白川静 漢字の世界観/松岡正剛

白川さんの本を読むということは、文字という形態により言葉をあらわす人工物の世界観・体系、あるいは、それを用いる人間の観念や行為と形態との関係を探ることを意味します。それはハーバート・A・サイモンが1967年の『システムの科学』("The Science of the Artificial")ではじめて描いたデザイン思考(Design Thinking)という概念もその領域に含んでいます。ものの形を吟味することを仕事とするデザイナーがこうした関係性について無視するのはどうしたことか?と疑念をもたずにはいられません。
人間中心設計を高らかにうたっている人でも同様で、いまの人間や社会だけを前提に、あきらかにそれ以前からのスタイルの影響を受けているものの形をあれこれいうのは視野狭窄の感があるのはこれまでも指摘してきたとおり。例えば、ヘンリー・ペトロスキーが『本棚の歴史』で描いたような、本がかつて書棚に鎖につながれていたこと、蔵書を収納する施設(図書館)は収納と採光のトレードオフ的な関係があったことなどを知らずに本のレイアウトや版面のデザインを云々いっても、明らかに何かが不足していると感じます。

デザインやってる人で、ものの歴史をちゃんと学ぼうとする人は建築のデザインを唯一の例外としてとにかく少ない。なぜ、ある特定の道具の形は類似するのか、どうしてそうなったのかを理解しないまま既存の物の形を模倣する。形の意味を解せずに、形の吟味を行っているということですから、あきれたものです。そのことは1つ前の「漢字百話/白川静」でも書いたとおりです。人とものの形の関係、社会とものの形の関係など、まったく無視して、いったい何を根拠に形態の吟味をしているのか?

そんなわけで、そろそろこの本も紹介しておこうと思いました。

最初に『初期万葉論』を読んでから、ここ2か月弱のあいだに『漢字―生い立ちとその背景』『詩経―中国の古代歌謡』、『中国の神話』、『漢字百話』、そして、梅原猛さんとの対談『呪の思想―神と人との間』と、白川静さんの本を6冊読みました。

この松岡さんによる白川静入門書を読んだのは、『初期万葉論』『漢字―生い立ちとその背景』『呪の思想―神と人との間』を読み終えて、ちょうど『詩経―中国の古代歌謡』『漢字百話』を読みはじめた頃だったと思います。松岡さんによる白川さんの入門書が出るのを知って発売日の次の日に買ったのでした。白川さんの本そのものに満足していたので、入門書の位置づけであるこの本はすごく読みたいわけではなかったのですが、そうはいっても大好きな松岡さんの本なのでやっぱり買ってしまい、さらにすぐ読んでしまいました。



入門書

感想は一言でいうと「入門書だな」と、それがまず一番。

すでに何冊か白川さんの本を読み終わったばかりで、かつ、その内容に大いに驚きと満足感を感じていた僕にとっては、ちょっと物足りなさも感じられました。白川さんの本を読んだことがない人にとって、その偉大なる知の探索の道のりを垣間見る入門の書としては申し分ないのですが、すでに入門してしまっていて、その世界にはまってしまっていた僕には、旅先で実物を前にガイドブックをみるようなものでした。本物の存在感がすごくて、きれいに撮れたガイドブックの写真はちょっと物足りなかったというか。

特に『初期万葉論』での軽皇子の安騎野の冬猟を詠んだ人麻呂の歌の解釈のすごさは実際それを読んで白川さんの本にはまったくらいですから、松岡さんがその解釈を称賛するのを読んでも、なるほど、やはりあの解釈は独創的ですごいものなんだとあらためて認識できたくらいで、いつも松岡さんの本を読んで感じる感動はちょっと薄かった。

松岡さんの本を読んで、こんな感じをもったのははじめてで、やっぱり実物に触れるのは大事だなとあらためて思ったものです。

松岡正剛から入る

そんな個人的な感想をもったこともあり、紹介するのが遅れたのですが、まだ白川静さんの本を読んだことがない人にはぜひ入門の書としておすすめしたい一冊ではあります。

『外は、良寛。』『空海の夢』など、直接、実物に触れるには、ちょっと手の届かない良寛や空海の世界に触れさせてくれ、大いに感動をもらったのが松岡さんの本でした。『山水思想―「負」の想像力』では雪舟や長谷川等伯らの山水画の魅力を、『日本数奇』では武野紹鴎、利休や織部などの茶人たちの魅力を教えてくれたのも松岡さんの本でした。気軽に手に触れられない日本が生んだ極上の文化・知を、わかりやすく、かつ、その魅力を凝縮して教えてくれるのが、松岡さんの本です。

この『白川静 漢字の世界観』にしても、僕がまだ読んでいない『白川静文字講話』や『文字遊心』『中国古代の文化』などの本の魅力を伝えてくれていて、はやく読みはじめたい気持ちにさせてくれました(実際、松岡さんの本を読みながら、これらの本をAmazonのカートに次々入れていました)。

漢字の世界観

1つ前の「漢字百話/白川静」というエントリーでも書いたように、白川さんは漢字を日本の国字として捉えていました。「日本文化史研究/内藤湖南」でも先に紹介したように松岡さんはこの本のあとがきで「を「豆腐とニガリ」と題して、内藤湖南さんの「日本にとっての支那文化は豆腐のニガリのようなものだ」という説を紹介していて、日本文化はスープ状なものとしてあった文化の原液を中国というニガリで固めて豆腐にできたという説を紹介しています。そして、この視点を白川さんの「東洋学≒日本学」という態度の元にあるものとして見ており、『詩経』と『万葉集』を同時に読むという生涯を貫いた方針の根底にあったものとして紹介してくれています。
そう。白川さんという方は単に漢字を研究したのではなく、日本を東洋において捉えるための方法として甲骨文や金文などの漢字の原点を学んだのです。その知の視野はあまりに広くて、そして、とてつもなく深い。

白川静という巨知を語ることは、まずもって「文字が放つ世界観」を覗きこむことであり、古代社会このかたの「人間の観念や行為」をあからさまにすることであるからです。
松岡正剛『白川静 漢字の世界観』

と書く、松岡さんのいつにない緊張した書きっぷりもなかなかおもしろく、それでいて、その巨知である白川さんの世界を新書一冊に見事にまとめあげる手腕はさすがだなと感心させてもくれます。

言語の「言」と「語」とはあきらかに神と人とのあいだのコミュニケーションの姿をあらわしていました。
いや、そもそも言語の本来はそういうものだったのです。「言」は神にかけて言葉をつかうことをあらわし、「語」はその言葉の力を守るようにすることをあらわしていたのです。
松岡正剛『白川静 漢字の世界観』

まさにこの言葉が白川さんの「漢字の世界観」をあらわしているものといえるでしょう。そして、その視点の古代社会このかたの「人間の観念や行為」をあからさまにすることにもつながっていましたし、ニガリである中国と豆腐である日本を考えることにもつながっていました。

そんな白川さんの世界に触れるには、唯一にして絶好の入門書がこの一冊だと思います。



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この記事へのコメント

  • sachioo43

    漢字の解読を独自に開始し、少しづづ紹介しております。
     ご意見ご感想をいただければ幸いです。

    sachio43

    2009年01月28日 12:23

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