父・白洲次郎は、昭和18年(1943)に鶴川に引越して来ました当時より、すまいに「武相荘」と名付け悦にいっておりました。武相荘とは、武蔵と相模の境にあるこの地に因んで、また彼独特の一捻りしたいという気持から無愛想をかけて名付けたようです。牧山桂子「旧白洲邸 武相荘オープンにあたって」『白洲正子"ほんもの"の生活』
書斎は「家の中で最も落ち着く場所」
場所は、小田急線の鶴川駅から徒歩で15分ほど、歩いたところ。太平洋戦争がはじまる2年ほど前から東京の郊外で田圃と畑のついた農家を探していて見つけたという武相荘は、いまなお、農家の佇まいを感じさせつつも、牛を飼っていた土間は洋間へと改造されていたり、白洲正子さんのセンスを存分に感じさせてくれていました。
例えば、門の傍らに何気なく並べられていた不揃いの椅子なんかもなんとなくいいなと感じてしまうのは、白洲マジックでしょうか。
邸内は撮影禁止ということで写真は残念ながらありませんが、正子さんが生前「家の中で最も落ち着く場所」と語っていたという奥の書斎は、折口信夫全集や南方熊楠全集が並んでいる本棚が壁いっぱいに据え付けられていて、その奥に正子さんが執筆していたであろう机が窓辺にあり、その小さな空間が僕にも確かに邸内で一番いい場所だなと感じられたり、生涯煙草を吸い続けた正子さんが愛用していたであろう灰皿が机の横に重ねられていたりして、なんとなく温かい気持ちになりました。
また訪れてみたい場所
邸内は四季ごとに展示替えが行われているそうで、今日は冬の暮らしをイメージさせる展示となっていました。元・土間であったところを改造した洋間のテーブルには次郎・正子夫妻が実はそれほど好きではなかったというブイヤベースの鍋が置かれていたり、庭に面した表座敷の囲炉裏には正子さんの祖父の故郷の名物でもある薩摩汁の鍋がかかっていたり。そんな夫妻の夕食を紹介した『白洲次郎・正子の夕餉』という本も、娘さんである牧山桂子さんによって昨年12月に出たばかりだそうです。
田圃と畑がある農家を探していたという言葉通り、夫妻は実際にかつてはそこにあったであろう田畑で野良作業もしていたそうです。その名残として、こんな道具もしっかり残っていました。
正子さんはこの家について、生前こんなことを語っています。
鶴川の家に移り住んでから、もう50年以上の歳月が流れました。私は都会の生活が嫌で、家と一緒に呼吸しながら四季の移り変わりを自分の肌で感じる、そういう暮らしがしたかった。(中略)私の家の庭には、たくさんの花が植えてあるの。五月になれば、私の一番好きな大山レンゲが蕾をつけるし、秋なら山茶花や椿、木蓮・・・・・紅葉も本当にきれい。そうした庭の花を気に入った器に活けて楽しんでます。白洲正子「"ほんもの"とは何か」『白洲正子"ほんもの"の生活』
裏には「鈴鹿峠」と名づけられた散策路もあって、きっと春や秋には季節の花や紅葉が色づき、きれいなんだろうなと想像させました。冬は冬で冬らしい雰囲気があってよかったんですけど、また、別の季節にも訪れてみたいと思わせてくれる場所でした。正子さんが一番好きだという大山レンゲが蕾をつける5月あたりにでも行こうかな。
無愛想といえば確かに無愛想。
でも、つまらない愛想を振りまかれるよりは、よっぽど人をそのまま受け止めてくれ、居心地良く過ごせる場所だなと感じました。
- ホームページ:http://www.buaiso.com/
- 住所:東京都町田市能ヶ谷町1284
- 休館日:月曜日・火曜日(祝日・振替休日は開館)
- 開館時間:10時~17時(入館は16時半まで)
- 入館料:1,000円
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この記事へのコメント
KOIKE
tanahashi
普通にひとの家だったところなんですけどね(笑)