漢字―生い立ちとその背景/白川静

本当に人間について知りたければフィルードワークだけでは足りません。だって、フィールドワークできない場所でも人間は生きていたのだから。そう、もはや僕らが足を踏み入れられない過ぎ去った過去にも。

過ぎ去った過去における人間を知る(特に人間中心のデザインの観点から)という意味では、例えば、『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』で紹介されている深澤直人さんの「アクティブ・メモリー」という用語がおもしろいです。
アクティブ・メモリーとは、特定の個人における経験的な記憶を指すのではなくて、誰もが共通に知っているものの形を通じて身体に意識されないような形で残っている記憶を指します。例として出されるのは、毎日触っている電車のつり革の形は意識としてはよく覚えてはいなくても、ある日その形が微妙に変化したらきっと握った感触から、あれ?と感じるだろうというようなことが含まれます。
アフォーダンス理論とも関連するこのアクティブ・メモリーという外部環境と身体的記憶との関係性は、外部環境から人間の身体側へと記憶が書き込まれるという方向だけでなく、人間の身体行為が外部環境に及ぼす行為の痕跡としても現れたりもします。先の本では、バス停の前のガードレールが何人もの人が座った影響で曲がっている写真などが紹介されています。

この人間が外部環境に残す痕跡にも大きく分けて2つのものがあります。

1つはガードレールの湾曲のように人間が無意識のうちに残してしまう痕跡。もう1つは言うまでもなく、人が意図して残すデザインされた人工物という痕跡です。後者の人工物の形状もまた人間の行為の痕跡をその輪郭に残しているものだといえるでしょう。特に長年にわたって多くの人に繰り返し用いられてきた人工物の形状であれば、そこに人間の行為の痕跡を刻んでいるとみることができるはずです。

そこにフィールドワークによる観察がもはや不可能な過去においても、その時代に生きた人間を知る手だてが隠れていると思います。そして、それを実際に行っているのが、この『漢字―生い立ちとその背景』をはじめとする白川静さんの漢字研究だといえるでしょう。漢字という人工物の形状を知ることで、その成り立ちやそれがどのように使われたのかという面で当時の人間が見えてきます。

殷における占卜と王の神聖性と文字

漢字の元になった甲骨文は、中国で殷の時代に生まれています。その誕生は、確実なところでは紀元前14世紀にまで遡ることができます。
殷の時代、「王朝の秩序の原理は、その神話であり、祭祀の体系」でした。卜いを通じて王は神と交信することで政治を司っていました。その占いに使われたのが獣骨であり、亀の腹甲でした。その亀の甲にすり鉢状の穴をほり、その部分を強く灼くことで、縦横に線が走るのを見て占ったのです。

獣骨による占卜は、文字のない時代からすでに行われていました。古い時代の卜骨には文字は記されていないといいます。占卜は文字がなくても可能なものでした。

ところがある時期から占卜に用いた獣骨、亀の甲に文字が見られるようになります。王による占卜のことばが記されるようになったのです。記された文字は占卜の内容とともに、その結果としての王による占断のことばも記されていました。ただ占卜するだけなら必要がなかった文字による記録は、王による占卜に誤りがなかったことを残すために用いられるようになったのです。つまりは王の神聖性の顕示のために文字は必要になったのです。

古代にあっては、ことばはことだまとして霊的な力をもつものであった。しかしことばは、そこにとどめることのできないものである。高められてきた王の神聖性を証示するためにも、ことだまの呪能をいっそう効果的なものとし、持続させるためにも、文字が必要であった。文字は、ことだまの呪能をそこに含め、持続させるものとして生まれた。
白川静『漢字―生い立ちとその背景』

この祭祀が中心となった殷の政治のありかたから様々な文字が生まれています。例えば、殷では祭祀に犬を犠牲として用いることが多かったそうですが、この犬の字がさまざまな祭祀に関連する言葉を示す文字に見受けられるといいます。

例えば、上帝を祭ることを「類」というそうですが、類の本字は「大」の部分が「犬」であり、犬牲をもって祀ることを意味する文字です。また、「然」はその肉をもやす意味で、それに火を加えた形はいうまでもなく「燃」です。犬牲をもって器物を清めることも多かったそうで、器(もとは類と同じく「大」の部分が「犬」)や哭などの字に犬を添えているのもその意味だといいます。

文字と祭祀社会

いまさらいうまでもなく漢字は象形文字として生まれました。王という字も、王権を示す儀器としての鉞(まさかり)の象形であるとされています。



「殷王は、年間を通じて間断なく祖霊との交渉をもち、祖霊の保護を受けることができる」と示すために、殷では一年を埋め尽くすような祭祀体系が組まれていたといいます。

祖霊の観念、祖霊崇拝の祭祀化は、定着的な農耕社会の成立によって生まれるとされている。このような祖祭の体系は、農耕社会を基礎とする殷王朝の繁栄を反映するものであろう。
白川静『漢字―生い立ちとその背景』

稲作には欠かせない雨を願って舞い歌う儀礼もあり、その「舞」を示した文字は最初は「無」であり、人が脇に飾りをつけて舞う姿の象形だそうです。



甲骨文として刻まれた文字を読み解いていくことで、このような殷の社会が見えてきます。まさに人工物の解読によって人間またはその社会における生活が見えてくるのです。

文と文身(イレズミ)

そもそも「文」という文字自体からも当時の人びとの儀礼が見えるのです。文はもとは文身(イレズミ)を意味する字であり、人の胸部に心臓の形の文身を加えた象形です。



文身の美しさを文章という。文は人の立つ形の胸部に、心字形やV字形やXなどを加えるのである。章は文身を加える辛(はり)の先の部分に、墨だまりのある形である。
白川静『漢字―生い立ちとその背景』

文は胸の中央にする男性の文身をあらわしたもので、女性の場合は両乳房に記したといい、その象形から爽という字も生まれているそうです。

生まれることを示す「産」はもともとは立の部分が文であり、もともとは赤子がうまれたときにひたいに加えた文身の象形でした。また文身は一定の年齢に達するごとに加えられ、「彦」もまた顔に文身を加えた象形であり、「顔」という字そのものが文身をくわえた額を指しているそうです。

呪力から人間の内面化へ

似たような文身を示す例としては「徳」の字もあげられています。徳はもともと目の呪力を意味した字で、もともとは「心」はついておらず、目の上につけたしるしを表す象形と目の呪力をもってほかと接することを示した彳を加えた文字です。異族に接する際にそうした文飾を目のうえに施すことで、目の呪力を高めたのでした。

ただ、そうした儀礼も時代が下るにつれ、変化していきます。

しかしこれらの字は、やがてその呪的な力が、その文飾にあるのでなく、内的な特性、精神的な力に本づくものとされるようになった。古代の呪的な行為を示す字は、このようにして人間の内面的な特性を意味する語となる。徳の字に心が加えられるのには、帝から天への転換、人間の内面性への自覚を必要としたのである。
白川静『漢字―生い立ちとその背景』

殷から周へ王朝が変ったあとに起こる変化ですが、これはまさに「初期万葉論/白川静」で描かれた日本における前期万葉と後期万葉の社会の変遷と重なります。前期万葉の呪的な世界から後期万葉の律令的な合理性の世界への変化が、殷から周への変化にも見られると白川さんは指摘しています。

それはこのような感情の分化が、時代とともに進んで、文字がその必要に応じて、新たに作られてきたからである。卜文には心に従う字がほとんどみえず、金文に至ってもなお20数字を数えるにすぎない。人が神とともにあり、神とともに生きていた時代には、心性の問題はまだ起こりえなかったのであった。
白川静『漢字―生い立ちとその背景』

人間には心があるのが当たり前と感じる僕らには、「心性の問題はまだ起こりえなかった」ということ自体が衝撃的です。そして、そうした現代の人間とはまるで異なる人間像を、古い文字の解読から読みとれてしまうことがすごいと思います。

外部の物理環境-人間の行動-人間の心理・思想

こういうところにこそ、最初に書いたような過去に作られた人工物から当時の人間の記憶を読み解くことの可能性を感じます。それは田中純さんが『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』で詳しく紹介しているアビ・ヴァールブルクによって開始された絵画からそれが描かれた文化・社会を読み解くイコノロジー研究や、杉浦康平さんが『宇宙を叩く―火焔太鼓・曼荼羅・アジアの響き』などの著作で示されているような仕事とも重なるものだと感じます。前に「ものがひとつ増えれば世界が変わりうるのだということを想像できているか」というエントリーを書きましたが、外部の物理環境-人間の行動-人間の心理・思想は1つのエコシステムのなかで相互作用をするものとして捉えないと、本当の意味でデザインを人工物と人間の関係性として捉える人間中心設計はできないと思っています。

以前から書いていますが、いまの人間やいまの世につくられた形だけを見ていては、人間を知ることもできなければデザインを深く考えることもできないと思っています。その意味で最近読みはじめた白川静さんの著作は、また新しい世界を見せてくれていて非常に勉強になります。



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