2008年12月26日

スケール感

マーケティングの顧客セグメントとペルソナ」にmas.さんよりコメントをいただきました。

棚橋さんには、本来のマーケティングが、売る、でも、訴求だけ、でもないことを思い出していただきたい。
本質的に何が大事かを考えれば、大事なことにそれほど種類はない。

おっしゃることはすごくわかるし、また、ありがたい。

ただ、僕だけが思い出しても如何ともしがたい状況も目の前にある。それが僕にマーケティングの精神は認めても、「マーケティング」という用語を現時点では肯定的には使いたくないと思わせる要因となってしまっている。それはスケールの問題です。

小なるものの積み重ねは大に至らない、別の物になる

今年の最初に読んだ本で、松岡正剛さんと茂木健一郎さんが対談した『脳と日本人』という本があります。そのなかで松岡さんがこんなことを言っています。

松岡 茂木さんは、あるもののスケール・メリットってどう思っていますか? ぼくは、規模というのは、ダーウィニズムに関連して問題があるんじゃないかと思っているのだけど。ぼくの美意識の結論から言うと、「大は小を制しない」ということでね。逆にいえば、小なるものの積み重ねは大に至らない、別の物になる。だから、大と小の関係には食い違いがある。それをスケールの問題は隠していると思うのです。

このことを今年1年ほど、身にしみて感じたことはなかったかもしれません。100人では可能なことが、1,000人、10,000人という規模では不可能になる。1,000人が100人の組み合わせが10あるとか、10,000人が100人の組み合わせが100あるとかいうユニット的な考えではどうにもならない規模の違いというのがあるのを感じました。そして、それに悩まされ続けた1年でしたね。松岡さんのいう「小なるものの積み重ねは大に至らない、別の物になる」は僕には実感として感じられます。

仕事の細分化、間接コストの増加

100人の規模が1,000人、10,000人となると仕事の奪い合いになる。奪い合いもしくは細分化です。本当は必要な仕事の数はそれこそ限りがあるんですが、組織の規模が大きくなると、仕事の数を人の数が越えて、不必要な仕事の細分化が起こります。本来なら仕事を増やすのではなくて、Workが増やせればいいんでしょうけど、それも1つの仕事を複数人でいっしょに行える人数に限りがあって、かつ、日本人の場合、その数が小さくなるために作業の増加にはならないんですね。

そうなると、仕事を細分化せざるをえないのですが、そこで新たに発生するのが間接コスト。端的にいうと仕事wo分け合った人たちの間で互いに理解しあうためのリソースが馬鹿にならなくなってきます。しかも、たいていの場合、コストをかければ理解しあえるというものでもありません。
また、仕事を細分化することによる問題は分ける前には不足なくできていたことが、分けることで必ず不足が出るようになることです。これは仕事の分割によってできた溝から生じます。

さらにいうと大きな一枚のおせんべいとそれと同容量の小さな複数のおせんべいは必ずしもイコールではありません。大きな一枚のおせんべいが共有する精神を、小さな複数のおせんべい間では共有されない。おいしいせんべいもあれば、おいしくないせんべいもある。さらにおいしいせんべいさえも大きなせんべいの底の深い味わいには到達できない。仕事の分割ではそれが起こる。ただし、じゃあ、仕事を分割せずにもっと巨大な大きなおせんべいの状態にすればよいかといえば、それはすでにおせんべいとして適切なサイズを超えてしまっている。

スケールの違い対する鈍感さ

仕事という機能に必要とされるライトサイズを超えてしまった場合、それを細分化する方向に向くのは、いまの組織のやり方です。でも、それには大きな精神の共有がむずかしくなるという弊害があります。

松岡 ぼくは、組織というものは、生物学的にも社会的にも、それぞれの機能おいてライトサイズがあると思っている。

もっと僕の仕事に直接的に関係があるところでいえば、携帯電話やデジタルカメラなどの小さなディスプレイ、PCのディスプレイ、さらに大きなTVのディスプレイにおけるUIの設計思想を同じにすることはできないのですが、そのスケールの違いに意外と鈍感な人が多かったりします。

たぶん、こういうスケール感の違いを感覚的に感じられず、単に大きくなりすぎたらディヴィジョンに分ければ済むという鈍感さが、根本的なところの思想の共有をむずかしくしてしまっているように感じます。ディヴィジョンに分けて、そこを横断する仕事を扱う部門を別に設けたところで、仕事そのものが本来必要とする人数をはるかに超えた人員をそこに割かなくてはいけないとしたら、本来の仕事よりも間接的コミュニケーションに必要なリソースが増えるばかりだし、仕事そのものの細分化が本来の仕事の意味を喪失してしまうことにもなる。

非人間的にデザインされたものは機能しない

人間中心設計なんて仕事をしていて、人とその人がもつ役割、役目、そして、その役目をこなすために用いるツール、そして、そのツールと人とのインタラクションのことばかり考えていると、こういった組織における人、仕事、機能ユニットとしての組織、そのサイズについてのおかしさ、非人間中心で設計された組織デザインの非ユーザビリティが気になって仕方がなくなってきます。

ユーザビリティの仕事では基本的に利用者がある製品の操作ができないのは利用者が悪いのではなく、その製品のデザインが悪いとみなしますが、組織の場合も同じように考えた方がいいのではないかと思います。どんなに優秀な人間を集めても組織のデザインが非人間的で非ユーザブルなものであれば、機能しないと。ましてや、そこに真に経済的で文化的なマーケティングの精神など宿りはしないのではないか、と。

それが結局、個々の利用者にも、社会にも、そして、もっといえば経済や文化にも影響を与えることになっているわけですから、実はこれって大きな問題だと思います。大きすぎて、僕にもどうやって手をつけていいかわからないんですが。

とりあえずはマーケティングという用語を一旦捨てて、デザインという用語を使ってなんとかできないかというのが昨年来の僕の戦略なわけです。
用語は変わっても、僕自身の精神はそれほど大きく変わってないつもりなんですが、外から見たら違うのかな? なんか年末にきて大きな宿題をもらった気がします。実はひとつ答え(大を小に変換してしまう方法)を持っていることは持っていますが、それをどう実現するかが来年の課題かな。



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posted by HIROKI tanahashi at 21:20| Comment(3) | TrackBack(0) | 企業と事業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
補足コメントを見て安心しました。
棚橋さんがマーケティングという言葉を避けているのもわかります。

ディビジョンに分ければいい、という鈍感さについては、確かにそうなのですが、それは思春期の組織なのであって、成熟した大人の組織への成長過程ではないかと。子供のやることに目くじら立てても仕方ない。
中にいる人が頑張って成長させてやればいいわけです。

自分はセグメント=分けるという言葉が嫌いで、むしろ多変量解析をする時に、似た性質をもつ個々のデータが寄り添ってくる、という感覚がペルソナに適していると思っています。
Posted by mas. at 2008年12月26日 21:52
肝心の本論について、コメントしそこねました。

「企業側と利用者側のニーズを包括的にマッチング」させるのは、確かに困難ですが、強い意志をもってやり遂げなければ、関わる人もみな不幸になるし、つくられたペルソナも「どうするの」となり、浮かばれません。

そこはあらゆる知恵を使って、統合されるように努力すべきです。
Posted by mas. at 2008年12月26日 22:26
ありがとうございます。
すこし遅れのクリスマスプレゼントをもらった感じです。
これまでとは違う苦労も多い1年でしたが、違う勉強をさせてもらった気がします。
来年もよろしくお願いします。
Posted by tanahashi at 2008年12月27日 02:25
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