間がたてばすぐに剥がれてしまいます。それは決して健康とはいえないでしょう。

近世日本染織界の悲劇

ただ、先にも書いたとおり、ここで紹介されている様々な品々を生み出す手仕事もすでに廃れたか、技に走って本来を見失ったり、機械や化学的素材によって侵されたりしています。僕もこの本を読みながら、何度か魅力を感じた品をググって見たのですが、ほとんど見つからないものばかりでした。

例えば、化学的素材の弊害によって手仕事が廃れた例として、柳さんは阿波の国の藍を挙げています。

遠い地方にはいわゆる「地玉」といってその土地の藍もありましたが、何といっても「阿波藍」は藍の王様でした。色が美しく、擦れに強く、香が良く、洗いに耐え、古くなればなるほど色に味いが加わります。こんな優れた染料が他にないことは誰も経験することでした。
柳宗悦『手仕事の日本』

この「阿波藍」によって阿波の国は日本中の販路のほとんど一手に引き受け、徳島市を流れる川岸一帯に藍玉を入れる白い壁の大きな土蔵が列をなして並んでいたそうです。

それが一気に状況が変化する。

明治の半頃までさしも繁盛を極めた「阿波藍」にも大きな敵が現れました。化学は染めやすい人造藍を考え出しこれを安く売り捌きました。利に聡い商人たちはこれにつけ込みましたから、非常な早さで蔓延りました。そのため手間のかかる本藍はこれに立ち向かうことが難しくなりました。それは近世の日本染織界に起こった一大悲劇でした。
柳宗悦『手仕事の日本』

なぜ、それが悲劇であったかといえば、多くの倉が空き巣のようになったことだけでなく、人造藍は本藍ほど、色の持ちが丈夫ではなかったし、使えば汚く褪せていくし、そもそもの色の美しさも天然藍にはほど遠いものだったからです。
少し前に書いたエントリー「どうせ持つなら長く使えるものを」という姿勢とこれほどかけ離れたものはありません。まさに柏木博さんが言っているような「とりあえず感覚」のものです。

小鹿田焼

こうした例はもちろん「阿波藍」だけにとどまりません。さまざまな手仕事が、機械仕事や化学的素材の質の悪い安価なものによって仕事を失っていく。
もちろん、すべての手仕事が堕落し、品位を落としたり、そもそも技を失ったりしたわけではありません。

どの窯でも多かれ少なかれ醜いものが混じりますが、この窯ばかりは濁ったものを見かけません。伝統を猥りに崩さぬためと思われます。
柳宗悦『手仕事の日本』

と評される大分の小鹿田焼のような例もある。この小鹿田焼に関しては、柳さんがこの本のための調査を行った昭和15年前後のみならず、いまのその技を残していて民藝の器では必ず名があがる窯場のひとつです。

小鹿田焼
小鹿田焼の器


「こういう品物を台所なり食卓なりに置くと、花を活けているのと等しいでしょう」と柳さんはこの小鹿田焼の仕事を評しています。

日本の遺書

さて、柳さんはこの本の最後の方で、こんな風に書いています。

もし私たちが見た色々のものが、仮に日本から消え去ったとしたら、どんなに日本の姿がみすぼらしいものになるでありましょう。固有のものがなくなって、どこにも特色のない粗悪なものばかりが殖えてしまうからであります。
柳宗悦『手仕事の日本』

これはすでに「もし」でもなければ「仮に」の話でもなく現実です。柳さんがここで紹介してくれた品々を作る手仕事の技はすでに途絶えてるものがほとんどです。そして、長い時間をかけた伝統によって育まれた手仕事は、樹木が大きく育つのに一定の年月を必要とするように一朝一夕で復興できるようなものではありません。

柳さんはまたこうも書いています。

人間の真価は、その日常の暮しの中に、最も正直に示されるでありましょう。もしも吾々の生活が醜いもので囲まれているなら、その暮しは程度の低いものに落ちてしまうでありましょう。いつか心はすさみ、荒々しい潤いのないものに陥ってしまうでありましょう。一国の文化はその国民の日々の生活に最もよく反映されます。生活を深いものにするためには、どうしてもそれは美しさと結ばれねばなりません。
柳宗悦『手仕事の日本』

柳さんが紹介してくれる日本全国北から南までの様々な手仕事の品に魅了され、ここまで読み終えたとき、僕は何ともいえない悲しい気持ちになりました。ある時期まで存在した日本というものの遺書だと思ったのはそのためです。

ただ、これらの仕事はすでに失われたとはいえ、本書で柳さんが記録として遺してくれただけでも幸いだったかもしれません。さらに幸いなことには、ここで紹介された品々は柳さんの手で日本民藝館に収蔵されてもいて、僕はいまなおそれを目にすることができます。

僕らはきっとこの本を読み、日本民藝館に何度も足を運んで、かつての日本の手仕事がもっていた「健康の美」に触れてみないといけないのでしょう。そうでなくては日本の生活文化は今後もみすぼらしく特色を欠いた醜いものになってしまい、すさんんだ潤いのない心をもって日々を暮らしていかなくてはならなくなるのでしょうから。

P.S.
ちなみに挿絵はおなじ日本民藝運動の同志であった芹沢銈介さんによるもの。この挿絵も味があっていいです。



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この記事へのコメント

  • ケイ

    なんとなくこの手のことを読むと悲しい気持ちになります
    それは現在の自分たちを否定しているような気がするからです
    たしかに民芸は素晴らしい
    豊かです

    現在の生産性のみを考えた「とりあえず」の品とは違うのでしょう
    私は一点も持っていないのでわかりませんが

    ただ、現実的に一億人強の人口に行き渡っていないのだから今の世の中にそぐわないのではないでしょうか
    現代の流通システムからしたらどこにいても手に入らない素材などないでしょうし、設備の自動化がすすんでもいますが、同じプラスティックから作ったものでもデザインした人や生産した人の国民性、地域性は出るものです

    そしてそれはその人の背負っている歴史によるものなのではないでしょうか

    民芸は使ったことがなくてもGKの醤油さしは使ったことがある

    それではいけないのかなあと思ってしまいます

    いくら劇的にかわっても日本は日本です

    流通が進化しても日本は動かせないんだから、くらいの気持ちで構えていたいものです

    柳さんの本に関して言えば、遺書などとは言わず小学生の頃のアルバムや落書き帳くらいに思っておいたほうがいいのではないでしょうか

    いくらあの頃の自分が愛らしくてもピタピタの半ズボンをはくのは無理があるし、自由な線を引いていたからといって同じ絵を書いていたらお金はもらえません

    「あれから身につけたものとと自分のルーツを確認するためのもの」くらいの認識でいたほうが健康的なんじゃないかと思います

    なんだか「遺書」といわれて自分が死体や残りカスのように思ってしまったので妙に悲しい気分になってしまったのでつい突っ掛かってしまいましたが、私が考えてるのはこんな感じのことです
    2009年02月13日 09:16
  • tanahashi

    なぜ一億人強の人に行き渡らないといけないのですか?
    実際、一億人強の人に行き渡っているプロダクトなんてほとんどないでしょう。
    そもそも日本がそんなに均質にならないといけないのでしょうか?
    もっと小さな単位でそれぞれが別のものを作ればよいのではないでしょうか?

    >同じプラスティックから作ったものでもデザインした人や生産した人の国民性、地域性は出るものです

    もちろん、それは否定しません。
    プラスティックで作った民藝をつくればいいと思います。
    ただ、実際にそうしたもので地域性を出したものがありますか。そこが問題です。
    それにはプラスティックそのものを各地域で自然素材そのものよりもよいものにする努力をする必要があるでしょう。そういう努力をしようという心がけがどこかに見られるのでしょうか?

    これは単にものづくりの問題じゃなく、生活や信仰の問題です。

    それから「遺書」は死んだ物の「遺書」であって、どうして自分が死体や残りカスのように思う必要はないでしょう。
    それを言うなら、むしろ僕らは殺した側です。もしくは殺しを見てみぬふりをした側。

    この程度のことで「悲しい気持ちになる」とか「現在の自分たちを否定している」なんて安易な答えを出さずに、ちゃんと自分で本を読んで過去にぶつかってください。ルーツを確認するくらいのものなんて逃げはない。ルーツは過去にあるのではなく、いまここになくてはいけないのだから。
    過去を自分の身でちゃんと引き受けたうえで過去を超えていけばいいでしょう。
    そこから逃げて、ただ「悲しい気持ち」になっていても仕方がありません。
    2009年02月13日 10:54
  • ケイ

    早速のご意見ありがとうございます。
    あまり文章でものを伝えるのが得意ではないのできちんとかけなかった部分があるようです。
    すみません。

    >なぜ一億人強の人に行き渡らないといけないのですか?

    それは、あまりにもスケールメリットが大きすぎるからです。

    ロット数が数万個単位の工場で作られたものと手作りの民藝とでは値段が違いすぎます。

    民藝は使われることを前提としたマスプロダクトだと思うのですが、現代の陶人が作った民藝は用に足りるのでしょうか。
    私は誰もが認めるうっかり者なので数万円の茶碗でご飯を食べて、洗い物をすることはとてもできません。

    一部の好事家のみが扱うことができるようなものは技術として尊く、美しいものではあっても、すでに「民藝だったもの」としか呼ぶことはできないような気がするのです。



    >プラスティックで作った民藝をつくればいいと思います。

    私もそう思います。
    丁寧に、心を込めた誠実な仕事であれば、素材や製法が現代化していったとしても、
    それは民藝の精神を継いだものだとおもうのです。

    逆に言えば、当時民藝をやっていた名もない職人たちも、
    「よりよいもの」を「より大量に」作るために努力していたのではないでしょうか。
    効率と「よいものを作る」のバランスが現代と異なることは当然考えられます。

    その最適な点を探っていくのが私たちの課題なのではないかと思っています。



    >ただ、実際にそうしたもので地域性を出したものがありますか。そこが問題です。

    この流通が発達した時代に「素材」に地域性を見出すのは難しいですし、
    人的な面においても東京から大阪に引っ越すのがいとも簡単なことから考えると、
    それも難しいと思います。

    水と空気がきれいなところで精密機械や半導体がよく作れるといったぐらいでしょう。

    しかし、日本という大きなくくりでいえば、まだそこまで人材が流動化しているわけではないと思います。
    日本独自のものづくりは確実にあると思うのです。

    金型を海外に持っていったとしても、最終的な調整は職人の手仕事です。
    ジグの細かな使い方や温度管理、抜き数の管理など言語化されていないノウハウがいくらでもあります。
    そして、歩留まり工場に対する異常なこだわり。

    ノウハウそのものよりも、ノウハウを蓄積していく能力や、「こだわること」自体が日本の地域特性なのではないでしょうか。

    この部分が、今まで民藝の時代から連綿と引き継がれてきた
    「生活や信仰の問題」であって、そういった面で私は民藝は死んでないと思うのです。

    私は本物の刀や茶碗、民藝に触れたことはありませんが、
    それらを作り出した日本人の末裔であることに誇りを持っています。

    「民藝は死んだ」「古きよき日本は死んだ」と、過去との断絶を叫ぶのではなく、連続している面をとらえるほうが健全なのではないでしょうか。




    現代の「あたらしい商品を売るためにすぐに古く見えるようなものを作る」という不誠実な商売の仕方はだれもが問題だと思っています。

    「社員を食わせるためにはしょうがない」という安易な逃げ道にそれず、「誠実なものづくりと豊かな暮らしの両立」をするためにはどのような意識改革、システム改革をしていく必要があるのか

    というようなことを考えていけたらと思っています。
    2009年02月14日 03:57
  • tanahashi

    コメントありがとうございます。

    でも、ちょっと勉強がたりなさすぎますよ。
    知識は第一に重要ではありませんが、知識がなくては見えないこともあります。

    過去と連続してるか云々も、その知識によって違うでしょう。
    知らないがゆえに連続しないことが多い。
    そして、その無知が現代の創造性、想像力を非常に狭いものにしてしまっている。
    あれこれ言う前にもっといろんなことを知ってください。知識に触れてください。
    そして、現代の夢を作ってください。
    常識に安堵していることがいかに自分のまわりのものを、いかに今も殺し続けているかを理解してください。

    ちなみに、民藝の皿は今でも1000円台から買えますよ。もちろん、スーパーで売ってる皿よりは高いですけど、普段使いできないものではありません。
    2009年02月14日 12:22
  • ケイ

    不勉強もそうですが見る目もないという感じですね

    恥ずかしいです


    というのも父親が焼き物好きで時々益子の陶芸市などで買ってきてたのですが
    「こんなに安いものが本物なのかなあ
    どうせ機械とかで作ってるんじゃないかな」と疑ってみていたのできちんと見れてなかったからです

    一目で「いいものそうだな」と思うものはやはりそれなりの値段なので「鑑賞するためのもの」でしたし

    高価なもの以外はパチモノという先入観に毒されていたのかもしれません




    ところで、このように地元陶芸市などに地元の窯元が出す場合は
    1 流通や中間コストをほとんどカットすることができる

    2 大量生産を狙っていないので生産設備に関するコストを大幅にカットすることができる


    という二点で「好きな人がちょっと足を延ばせば(金銭以外のコストを払えば)普通に使える値段」で手作りの民芸を買うことができる
    ということなのでしょうか

    そのような「作り手から買い手にとどくまで」の構造の多様性が無くなっていることが問題の一つなのかもしれないと思いました



    ただこの場合は皆が価値を認めても生産量を増やすことができないので、そのような事態に陥ったときには必然的に値段があがることになってしまうのではないかという懸念もあるのですがどうなのでしょうか


    一番幸せなシナリオとしては「食えない仕事、きつくてやりがいのない仕事」というイメージが改められることにより、生産者の数が増え、それにしたがって生産量が上がっていくことなのかと思うのですが

    息の長い「民芸の再評価」がなされることを望みます
    2009年02月14日 15:56
  • mizuki

    柳宗悦は私が尊敬する人の一人です。第二次世界大戦中、日本権力下にあった朝鮮の工芸品をもって、美しい物は美しいと讃えた人でしたね。政治や権力とは離れ、真の美を見いだす柳さんには敬意を払わずにはいられません。私はずっと志村ふくみさんに憧れて、機織りの世界に興味を持ています。彼らの手仕事に触れると物が静かに語りかけて来る様に思うのです。だから、日々の生活の中で、物を大切に扱おうと思うし、本当に良い物は子ども達にも残してやりたいと思うのです。大量に資源を費やして、壊れたらまた直ぐに買う事の出来る世の中は便利かもしれません。でも、そのため、私たちは素晴らしい想像力を失った様に思います。もう少しスローに生きて行っても良いのでは、、、と考えさせられます。
    2010年10月18日 02:02

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