2006年01月04日

オンラインによる延命とそれがもたらす怖さ

正月番組を見ていて1つアホらしいと思ったことがある。
それはIT業界がその生産性のなさ故に長続きしないという話である。

とても馬鹿げた話だと思う。
しかも平和ボケしているのではないだろうか。
IT業界の存続は生産性とはおそらくまったく関係ない。それはインターネットそのものが最初に軍事目的で生まれたことを考えればわかるはずだ。それははじめから何かを生み出すために生まれたのではなく、むしろすでにあるものの延命のために生まれている。ゆえに、その「延命」という目的がある限り、それ自体が延命しようとするだろう。
生産性などとははじめから無縁なのだ。生産という美的なものに惹かれるのはわかるが、生産されたものの延命はどんなに醜くてもリアルなものだということを忘れて議論するには虫が良すぎるのではないだろうか?

それゆえIT業界はむしろ生産性という甘い罠をうまく退けることによって延命可能となるのではないかという気がする。むろん、「延命」という価値も含めた広義の意味での生産性まで排除してしまったら、それこそ、産業としては生き残れない。
いまのIT業界だけを見て、それが生き残るかどうかなんて話をしても意味はない。それよりもむしろ、いまやインターネットは、水道や電気と同様にライフラインの1つであるという当たり前の事実に目を向けたほうがよいだろう。いま現実にあるそうした繋がりを断ち切ることができるかを考えてみればいい。

直接、人が生きるための衣食住には関係のないものだとしても、衣食住について真剣に考えてないという現状と衣食住と直接的な関係をもたないインターネットを含めたIT産業の行く末を安易に結びつける議論は甚だ混乱している。
衣食住について真剣に考えるべきだというなら、それこそ、インターネットをもっと健全に利用して生き残るすべを模索するツールとして用いればいいだけのことだ。繰り返すが、インターネットはそうした延命のために作られたツールなのだ。それがそうした行為に向いていないわけがない。

もっと前向きな議論をすべきだ。

ずいぶん前から、食品関係の業界を中心にトレーサビリティが当たり前のことになっている。トレーサビリティとは、ある食材がどこでどのように作られたかを明記できるようにすることを指している。そして、これは食品に限ったことではなく、著名なブランド(この言い方はすこしおかしい。著名でないブランドはブランドなのか?という疑問がある)がどこの国のどのような労働環境で作られたかもすでに消費者が気にするところになっている。
先に「メタデータ、タギング、検索」のエントリーで紹介したが、すでに携帯でバーコードを読み取ることで、その商品に関連するユーザーの評価がわかるような技術が開発されている。この技術を応用すれば、そのうち、その商品がどこでどのように作られたかというトレーサビリティ的な情報も売り場で簡単に検索可能になるだろう。いくら企業側がそれを隠そうとしても市場の論理がそれを許さないだろう。企業は自らの行為に関する情報をもはや自分の意思だけではコントロールしきれなくなってくる。

しかし、これは何も企業だけに限った話ではない。
個人にとっても少々やっかいな話だ。
試しにGoogleで自分の名前を検索してみたらいい。
一般的にありふれた名前でなければ、確実にこれは自分のことだと思える情報のいくつかが検索結果に表示されるのではないかと思う。自分で公開した情報ならいいが、昔つきあっていた彼氏があなたが知らない間にあなたに関する何らかの情報を勝手に公開しているかもしれない。これだけブログが一般に普及すれば、情報の公開は簡単だ。そして、それは優秀な検索エンジンによってキャッシュされ、インデックス化される。
つまり、あなたの情報はネットワーク上でもはやあなただけのものではなくなっている。市場に出回る商品同様に、あなた自身のトレーサビリティがネットワーク上で実現されるかもしれないのだ。
もちろん、これはプライバシーに関わる問題だ。

オンラインであることの怖さは情報の外部性を際立たせることだ。
ある情報は、それが対象とする本人(あるいはモノ)とはまったく異なる流通経路をたどることができる。それはその本人にも必ずしもコントロール(規制)できるとは限らない。しかも、それは優秀な検索エンジンによって、誰でもアクセス可能になるかもしれない。
オンラインネットワークのエコノミーにおいては、何もSF的な光景によく見られるように、脳に直接電極を繋げる必要はない。外部のものが情報の対象の意思とは無関係にインプット/アウトプットした情報が、勝手に情報の対象の像を作りあげることができる。

これはとても怖ろしい話だが、すぐそこにある問題だ。
人は生き延びるために、まわりの環境が自分の身に危険をおよぼすことがないか、必要な情報を得ようとする。この情報探索自体には何も悪いところはない。しかし、誰かが生き延びようとして得る情報が誰かのプライバシーに関わる問題であるかもしれないということも、また事実だ。
IT業界がなくなるならならないなんていうくだらない議論を繰り広げて暇つぶしをしているくらいなら、こうした現実的な議論を真剣に行っていかなくてはならないのではないかと思う。



posted by HIROKI tanahashi at 18:37| Comment(2) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そのテレビ番組見たかも。。。

このchocolatierさんの記事
興味深く読みました。

↓この辺りのモラルみたいなものについて
たまに考えてしまうのです。

自分で公開した情報ならいいが、昔つきあっていた彼氏があなたが知らない間にあなたに関する何らかの情報を勝手に公開しているかもしれない。これだけブログが一般に普及すれば、情報の公開は簡単だ。そして、それは優秀な検索エンジンによってキャッシュされ、インデックス化される。

Posted by きょん at 2006年01月04日 23:15
きょんさんへ
確かに個人個人のモラルが必要とされる問題です。
そのためにはまずこういうこと自体への知識が必要でしょうね。
知らないことにはモラルなど持ちようがないですから。
そして、おそらく被害者になる方も、加害者になる方も、ともに知識を持たないとダメなんでしょうね。
Posted by chocolatier at 2006年01月05日 16:35
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