2009年01月10日

空から女の子が降ってくる

さっき、こんなのを見つけました。

【降臨賞】空から女の子が降ってくるオリジナルの創作小説・漫画を募集します。
条件は「空から女の子が降ってくること」です。要約すると「空から女の子が降ってくる」としか言いようのない話であれば、それ以外の点は自由です。

「空から女の子が降ってくる」というと、僕は田中優子さんの『江戸の想像力』の表紙にも使われている、浮世絵師・鈴木春信の「清水の舞台から飛ぶ美人」を思い出します。



無重力の世界の「動き」と「軽さ」の表現

1765年に発表されたこの錦絵は、恋の成就を祈って清水の舞台から飛び降りる少女を描いたものです。春信の錦絵はそれまでの浮世絵のような役者絵や遊女絵でもなく、古典世界を題材にした「見立て絵」だったそうです。春信の「清水の舞台から飛ぶ美人」が、なぜ、これが見立てかというと「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」にその話があるからですね。

見立て絵とは、古典の俳諧化である。現実世界でも役者でも遊女でもない古典的世界を、ほとんど肉体も性も感じさせない繊細で都市的な少年・少女たちにになわせたことによって、春信の絵は地上から飛翔し、重力を脱し、超現実的な無重力の世界をただようことになったのである。これこそが、俳諧化のめざすところの「動き」(ダイナミズム)と「軽さ」の表現であった。

「空から女の子が降ってくる」というお題は、降ってくるというその現在形において意味があるのかもしれないなと思いました。それは落下であるのは間違いないのでしょうけど、それが地についてしまったら、きっと夢は終わってただの現実になってしまう。降ってくるという現在形において地に足がついていないところが春信の時代から遠く離れた現代においても魅力的な題材になるのだろうな、と。

飛行奇譚の系譜

いや、「空から女の子が降ってくる」という意味では『竹取物語』のかぐや姫にさえ遡れるのかもしれませんね。そして、『竹取物語』まで飛ぶと、「空から女の子が降ってくる」的なイメージ=観念は一気に世界へとつながります。

ぼくが『竹取物語』にいまのような深い興味を持ったのは、マージョリー・ニコルソンというつい先般亡くなった、「ヒストリー・オブ・アイディアズ(観念史)」なる新しいタイプの人文学を代表するひとりの女流天才学者が書いた『月世界への旅』とのかかわりにおいてmということがまずひとつあった。何かの超自然の力にすがってあるいは人工の翼や飛行装置を駆って、偶然あるいは意図的に月におもむいた主人公たちを描く飛行の奇譚が、古代ギリシア奇譚随一の語り部サモタのルーキアーノスの『まことの話』から20世紀今般のスペースファンタジーまで連綿と途切れることなく続いていることを、ニコルソンの大著は悠々たる筆致で描き出していた。
高山宏『新編 黒に染める―本朝ピクチャレスク事始め』

残念ながら、このニコルソン女史の『月世界への旅』は、中国の飛行王である舜にまで手を伸ばしつつ、「弱竹のかぐや姫」には届いていないそうですが、高山さんはこの世界中の飛行奇譚の系譜につながる、かぐや姫の飛行に「社会全体がここからあちらへの移行という一種の越境性に惑溺していたのだ」と述べ、その越境性に着目しています。

面白いのは、月世界への旅トポスが大流行を験したのが17世紀、まさにルネサンスが近代へ移行する時代であったことである。(中略)ひとつの時代なり空間が一個の巨大なマッスとして固定し、硬ばりはじめ、しかもいろいろ矛盾に満ちているという現状認識が、17世紀前半、彼方なる異界としての<月>を人々も想像力に引き寄せた、とニコルソンは見ている。社会の上下相応じて旧套な社会マッスから超脱を希求していた時代。日本にもそれそっくりの環境が平安初期にあった。
高山宏『新編 黒に染める―本朝ピクチャレスク事始め』

と書いて、飛行のもつ越境性、そして、固定化した社会からの超脱の希求をその「動き」と「軽さ」に重ね合わせてみていたことであろうと述べています。

ただ、かぐや姫の場合は降ってくるシーンそのものはないので、そこをヴィジュアライズしたのは、中世の春信の画期的な発明なんでしょうね。



錦絵と連

この春信の浮世絵はすでに書いたように錦絵と呼ばれるものです。つまり色付きの絵ということ。

「清水の舞台から飛ぶ美人」の絵の少女の振袖には貝が描かれていて、そこに「大、二、三、五、六、八、十」の文字が隠れています。つまり、これは大の月(1か月が30日の月、旧暦では大の月=30日と小の月=29日があります)をあらわすカレンダーなんですね。実際、この絵は「大小絵暦交換会」と呼ばれる絵暦=カレンダーのデザイン発表会のために制作されたものだそうです。

この「大小絵暦交換会」とデザイン・イベントは、「連」と呼ばれたネットワークを介して開催されていたそうです。連というのは「「連」という創造のシステムを夢想する」でも書いたとおり、もともと俳諧連歌のためのネットワークでしたが、それが次第に俳諧連歌の場としてだけでなく、和歌、狂歌、物語、小説、絵画、演劇、音楽、浮世絵などの作品制作のための協働作業の場として機能するようになります。

連は、会社組織などとは異質な一回性をもち、思想運動・芸術運動などとは異質な、純粋に機能的な性格をもっている。ひとつの具体的作業のために集まり、それが終われば解散する。

といった風に、固定化された組織ではなく、先の「大小絵暦交換会」などのイベントにあわせて機能的に組織化されるネットワークだったんですね。その意味で先の「はてな」の募集との相関もみられておもしろいなと感じたところです。

ネットワークによる制作

このネットワークにおいて、なぜ錦絵が生みだされたかというと、錦絵は当時のハイテクな発明品であって、その制作には少なくとも、注文主(パトロン)、画工(「清水の舞台から飛ぶ美人」では鈴木春信)、彫工、摺工が必要でした。さらに何枚もの板を必要とする多色摺りではもっと多くの人が関わってきます。
多色摺りに耐えられる紙の制作も含めて、錦絵は最新技術が連というネットワークの機能重視の場において重なり合うことではじめて可能となった当時の発明品だったそうです。さまざまな技術とそれを支える経済力(その経済力は連が実際に場をおいた吉原の経済力に支えられていました)がなければ、不可能なものでした。

そんな江戸期における連のネットワークの現場感が、「空から女の子が降ってくる」という題材を通して、「はてな」のような現代のネットワークと重なり合うのがなんとなくおもしろいなと感じてエントリーしてみました。
一回性をもった機能的なネットワークにおける制作の場には「空から女の子が降ってくる」という題材のような「動き」と「軽さ」が必要なのかもしれませんね。

  

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posted by HIROKI tanahashi at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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