何かしらの対象(object)を指示する記号・表象としてだけ、ことばを捉えてしまう現代においては、ことばと人間の関係はすでに壊れてしまっているように感じられます。親の庇護を失った子どもが日々無防備に大量のことばに曝されているような状況か。
現代の成人はことばに対する防御力をもたない、あるいは、ことばに対する惧れを抱かないという意味において幼児的であり、また、その幼児に道を教える親という存在の不在において、まさに現代は未来を喪失しているのではないかと感じます。そして、その未来の喪失は本来の消失に起因するのではないかという気もするのです。ことばの本来の消失に。
古代歌謡は、民族の歴史が刻まれはじめるその瞬間に成立する
古代の歌は個人の叙情から発したものではないと白川さんはいいます。そのことはすでに『初期万葉論』を紹介した際にも触れておきました。中国の古代歌謡集である『詩経』を通じて『万葉集』をみたのがその『初期万葉論』なら、今回紹介する『詩経―中国の古代歌謡』はその逆に『万葉集』を通じて『詩経』をみる視線があります。
『詩経』と『万葉集』は「民族の歴史がはじまろうとするその時期に、どうしてこのような古代歌謡の時代が、忽然としてあらわれてくるのだろうか」という視点で比較されています。『詩経』も『万葉集』も、そして、インドの『リグ・ヴェーダ』のなかの聖歌もホメロスの詩も、民族の歴史が刻まれはじめるその瞬間に成立し展開する。古代歌謡の時代はまさにその点で歴史的であり、白川さんはそれを「重要な社会史的な事実の反映として理解すべきもの」として捉えています。
個人という概念の不在
神にとらわれた古代の人びと、より具体的にいえば、近親婚に関する禁忌もなく殉葬が当たり前に行われていた極度に閉鎖的な氏族性の絆のなかにあった人びとには、そもそも個人という概念がなかったのでしょう。幼い子どもが自己を意識しないように、神の庇護の下にあり、かつ神にとらわれている状態にあった古代の人びとは、自らの意志によって何かをなすという自由とは無縁であるがゆえに自己を有する意味をもたず、個人という概念も存立しえなかったのだろうと思います。松岡正剛さんが『フラジャイル 弱さからの出発』で紹介していた夕占という万葉時代の占いをみても、個という概念の不在が感じられます。人の顔がわからない黄昏時の辻に出て、自分が持っている櫛の歯をビーンと鳴らしながら通りすがりの人の声に耳をすます。そして、最初に入ってきた言葉で占いをするという夕占。そこには個人の不在とともに、今とは異なることばの存在感、言霊があるのが感じられます。
民衆と古代歌謡の世界の成立
歌うことはその語源においても神に「訴ふ」ことと深くつながっているそうです。文字の起源からみても歌は神を責めて呵し訴えることを意味していると白川さんはいいます。閉鎖的な氏族世界のなかで民は神にとらわれた身であって自由はありませんでした。神のことばは命令ですらなく、発せられた時点で現実だったのでしょう。民は自分たちに災難が降りかからないよう神に訴え神を責めることしかできませんでした。
そんな古代世界にもやがて古代王朝が登場してきます。多くの氏族が王朝によって統一されて、氏族間に交通が生じたのです。それまで閉鎖的だった世界にほんのすこしの風穴があいた。それでも、なお氏族の内部には祭祀共同体的な原則が強く生きていましたが、それが古代王朝の集権化とともに群小の氏族は抵抗力を失って、民は領主のもとに直属する民衆に変わっていきます。
民衆は、自由のよろこびを獲得するとともに、また新しい時代へのおそれを抱かずにはいられなかった。そのよろこびとおそれのうちに、古代歌謡の世界が成立する。白川静『詩経―中国の古代歌謡』
『詩経』も『万葉集』もともに民謡から展開した歌謡だといいます。民謡の成立は民衆の成立を前提とします。そのためには神と一体化した状態から人びとが解放される必要があった。ただ、それは同時に強い親の庇護にあった幼児が、親の手から離れることをも意味します。神の絶対的な規範から自由になることは、わずかながらも自らの考えで生きていかなくてはならない運命を人びとに課したのです。
文身と名前
これまでも「初期万葉論/白川静」や「漢字―生い立ちとその背景/白川静」といったエントリーで紹介してきたように、古代においては文身(いれずみ)の文化がありました。人は生まれたとき、成人するとき、そして、死んだときに額や胸に文身がほどこされました。その文身は祖先を祀った廟の前で行われ、文身とともに名を与えられました。しかし、その名は安易に人前で口にされるものではありませんでした。名を相手に知られるということは、相手に自分の身のコントロールを委ねるということを意味したからです。女性が名を名乗るのは嫁ぐときでした。そうした傾向は江戸期まで続いています。そのことはタイモン・スクリーチが『定信お見通し―寛政視覚改革の治世学』で江戸期には誰も将軍の名や天皇の名を知らなかったことを紹介していたり、田中優子さんが『江戸はネットワーク』で「日本のサロンは、この無名性(または多名性)を1つの特徴としている。無名(または多名)であるからこそ、連の場は自由を獲得した」と書いていることからもイメージできます。
記号性と象徴性
名は単にその人を支持する記号・表象ではなく、それ自体がその人の一部を象徴する存在だったのです。そして、その象徴性が単に名前に関してだけでなく、ことばそのものにもいえることが白川さんの漢字研究を知ると理解できるようになります。漢字の象形性は、単に元の形を表象するのではなく、象徴的に形を生み出すことで呪的能力を発生させているのです。そして、歌もまた単に人びとの叙情を歌ったのではなく、そのことばのもつ呪能を固定するものとして歌われたのです。ことばの呪能を託された歌は、すでに動かしがたい存在の意味を荷うものとして、客体化された。ことばは歌として形成されたとき、すでに呪能をもってみずから活動する存在となる。白川静『詩経―中国の古代歌謡』
ことばの記号性と象徴性を混同してはいけません。ことばが象徴性をもつとき、それは単にある事物を映しだす鏡像的な存在なのではなく、まさにDNAが自らを複製するかのような意味をもつのです。ことばは鏡に映った自分ではなく、一卵性双生児のような双子の片割れなのです。そうであるがゆえに古代の人びとは安易にことばを口にしなかった。ことあげしなかったのだと思います。
規範が失われた世界でのことば
ことばは本当に必要なときにのみ、正しいやりかたで口にされたのでしょう。そこには象徴としてのことば、呪能をもった言葉をあやつるための規範という庇護があったのでしょう。その庇護の下でことばを使う分をわきまえていたところに、古代の人びとの成人性があったのではないかと思うのです。その後、時代が経つにつれ、ことばが規範を失い、ことばの意味を整理するにもアルファベット順の百科事典が必要な時代が17~18世紀に生じたことは、高山宏さんの『近代文化史入門 超英文学講義』や『表象の芸術工学』で、すでに紹介したとおりです。
古代においては成人になれば、ことばを操るための規範を身につけることができました。それが社会の変化とともに、ことばは規範を失っていく。そして、デリック・ドゥ・ケルコフが『ポストメディア論―結合知に向けて』で書いているように、文脈から切り離して機能するアルファベットという文字のおかげで、ことばは何の規範も身につけていない幼児のような大人たちに濫用されるようになりました。ことばは物自体から切り離されて自由に物を表象できる記号としてのみ振る舞うようになり、その象徴性・呪能は忘れられたかのようです。
しかし、問題はその象徴性・呪能は単に忘れられただけで、ことばは依然としてその力を有しているということではないでしょうか。呪能をもったことばをその力を忘れた人びとによって日々濫用されることで、ことばを発する僕たち自身が日々自分を傷つけているのではないか、と。
そんなことをこの白川さんの著作を読みながら感じました。
関連エントリー
- 初期万葉論/白川静
- 漢字―生い立ちとその背景/白川静
- 呪の思想―神と人との間/白川静、梅原猛
- 日本文化史研究/内藤湖南
- 日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで/土橋寛
- 定信お見通し―寛政視覚改革の治世学/タイモン・スクリーチ
- 江戸はネットワーク/田中優子
- 近代文化史入門 超英文学講義/高山宏
- 表象の芸術工学/高山宏
- ポストメディア論―結合知に向けて/デリック・ドゥ・ケルコフ
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