なんで、本を読んだだけで熱気や興奮まで感じられるんでしょうね? これが松岡編集工学のなせる業なんでしょうか。あらためて考えると不思議です。


連塾
この連塾という講義は、2003年の7月に第1回が行われ、2005年の6月まで計8回の講義が行われたそうで、本書はその最初の3回を収録したもので、残りも今後出版予定だそうです。連塾そのものはいまも続いていて、第3期の現在は「JAPAN DEEP」というシリーズ名でゲストを迎えて開催されているようです。最近では第3期の2回目が昨年12月20日に行われています。
さて、本書収録の3回は、それぞれこんなタイトルで開催されたそうです。
- 第1講 笑ってもっとベイビー 無邪気にオン・マイ・マインド
- 第2講 住吉四所の御前には顔よき女體ぞおはします
- 第3講 重々帝網・融通無礙・山川草木・悉皆成仏
本書では、さらにそれぞれの回にサブタイトルがつけられています。こっちをみると、それぞれの回でどんな内容が話されたか、すこし想像できるようになってきます。
- 第1講 外来文化はどのようにフィルタリングされてきたか
- 第2講 日本にひそむ物語OSと東アジア世界との関係
- 第3講 仏教的世界観がもたらした「迅速な無常」
第1講で『日本という方法―おもかげ・うつろいの文化』をはじめとする著書で松岡さんが繰り返して提唱している「方法日本」の概要(一言で「概要」といっても講義の時間は4時間です!)が話され、第2講では古代、神話の世界を、そして、第3講で聖徳太子が仏教を国造りの基礎に据えて以降の仏教の流れを追うという構成です。歴史の流れを基本に据えながらも、あくまで各回から「方法日本」の方法が浮かび上がるような内容になっています。
方法日本のガイドブック
この本を一言でいえば、松岡さんによる「方法日本」を考えるためのガイドブックということになると思います。よくできた旅行のガイドブックと同じで、内容に触れた人それぞれが自分が興味をもった場所に行って、それぞれが「方法日本」の探索を開始できるようになっています。僕自身はまず自分が苦手な仏教まわりをあらためて探ってみようと思ったので、本書で紹介されている鎌田茂雄さんの『華厳の思想』
方法日本を駆動するのは日本人じゃなくても構わない
そうなんですよね。松岡さんはあくまで「方法日本」のガイドをしてくれているだけです。それ自体、非常に興味深く、ありがたいことなんですが、その「方法日本」を駆動して実際に何かを生み出していくのは、日本人それぞれの役目なんですね。いや、松岡さん自身がいっていますが、別に日本人じゃなくたって構わないんですね。実際、これまでだって多くの外国人が「方法日本」を駆使してきたことがこの本でも紹介されています。ジョサイア・コンドルしかり、アーネスト・フェノロサしかり、ラフカディオ・ハーンしかりです。前に白川さんの本を紹介した際に日本で最初に訓読みを発明したのは百済人だということも紹介しました。
その意味で「方法日本」を用いるのは日本人でなくても構わないし、それが用いられる場所が日本でなくてもかまわないわけです。
昨日紹介した『かくれた次元』の文化の違いは外から見たほうが目につきやすいという話と同じで、外国人のほうが客観的に「方法日本」を把握しやすいということはあるのでしょう。最近でも江戸文化をうまく研究しているタイモン・スクリーチさんの仕事もそうだと思います。
日本を破り日本を掬う
ただ、松岡さんは日本人自身が日本を説明できるようにならなければだめだともいっています。われわれ自身の日本についての説明をもっと深め、もっと研ぎ澄ますことも必要です。そのためには、外国人による説明とはまたちがって、日本によって日本を破り、日本によって日本を掬うということが求められているように思います。松岡正剛『連塾・方法日本1』
それは単に和風好みになれって話じゃないですよ。松岡さん自身、日本料理屋に行って琴の音が流れてくると、「ごめんなさい」といって帰りたくなるといっています。それなら椎名林檎をかけてくれたほうがいい、と。
松岡さんは桑田佳祐や椎名林檎の歌に言霊をみているんですね。『愛の言霊』とか『罪と罰』とかに。だから、第1講のタイトルが「笑ってもっとベイビー 無邪気にオン・マイ・マインド」だったりします。あと松岡さんはたらこスパゲティーを箸で食べるのも好きだそうです。
日本を遊ぶ
最初にこの本にはライブ感があって荒々しさを感じると書きましたが、松岡さん自身、この会を通じてもっと日本が荒れるようになればいいということをいっています。日本にはそもそも和魂(にぎたま)と荒魂(あらたま)というものがあるそうです。ニギミタマ・アラミタマともいうそうです。
和魂は自体や気分を和ませ、和らげる。逆に、荒魂はやや荒っぽく方法を行使することをいうそうです。日本の神話もそもそもアマテラスとスサノオという和魂と荒魂をそれぞれ象徴するような姉弟の二神によって展開しますよね。
そのスサノオのスサが荒なんですね。荒はスサビとも読むといいます。風が吹きすさぶ、口ずさむというスサビです。これは事態や光景、好みが長じていくことを指す言葉だそうです。
ただし、ただ荒れるだけ荒れればよいというものではない。それは「乱」です。日本の荒魂はつねに毅然としたものがり、どこかで和魂と結び合っているところがあった。それがすさぶということなんです。この「スサビ」は「荒」であって、かつ「遊」とも綴った。だから、遊びと綴ってスサビとも読むのです。そこがたいへんおもしろい。松岡正剛『連塾・方法日本1』
「遊」は松岡さんが最初に編集していた雑誌の名前でもありました。白川静さんが一番好きな文字でもあったそうです。出遊するという意味で、人が旗をもっている形が遊という字だそうです。
だからこそ、遊はその後の西行や芭蕉の数寄の遁世にもつながっていきますし、この講義名の元にもなっている江戸時代の連の場にもつながっていく。遊びはいま僕らが想像するようなものと違って、スサノオの荒魂にもつながる深い意味をもっていた言葉だったはずなんですね。そんなことも考えてみたくて、ロジェ・カイヨワの『遊びと人間』
という風にこの一冊をガイドに、どんどん好奇心を広げられる。それがこの本のすごいところだな、と。
これは絶対に読まないとソンだと思いますよ。
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