システムのハードウェア要素とソフトウェア要素(およびそれらの間のインタラクション)を同時にデザインすることが大切だ。そして、そのときにゴールダイレクテッド、人間工学の観点と美的観点を忘れてはならない。アラン・クーパー『About Face 3 インタラクションデザインの極意』
当たり前のことのように思えますが、実際の現場ではそうなっていないのが現実です。プロダクトデザインと情報デザイン(あるいはUIデザイン)が、企業組織の部門としても、教育の現場でも分かれていることがよくありますが、僕自身、以前からそれは甚だおかしなことだと感じていました。スキルとして、ハードウェアのデザインを得意とする人、ソフトウェアのデザインを得意とする人がいるのはかまわないのですが、実際にデザインをする作業においては、両者が時間と空間を共有した場において協働でグループワークをする必要があると思うのです。例えば、クーパーも「ハンドヘルドデバイスこそ、インタラクションデザイナ、工業デザイナ、プログラマ、メカニカルエンジニアの密接な協力が必要とされる」としています。
利用環境の相違
クーパーは組み込みシステムのデザインでもっとも重要な原則は、それをデザインする人が「自分がデザインしているものはコンピュータではないと自覚すること」だといっています。製品に対するユーザーの期待は、PCと組み込みソフトを搭載した製品では異なるし、また利用環境も異なります。操作する環境が比較的、作業に集中できる場所であるPCとは異なり、組み込みソフトウェアが利用される環境は、操作に集中できない場所であることが多いからです。携帯電話なら外出時に電車のなか、歩行中に使われることが多いでしょうし、キオスク端末なら公衆の面前で、しかも後ろに次の利用者が並んでる場合もある。カーナビなら運転しながら利用するので、ディスプレイに表示された指示に注意深く目をやったり深い階層構造のメニューを辿ったりする余裕はありません。
それでいて、そうした環境でも製品を使おうとしているユーザーには、家でネットサーフィンをしている場合のような余裕はありません。すぐに必要な機能を呼び出せなかったり情報を見つけられなければイライラとストレスをためるか、あきらめてしまうかのいずれかでしょう。
PC上で動くソフトウェアではまかりとおるデザインも、より厳しい利用状況のなかで用いられる端末では通用しないケースも多いでしょう。
操作のためのデバイスの相違
また、操作に用いられるデバイスの違いやシステム設計思想の違いもあります。ディスプレイ・マウス・キーボードによるGUIデバイスを標準として、特定のOSの上で基本的に個々のユーザーが自由にアプリケーションをインストールしてマルチタスクで利用できるようにシステム設計されているPCのプラットフォームと異なり、組み込みソフトでは基本的にはあらかじめ利用可能なアプリケーションが決まっていて、それを製品ごと独自のGUIで操作するように設計されています。
もちろん、iPhoneやいまの携帯電話はあとからアプリケーションを導入することもできますが、そうなってくると、問題になるのは、PCのディスプレイ・マウス・キーボードのようにある程度、操作性も成熟し、かつ標準化されているGUIデバイスをもたない、組み込みソフトウェアの操作をどのキーにどう割り当て、それをどのようにディスプレイに表現するか、そして、そうした操作のためのナビゲーションが小さなディスプレイのなかでいかに表示のための領域を侵害しないようにするのかとデザイナーを悩ませるようになります。
ソフトウェアとのインタラクションは透明に
こうした相違を考えると、クーパーがハードウェアとソフトウェアのデザインを統合する必要性を説くのも非常に納得できます。今日もっとも斬新で優れたデジタルデバイス(TiVoやiPodなど)は、そのような全体的な観点からデザインされている。だから、これらの製品ではハードウェアとソフトウェアがシームレスに結合されて、魅力的で効果的なユーザーエクスペリエンスを作り出しているのである。ハードウェアエンジニアリングチームが完成した機械と工業デザインをソフトウェアチームに手渡していくという標準的な開発プロセスに従っていたのでは、このようなことはまず起きない。アラン・クーパー『About Face 3 インタラクションデザインの極意』
ユーザーは特定の製品を使うのに、ハードウェアとソフトウェアを区別して使ったりはしません。それどころか、普段、使い慣れている製品であれば、ソフトウェアの存在など忘れていることさえあります。iPhoneのUIに喚起するような人は玄人だけであって、一般の人はそれを物珍しがることはあってもそのUXを評価して製品を購入しようとはしないはずです。
無数のソフトウェアとインタラクションすることが、純粋に楽しい美的経験になることは決してないだろう(ゲーム、ミュージックシーケンサなどのクリエイティブなツール、Webブラウザのようなコンテンツを送ってきてくれるシステムのような明らかな例外も無数にあるが)。ソフトウェア(特にビジネスソフトウェア)とのインタラクションは、基本的に実際的な活動でしかない。アラン・クーパー『About Face 3 インタラクションデザインの極意』
それゆえに、クーパーは「ソフトウェアとのインタラクションは透明にならなければならない」といっています。これは人間の意識と作業の関係性を考えてみれば、とうぜんのことでしょう。
操作を意識させない
文字を手書きするのに、いちいち漢字の字形を気にしていたらゲシュタルト崩壊してまったく記述は進みません。キーボードを入力するのにもキーの配列を意識しなくてはいけないのならスムーズな入力はできません。ブラインドタッチは文字通りキーボードが透明になっている状態だといえるでしょう。そして、これは単にキーボードのデザインの問題ではなく、キー入力するユーザーの意図が正しくディスプレイ上で表現されてはじめて、操作が透明になるのです。ディスプレイ・マウス・キーボードによるGUIならこれはベーシックなレベルで実現されていることですが、組み込みソフトの場合、このハードウェアとソフトウェアの連携による透明性の実現を1からデザインしなくてはいけないのです。
これをハードウェアとソフトウェアを別々の現場でデザインするという形で実現できるとは、僕には到底思えないんですよねー。
このあたりに気づいて、組織的な変革が行える企業が出てくると、日本のこの分野のデザインももっと面白くなるんじゃないかと思うんですよね。人に対する繊細な心遣いそのものはもともと日本人は得意としてるところだと思うので。
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この記事へのコメント
cubeairblue
具体的なことが記載されており、役立っております。ありがとうございます。
この記事の内容に関してはまったく同感です。プログラマとデザイナーの両方の感覚が現場ではとても大切です。そういった人材を育てるべく日々頑張っています。
またよい本を書いてくださいませ。(^^)
tanahashi
人に使ってもらうものをつくるのに、プログラマーもデザイナーもプロダクトデザイナーもUIデザイナーもないと思っています。
個人が職能をもつのはいいことだと思いますが、実際の設計はいっしょにやっていくしかないのかな、と。