言いがたいところの智慧

技術や手法の伝達ではなく、言葉として語って伝えることができない「智慧」の伝授ということを最近よく考えます。

まったく一介の隠居のおじいさんが語る昔話にすぎないのであるが、そこに長年の経験から得た、人間の真の「智慧」とも言いたいものがうかがわれた。能楽という一つの道に対するその盲目的な信仰は、思想的にも生活上にも、近代文明のもたらした不安な世の中には、何かしら羨ましいものにさえ思われてくる。

「梅若実聞書」は、白洲正子さんが自身の能における師でもあった二代目梅若実(五十四代梅若六郎)さんへの芸談に関するインタビューの記録として記したものです。その「はしがき」にあるのが上の言葉です。

この言葉に続いて、白洲正子さんはこんなエピソードを紹介しています。

私としては、曰く言いがたし、というその言いがたいところの「名言」が聞きたいばかりに、きっと読まれた事はないだろうと思って、世阿弥の『花伝書』をたずさえて行った。
「先生、この本お読みになったことがありますか。これこそほんとの芸術論というものです」
今から思えば心ないしわざであったが、・・・・・その時実さんはこう答えられた。
「いえ、そういうけっこうな書物がある事は聞いておりましたが、未だ拝見したことはござんせん。芸が出来上がるまで、決して見てはならないと父にかたく止められておりましたので。・・・・・しかし、(ちょっと考えて)もういいかと思います。が、私なぞが拝見して解りますでしょうか」と。
私はいたく恥じいった。むろん本はそのまま持ち帰ったことはいうまでもない。

「言いがたいところ」を得ようと、言葉となった世阿弥の『花伝書』をぶつけた白洲さんでしたが、師から返答に自らを恥じいる結果となってしまいます。

知は両刃の剣

そんなエピソードからはじまる、この「梅若実聞書」のなかで、梅若実さんがこんなふうに語っている場面があります。

こういう事は自然に会得するより他仕方のないものでございます。自分の心にははっきりとしたものがあるんですが、人にはどうしても伝えられないのが残念でございます。

これを単に言葉にならないものがあると解したのでは足りない気がします。言葉にならないと同時に言葉にしたのではかえって理解を損なうからです。

無心の美が偉大であるのは自然の自由に活きるからである。この自由に在る時、作は自ら創造の美に入る、近代の作に創意を欠くのは、自然への帰依が薄いからと云えないであろうか。すべての意図は概念的作為に落ちる。

「すべての意図は概念的作為に落ちる」。意図、概念というのはあるがままの自然を抽象化したものです。それはある種の規則によってデジタル化したものだといってよいでしょう。
言語化、抽象化、デジタル化は、あるものの細部を捨象することで別のあるものを浮かび上がらせる操作です。それゆえ、知るということは、別の何かを知らずに終わるという意味で両刃の剣です。

先の梅若実さんの「人にはどうしても伝えられない」もきっとそのような意味で解す必要があるでしょうし、『花伝書』に関するエピソードも同じようにとらえたほうがよいのではないかと思うのです。

技術や手法だけでなく

文字であろうと口頭でであろうと、言葉によってのみ教えるというのは、このような意味で、その時点で何かを喪失してしまっているものです。それは言葉でなく絵や動画を使ったところで、情報量が多くなっただけで根本的には変わりません。

体験によって学ぶことが大事だと思い、いろんなワークショップに協力させてもらってもいますが、そこで教える・体験してもらうことが単なる技術や手法であるのなら事情はあまり変わらないでしょう。

一太郎 職人にとって、芸や技の精進は、ほんとうは狭い範囲での単なる技の問題ではないのです。今日ではたいへん古風に聞こえるかもしれませんが、関連する分野の勉強はもとより、行儀や作法から心構え、人間形成、人格にまでおよぶことなのです。また職人の分を心得るということも必要です。

とにかく、人の心がわからないようでは人を束ねてはいけません。棟梁というのは、大工だけではなしに、ありとあらゆる職人を束ねていかねばならないのだから、ありとあらゆる人の苦しみをよく知っていなくてはならない、ということでしょうな。おじいさんやおやじに大工としての技術や心を教わって、母親から人間関係や人の見方を教わったんです。

おそらく、こういうことを含めた学びが必要だという気がします。そして、こういうことを教えられる環境が。

職人を束ねた二人の言葉から感じるのは、ものをつくるために必要な「智慧」というのはきっと、人との輪をつくること、人との関係を築き、社会をつくること、そして、自分たちの子孫も含めた将来をつくることにもつながる「智慧」だったのだろうということです。きっとかつてはものをつくるというのは、単なる道具をつくることである以上に、社会をつくること、将来をつくること、そして自然とともにあることだったはずですから。
そこでの「智慧」とは自分がどう在り、どう行動し、どう生きるかについての覚悟と行動のエンジンとなるものだったのではないかと思うのです。その智慧が言いがたいところのものだとしても決して不思議ではないでしょう。

  

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