日本の歴史をよみなおす/網野善彦

日本の歴史をよく知らない人ほど、その歴史に対して漠然としたイメージをもっていたりします。

例えば、

  • 日本は古くから農業中心の社会で、稲作を中心に据えてきた
  • 日本の人口の大部分は農業民で、多くの村は農村だった
  • 商工業民は農耕民より身分が低いものとされ、芸能民を含む非人は賤視されてきた
  • 昔は識字率が低く、一部の階層の人しか文字を読むことはできなかった
  • かつては村などの共同体単位で自給自足の生活をすることが多かった
  • 明治期の開国において日本は一気に資本主義化、産業主義化を果たした

などなど。

でも、この本を読むと、こうしたイメージがまったくの想像の産物でしかないことがわかって唖然とします。
そして、そこからはまったく別の日本のイメージがそこには浮かび上がってくる。

  • 日本の村の四分の三が室町時代に出発点を持っている
  • 14世紀を超えて15世紀にはいる頃になると、それまで漢字中心の文章からひらがな交じりの文章の割合が圧倒的に増える
  • 金属貨幣の流通が本格化しはじめたのは13世紀後半から14世紀にかけてのこと
  • 天皇という称号が制度的に定着するのは天武・持統朝。日本という国号もそれとセットで7世紀後半に定まった。つまり、聖徳太子は「倭人」ではあっても「日本人」ではない
  • 縄文時代からすでに日本は朝鮮半島や北のサハリンと交流があった。海は日本の国境ではなく、むしろ東と西をはじめ、いまの日本の国内に複数の国が存在していた
  • 百姓は必ずしも農民を意味しない。土地をもたず貧しいと考えられていた水呑百姓は必ずしも貧しくはなく、むしろ廻船業を営むなどして裕福である場合もあった
  • これまで貧しい村と考えられていた田畑の少ない離島や山奥の村であっても必ずしも貧しいとは限らなかった。むしろ、海路や陸路における要衝の地で栄えている場合も少なくない
  • 律令国家はすべての民を戸籍に記し田畑を与えたが、稲による租税の徴収を行おうとしたが、実際はすべての民が農業に従事することはなく、とうぜん租税も米に換算した別の物資(鉄、海産物、絹や麻など)で支払われることになった、
  • また、律令国家はそれまでの海や河を通じた交易から、陸路による交易へと転換しようとして、都から地方へと延びる真っ直ぐな道を整備したが、しばらくすると海路・水路による交易に戻って、陸路の道は廃れた
  • 南北朝の動乱を期にした社会構造の大変換で、各地に自治的な都市や村ができ、海路や水路を使った交易はより盛んになり、それ以降近世を通じて商工業の力は非常に大きな蓄積があった

まさしくこの本で網野さんは「日本の歴史をよみなおす」作業をその根本から行っています。

このことを知ると、逆に明治期の転換など、室町期の転換に比べれば一部的なものでしかなく、むしろ、室町期の大胆な構造変換があったからこそ、西洋文明の受け入れも、科学技術の導入も可能だったのだなと感じられるようになる。その意味で従来の近世から近代へという形での歴史の区切りはそれほど重要ではない。これは僕にとっては非常に新鮮な発見でした。

百姓は決して農民と同義ではない

奥能登(石川県の能登半島の先端部)に、時国家という長い歴史をもった名家があるそうです。1634年に色々な事情から上時国家と下時国家に分立しましたが、上時国家1831年に建てられた建坪189坪の最大級木造民家であり、下時国家も規模はそれより小さいものの、上時国家より200年も前に建てられた年代のわかるものではもっとも古い民家のひとつだそうです。



この2つの時国家は従来、豪農の家と考えられていたそうです。
しかし、時国家に残る古文書を調査すると、時国家は大きな船を2、3艘もっており、松前から佐渡、敦賀、さらに琵琶湖を超えて、近江の大津や京、大坂にも取引をしていたことがわかったのです。また、時国家は海岸に塩浜をもち、製塩を行っており、出羽や越後に運んでいたこともわかりました。ほかにも山林経営、製炭なども行っていたことがわかったのです。ようするに、百姓身分であっても単なる農民でもなければ、大農場経営者にも収まらない、多角的企業家だったわけです。

おもしろいのは、古文書にこの時国家が船を用立てるために「芝草屋」という廻船商人に百両の金を借りているのがわかるんですが、この「芝草屋」がなんと水呑百姓の身分なんですね。土地をもたない百姓です。従来では、水呑百姓は土地を持たない百姓だから貧しいに違いないと考えられていたんですね。
ところが、百両の金をこれまた裕福であろう多角的企業家である時国家に課すことができてしまっているのが、この水呑百姓の芝草屋です。つまり、土地を持てないのではなく、持つ必要がないんですね。廻船業で百両の金を自由に貸し出すだけの財を成しているのなら、土地はいらないわけです。

こうしたことは何も時国家や芝草屋に限った話ではなく、全国のこれまで農業民だと考えられてきた百姓身分の人が非農業生産や商売に従事していたのだろうと網野さんは書いています。

昔から交易によって成り立っていた社会

こうした百姓といえば農民と考える誤解は、日本は農業中心の自給自足の生活を営む、海で周囲を隔てられた島国であるという、もうひとつ別の誤解ともいっしょになって生まれてきたのであろうと網野さんはいっています。

ところが、これも歴史をよく見ていくと、海で隔てられて孤立していると言うより、むしろ、縄文時代、弥生時代から活発に海外からさまざまなものを取り入れているし、列島内でも多くの物資の移動が行われていた形跡が見つかるそうです。

日本列島の社会は当初から交易をおこなうことによってはじめて成り立ちうる社会だった、厳密に考えれば「自給自足」の社会など、最初から考えがたいといってよいと私は思います。
網野善彦『日本の歴史をよみなおす』

なので、村が昔からあって、都市や町はあとから生まれてきたと考えるのは間違いで、村も町も都市も同じく室町時代以降、民の自治性が強化されるにつれ、貨幣の流通が活発となり、ひらがな交じりの文が増えて識字率も上がっていくなかで生まれてきているのです。そして、その背景には無縁の人びとのネットワークがあり、各村や都市の交易を可能にしていたということがあったのでしょう。

そうした村や都市は、従来のように農業中心の生活が行われていたのではなく、土地を持たず農業も行わない芝草屋のような百姓たちが多く住む非農業生産を行う村や都市もあったのです。

網野さんはそうした視点からみると飢饉の見方も従来とはまったく違ってくることを指摘しています。

これまで、江戸時代の貧しさと悲惨さを飢饉で象徴させてきたと思いますが、じつはまったく逆で、都市的な世界が広くひろがっていて、そうした都市的な人口が高い集中度を持っていたがゆえに、不作・凶作がそういう地域に決定的なダメージをあたえたのだと理解しますと、むしろ飢饉のひどさは都市化の進行の度合いを示すという捉え方も可能になってきます。
網野善彦『日本の歴史をよみなおす』

僕らが歴史の時間に習ったりした過去の日本社会のイメージとは大違いですよね。

中世の歴史の重要性

ここで紹介したのは、そのほんの一部でしかありません。この本には従来の歴史が教えてきた日本像とはまったく異なる日本の過去の姿が浮かび上がってきます。

そして、そのような日本がなぜ明治期にあんなおかしな変換を行ったのか。そのことが逆に不思議に思えてきます。
いや、その頃にはきっと僕らが日本の歴史を誤解していたのと同様の誤解がすでにあったのでしょうね。素朴で牧歌的な過去のイメージ。そういう間違った理解が先進的にならねばと間違った歩みを進めてしまったのでしょう。実際はすでに常に日本は十分すぎるくらいの先進性を歴史的に有していたはずなのに。

これまで中世についてはほとんど何も知らずにいましたが、この本をはじめ、『無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』『異形の王権』と続けて、網野さんの本を読んでみて、室町期の構造変換、そして、それ以降の近世にいたる歩みというのが日本のいまを考えるうえで非常に重要なものだということがすこしずつわかってきました。もうすこしこの時代について知ってみようと思っています。

ちなみにこの本はもともと1991年発行の『日本の歴史をよみなおす』と1996年発行の『続・日本の歴史をよみなおす』の2冊の本だったのを、1冊の文庫版にまとめたもの。これが1200円で読めるならお得だなって感じました。



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この記事へのコメント

  • ★KEEP BLUE★

    こんにちは。
    今日は天気が悪いので、海には行かず家で仕事してました。
    1才の娘とブログ覗かしていただきました(^^)
    これから海に向かいます(^_^)/
    また、ゆっくり寄らせていただきます。
    それでは。失礼します。
    2009年04月18日 01:55

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