iPhoneへの道は一日にしてならず

UIだけiPhoneを超えるとおっしゃるんですか?」の補足として。

僕みたいにほとんどiPhoneについてまともに考えてみたこともない人間の言葉より、えふしんさんがちゃんと考えてくださってるこちらの文章がおすすめ。

以上はUIとしての話であって、iPhoneとしてのメリットは、タッチパネルの特性であるプログラマブルなUIを生かした、ゲームやさまざまなアプリによる、App Storeの存在が重要だ。

えふしんさんは「結局、iPodという音楽再生デバイスから脱皮した先に、マルチユースの携帯デバイスというコンセプトを実現するために、タッチパネルを採用したと考えてみる」と書いてらっしゃいますが、僕もこの視点は重要だと思っていて、iPhoneがいきなり生まれたと捉えるより、iPod(+iTunes、iTMS)が築いてきた延長にiPhoneは存在していると考えたほうがいいと思っています。

iPhoneへの道は一日にしてならず、です。

グランドデザイン、リーダーシップの不在

この一日してならない道を進むには「本来と将来」で書いたように、土台となる哲学があってより具体的なヴィジョンがあって、そのヴィジョンを実現するツールとして、iPodなりiTunesなりiTMSなりiPhoneなりApp Storeなりがひとつずつ積み重ねられていくことが必要。いわゆるそうしたグランドデザインがUIデザインの前になくてはいけない。単にUIのデザインチームだけががんばってもiPhoneにようにはなりません。それを単にタッチパネル式のUIという新しさのみに着目しては道を間違うんじゃないかと思います。
そう。えふしんさんが「そもそもプログラマブルなこと以外は、UIとしては退化である可能性もあるわけだから」というように。

とうぜん、グランドデザインがないのは、UIをデザインする人びとの問題ではなく、むしろ企業におけるリーダーシップの問題です。巷でよく言われるようなジョブスの強力なリーダーシップが必要なのでしょう。企業のリーダーが個々の製品のUIまで含めてはっきりとヴィジョンが見えていないことに問題がある。数字しか見えていないようなリーダーと、UIのあるべき姿まで見えているリーダーでは決定的な差が生まれてしまうはずです。何の根拠もない数字の目標だけ示して、あとは部下に勝手に考えてやれなんていうやり方をしているようでは何も生まれてこないのは当然でしょう。

経済文化

地方自治体がやたらと複合文化施設をつくってみたものの中身のコンテンツがなくて無駄遣いだと問題視されたのとおんなじで、UIというハードウェア側だけ工夫してもそれに対応したソフトウェアがないなら役に立ちません。

そういうとにかく箱だけ格好よくつくろうとする傾向はどうもいまの日本にはあって、ウェブの世界でもそれに反発して「結局はコンテンツ」みたいな話も出てくるわけですけど、そうじゃなくて「知の編集工学/松岡正剛」で書いたように経済と文化を切り離して考えるところにそもそも根本的な要因がある。経済と文化じゃなくて経済文化として捉えないといけません。

箱と中身、鍵と鍵穴はいっしょにつくらないと意味がない。立派な金庫だけ作って中に入れるお金も宝ものもないのでは単なる笑い物になるだけです。鍵穴に鍵がないのはおかしいと誰もが思えるはずなのに、UIに用途がないことをおかしいと感じられないのは、そもそもUIをもつサービスの本質がいまだに理解できていないということなのかもしれないなと最近思います(機械的仕組みにはまだ神としての自然が宿る余地があるが、UIで操作するインタラクティブシステムの世界にはもはや神が介在する余地はなく、ある操作に対応する機能は基本は福袋的に任意で、かつ、中身と操作の対応は常にすでに自由で複数的であるなどといった本質)。それについて、よく考えないまま、なんとなくよそ様のUIを真似ているフシがほうぼうで感じられます。

経済文化のエコシステム

ものがひとつ増えれば世界が変わりうるのだということを想像できているか」というエントリーも前に書きましたけど、何かものを1つ作って市場に出したときの経済文化に及ぼす影響も含めた2、3歩先の手を打っておくようなエコシステム的発想でトータルなサービス設計をしていかないと、とてもじゃないですが、iPhoneを超える云々という話にはならないんじゃないでしょうか、って思います。さらにその絵にかいた餅であるヴィジョンなり戦略が実際に現実社会において受け入れられるためには、ユーザー視点に立った「おもてなし」という態度も同時に必要なのは、中島さんが常におっしゃってるとおりだと思います。

でも、そういう因果応報を構造化して捉える視点が日本人は苦手なんでしょうね。要素をMECEにリストアップして、構造的に組み立てる・整理分析するというところに弱点がある(それがそもそもUIの設計に限っても弱点であるのは「要件、要素、分類と構造化、そして、視覚化・振る舞いの検討へ」で書いたとおり)。
誰かが要約してくれたわかりやすい文章ばかり読んでるから、そうなっちゃったんでしょうか。わかりやすさばかり求めるんじゃなく、自分でわかるようにするという方向にシフトしていかないと、何が競争環境における戦略の本質なのかもわからなくなっていくんじゃないでしょうか。

いや、まぁ、そうはいっても日本が本当にだめかというとそうでもなくて、現にWiiがあったりもするわけで、ちゃんと夢と信念とそれを現実の力に変えるリーダーシップと企業文化があれば、日本だろうがどこだうろがうまくいくのかもしれません。

   

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この記事へのコメント

  • mas.

    iPhoneはiPodの延長というより、iPodはiPhoneへの掛け橋として、作られたと考えるほうがよいでしょう。

    そしてiPhoneもその先の何かへの掛け橋。

    ゴールがあって、iPodやiPhoneという手段がある。
    2008年12月18日 08:52
  • tanahashi

    失礼しました。
    その方が正しい表現です。
    2008年12月18日 12:01

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