ありきたりなシナリオからはありきたりなデザインしかできない

結構前に書いた「ペルソナで「普通のユーザー」をつくろうとしてはいけない」というエントリーに、levaさんからこんなコメントが。

調査データ分析・統合方法を知識レベルでも経験レベルでもまだまだ理解が足りてないがために、この指摘はずっしり来るなぁ。ありきたりなユーザ理解からはありきたりなシナリオしか描けないわけで

これをちゃんと受け止められるだけ、levaさんは筋がいいと思います。だって、僕自身、いまだにこの点に関しては毎回苦労しますから。毎回迷って、そのたびに頭を整理するためにこんなメモを書いたりします。



迷っていいんです。逆に、迷うことを嫌うのがいけないんです。
わからないこと、むずかしいことに気づいて、それをどうにかしようと問題視するのは筋がいいと思います。だって、そういう探究心がなければ、どこかで「ありきたり」にはまって、そこで終わりなわけですから。
ペルソナとかシナリオってやり方がわからないことを問題視する人が多いんですけど、それは関心を示す方向がそもそも間違っているんです。問題視すべきはやり方とかじゃなくて、利用者の理解をできるかどうかです。やり方はあくまで手段であって、求めるべきは結果のほう。その点、levaさんのコメントは的を外してないんですね。

ありきたりなシナリオからはありきたりなデザインしかできない

About Face 3 インタラクションデザインの極意/アラン・クーパーほか」で書いたとおり、シナリオを書くのはデザインの要件を抽出したり、デザインの形態や振る舞いを検討するために書くわけですから、ありきたりなシナリオを書いてしまえば、ありきたりなデザインができてしまうというわけ。もちろん、この「ありきたり」がいい意味での無難だが押さえるべきところはちゃんと押さえているというような意味での「ありきたり」ならよいのですが、大抵はほかとおなじように「ありきたりな」ユーザビリティ上の問題を抱え、「ありきたり」なくらい利用者のニーズを把握できておらず、「ありきたり」すぎて利用者の感性に訴えかける要素をもたないデザインになってしまうので困ります。

これは何度も繰り返し指摘していることですが、そういう結果になってしまうのであれば、何もわざわざ余計な手間をかけて調査をしたり、ペルソナというユーザーモデルを使ってユーザー理解を行ったり、利用シーンをシナリオに起こしたりといった作業を行わなくても、いままで通り、何の根拠もなくいきなり情報の構造化やそれを視覚化する作業に入ってしまったほうがよっぽど効率的です。

抽象レベルでの検討は苦手?

ただし、それはペルソナやシナリオを用いた上流レベルの検討が無駄という話ではありません。どういうわけか、日本のデザインの現場では、抽象レベルの検討が苦手なのか、それを避けてすぐに具体的なレベルの話にもっていきたがる。それで上流工程での検討があやふやなまま、下流での作業がはじまってしまう。実際は、上流工程の話って、抽象的な話をしてるわけじゃなくて、利用者側の話をしてるだけなんですけどね。

これまた「iPhoneへの道は一日にしてならず」に対するコメントで、stj064さんが書いてくれてましたが、「今の現場で難しいのは、グランドデザインがないことに疑問を持たずに走り出してしまう国民性が存在するということ。隣国なのにこうも違うのかと。」というくらい、利用者側の利用シーンを想像することが必要なグランドデザインのレベルの検討が行われないという状況が発生してしまっています。なんでこうもわかりにくいものに対するアレルギーがあるのかと不思議に思います。一見、わかりにくくブラックボックスになってしまっているところにこそ、イノベーションの鍵は隠れていることが多いはずなのにね。これじゃあ、日本にはデザイン思考(design thinking)なんて根付きませんね。自分たちの立場とは異なる利用者の世界に足を踏み入れるのを避け、自分たちの当たり前の世界に閉じこもったまま、それが無難なやり方だと思いこんでいては、今はよくても未来がないということにどうして気がつけないのか。そういう構想力の欠如に非常に危機感をおぼえます。これは若い世代もそうかもしれないけど、どっちかというと僕の歳前後またはそれ以上のオジサンの世代ね。考えたり努力して勉強したりするのがヤになっちゃったなら、エラそうにふんぞりかえってないで若い世代に道を譲りなさいって思います。

日々の生活のなかで、どれだけ人間に関心を向けられるかが重要

さて、そういったわからなさへの拒否感を捨て、「ありきたり」なペルソナやシナリオができてしまうのを避け、本当の意味で人間中心設計のアプローチを有効なものにするためには、やっぱり人間一般や個々の利用者に対する想像力を養わないといけないんだと思います。単に人間中心設計のプロセスでデザインを行うときだけ、それを心がけてもなかなか上達しません。
それよりも普段の生活で、いかに人間のこと、社会のこと、歴史のこと、人間が暮らす環境のことについて好奇心と疑問をもって日々を過ごしているかが問われます。人間中心設計の方法だけを学んでもダメで、それ以上に日々の過ごし方、行動・頭の使い方のほうがやっぱり大事なんですね。

ありきたりを避けるには、自分の頭のなかの思い込み、当たり前に頼るのをやめる必要がある。また、さらに避けるべきは他人の当たり前、世の中の常識ばかりを当てにすることでしょう。自分の当たり前で、他人であるユーザーを想定するのではなく、自ら積極的にユーザーの世界にある理解不能な面に入り込んでいかないといけません。なんでユーザーはこんなことをするのか? なんでユーザーはこんなことがわからないのか? です。
自分が理解できる世界に安住するのではなく、自分がわからない、理解できない世界に日々積極的に足を踏みこむ努力をしていかない限り、想像力を養うことはできないと思います。「わかること。それはガイドブックも道案内もない冒険の旅で書いたとおり。ペルソナやシナリオを書くなかで、わかっていることを再確認して安心するのではなく、今までわからなかったことに出会って自分自身がそれまでとは違うものになることからしか、本当の意味で「ありきたり」でないものの創造はできないはずです。

そういう普段の生活での積極的な好奇心や問題意識の中から、ありきたりでない本当に利用者の核心をつかんだユーザーモデルであるペルソナを作れるようになったり、ありきたりな利用シーンではなく利用者の本当の生活のなかでの問題をつかんだシナリオを想像できるようになるんだと思います。
これに関してはいつまでたっても、日々精進が大切だと思います。



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