物事へのこだわりと元気のなさ

最近、いろんな会社の人にお会いして「元気がないな」と感じることがあります。
積極性や前向きさを感じなかったり、意欲や緊張感がなかったり、大人しかったり、身軽さを感じなかったり、もっと単純に生気を感じなかったり。そういういろんな要素が混ざって「元気がないな」というのを感じます。そういうのって個人が、というより、会社単位で、という印象がある(といっても、僕がお会いするのは大きな会社のごく一部の部門の一部の人たちではありますが)。

今年にはいって、よけいにそれを感じるのはやっぱり不況のせいでしょうか。
でも、そういう人ばかりかというと、決してそうでもなくて、割合としては少ないほうになってしまいますが、相変わらず元気が感じられる会社の人たちもいます。

課題と悩み

元気を感じる人たちとそうでない人で何が違うのかを考えると、元気を保っている人たちはちゃんと自分たちがどうにかすべき課題というのをちゃんともっているんですね。その課題を具体的にどうやって解決していこうかというので、相談されたりしますが、すくなくとも、その課題をどうにかしなきゃというので目が輝いている。
それは話をしてる際の食いつきが違うのでよくわかります。そういう人たちは自分から話の中に飛び込んでくる。その飛び込み方はぎこちないことがあっても、どうにかしようというので話の輪に入ってくる。

逆に、「元気がないな」という人たちは、自分たちの課題がよくわかっていない。あるいは、課題があっても、どこかでその解決を投げだしてしまっているところを感じます。しかも、投げだした課題というのは、大した課題ではない。課題というより、単なる悩み。
悩みなんてそこれそ誰にだってあって、明確な課題をもって仕事に臨んでいるもう一方の人たちだって悩みを持ちつつ、それとは別の次元で課題を解決しようとしてるんですね。
その意味では、悩みなんてどうやったってなくなりません。そんなどうしようもないものに関わっていられるなんていうのは、本当に解決すべき課題が見えていない証拠なんです。「元気がないな」と感じる人たちに限って、そういう悩みと具体的に解決すべき課題の区別がついていない場合が多い気がします。

こだわりの有無

いまの話がどちらかというと、会社単位というか、会社の中の一部門単位のような話だとすると、個人単位でも元気がある人とそうでない人の違いがあるような気がします。

それは自分なりの積極的なこだわりをもって仕事ができているかということかなと思います。

元気を失わない人って、どんな仕事のなかでも自分でこだわってその仕事に携わることができるんだと思います。それは仕事に対する好き嫌いというのとは別。やり方にこだわったりというのとも違う。もちろん、単に他人の意見を聞かない頑固者というのではありません。

言い方を変えるとディテールを大事にするとか、様々な視点で物事を捉えて評価するといった感じでしょうか。物事をちゃんとこだわって評価する眼をもっている。迷わないとい事はないのでしょうけど、評価をするのに他人の意見に左右されない自分の眼をもっている。その眼でもって、目の前に展開する物事をちゃんと自分で評価し判断する力がある。

そういう人って元気を失わないんですね。いや、失ってるヒマなんてないんでしょう。ある意味、没頭した形で仕事をするので、まわりの雰囲気に振り回される部分がすくないのでしょう。

鈍感な人との違い

それはまわりに対して鈍感というのとは違います。

鈍感な人は確かに別にいて、自信満々でエラそうにしていて、何か自分のこだわりをもっていそうですが、それがその人の感覚というよりは単なる知識の蓄積であることが多い。そういう人は鈍感なので逆に自分の間違いに気づかない。なので、自分が間違えるかもしれないと思って、繊細に人に接することがない。だから、傍から見ると大柄に移ってしまいます。そして、普段エラそうな分、いざ、やるべきときにあたふたしたみっともない姿をみせることが多いんですね。

こだわりを持っている人というのはそうではなくて、逆に感覚が繊細であるがゆえに迷う。だから、自分のちょっとした振る舞いにも間違いがなかったかを気にしていて、他人に対しても繊細な振る舞いをみせる。ただ、こだわりは強いので、いざ、やらなくてはならない時の集中力はすごい。まさに「疲れてる」より「憑かれてる」という感じです。

まわりの雰囲気にあわせすぎない

こういうこだわりをもって仕事に打ち込める人がどれだけいるかで、この不況の時代でも社内を元気に保ち、そうした活気ある現場の雰囲気のなかから不況を乗り越えていく仕事を生み出していける企業か、そうでないかの差が出てくるんじゃないのかなと感じています。
そこが本当の意味での不況下でのマネジメントの腕の見せ所なんじゃないでしょうか。とにかく何をしたらよいのかわからない、課題が具体的にわからないような状態がいちばん危ういのだと思います。

個人単位でみても、いかに自分のこだわりの眼を磨けるかどうかなんじゃないかと思います。客観的な評価視点にばかり頼っていたら、こんな時代を乗り越えられるわけがない。あらゆる客観的評価の測定値がマイナス方向に成長しているわけだから、そんな状況で外部の評価につきあっていたら、どんどん気が滅入るばかりです。

自分の眼で物事をきちんと評価できるようになる

客観的な評価を完全に無視する必要もありませんが、そればかりを気にしすぎてもいけない。
それ以上に自分自身の眼で物事の評価ができるようになることが大切です。目利きの力を養うことです。人とのコミュニケーションもそれで円滑になる。
僕が見てると、元気がない人って他人のニーズを感じ取るのも下手だったりして、当然、顧客のニーズもユーザーのニーズも理解するのが苦手。それでまともなものができるわけがない。そういう意味で目利きが大事。

もちろん、自分が評価したことには自分で責任をもつことになるわけですから、単に覚悟を決めてエイヤで評価を下していけばよいというわけにはいきません。とにかく自分のなかで経験を積んで、正しく評価できる眼を養うしかない。そういう眼って仕事の時間にだけでは養えなくて、むしろ、普段の生活そのものを自分で律していくことが必要なんですよね。仕事にも、プライベートの生活にも、そして、人生やそれを囲んだ物や人びとに対しても、こだわりをもった眼で接して、そこから感じたことを自分の身で引き受けるようにしないと、いつまで経っても、自分自身の直観によるスピーディかつ温かみをもった仕事ができるようにはならないと思う。

その眼によって自分の責任を担う。そこから逃げてばかりでは、いつまで経っても自分の眼で物事を評価する力を持てなければ、何も作りだせないし、デザインすることも企画することもできないでしょう。デザインも企画も、自分の眼による小さな評価の積み重ねなわけですから。

自分の眼で物事をきちんと評価できるようになる。
それができるようになれば、元気なんて失っている場合じゃないのがわかるようになるはずです。
元気があれば…、(以下、略)

  

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