知識受容力

いいから、とやかくいわずに一思いに飲み込んでしまえ。
そう感じてイライラさせられることがあります。ある知識を前に「これは○○向けだから、普通の人がやる
とどうたらこうたら」などと言い訳がましいことをいう人を前にしたときに。

普通の人ってなに? じゃあ、その○○向けの○○の人は普通じゃないの? 自分では受け入れる力がないから他人に押し付けてるの? そんなことするくらいなら単に僕はいらないとはっきり拒否すればいいのに。

知識受容力

知識受容力というものがあると思うんです。

前にも書いたように、知識を受容するというのは、受容する前の状態から自分自身を変化させることです。変わらないならわかったことにならない。だから、知識受容力はある意味変身能力です。

逆に、知識を受容できない人は自分が変わらないようにするために、それは○○向けといって知識を自分とは異なる人に押し付ける。ようは知識を受け入れて自分自身が○○の人とどうようの能力を手にすることを拒否するんですね。自分と知識のあいだに、知識のカテゴリーという壁を作って、新しい知識を受容するのにともなう痛みを拒むんですね。

でも、なんでそんなめんどくさいことするんでしょうね。いらない知識なら単に無視すればいいのに。いらないわけではなくて、ちょっと気になりつつも、なんとなく自信がなくて受け入れられないのかな?
そんな時、僕は「いいから、とやかくいわずに一思いに飲み込んでしまえ。そしたら、すっきりするから」って思うんです。

知識を受け入れるというのはそれなりに変化の苦しみがあるものです。それに怖気づいていたら、いつまでたっても何も変わりません。だったら気になるものはとりあえず飲み込んでおくほうがよいのではないか、と。



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