そういえば、先週の日曜日に上野の東京国立博物館で開催されている「大琳派展 ~継承と変奏~ 尾形光琳生誕350周年記念」に行ってきたこともまだブログに書いていなかったっけ。

琳派は、尾形光琳(1658~1716)が大成させた絵画・工芸の一派。狩野派のような世襲による継承ではなく、光琳自身が本阿弥光悦(1558~1637)、俵屋宗達(生没年不詳)に私淑したように、光琳の弟である乾山(1663~1743)、琳派の生まれた京ではなく江戸の地で光琳顕彰に力を注いだ酒井抱一(1761~1828)やその弟子の鈴木其一(1796~1858)にしても、光琳を慕ってその画風を継ぐという特殊な形で継承されました。
その継承のされ方は、宗達から光琳へ、光琳から抱一、其一へと受け継がれた風神雷神図や、夏秋草図、槇楓図、『伊勢物語』から題材を得た燕子花図など、同一の画題を受け継ぎ変奏していくという様にも見てとれます。
感想
本展では、その琳派を代表する本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山、酒井抱一、鈴木其一の6人を中心に、絵画、書跡、工芸などの分野にまたがる琳派の作品を紹介しています。以前から、光琳の絵は好きでしたが、宗達はちょっとと思っていたのですが、今回あらためて見てみて宗達もなかなかいいなと感じたのは収穫。でも、光悦のセンスは何度見てもなじめないし、抱一も光琳熱が強すぎたのか、光琳百図などの編纂もあって、作品までもカタログ的なつなぎ合わせに見えてしまって悲惨な感じさえしました。
いちばん良かったのは、其一ですね。その頃はタイモン・スクリーチの『定信お見通し―寛政視覚改革の治世学』でも描かれているように、当時はすでに立体的な陰影をまとった西洋画の影響がすこしずつ江戸の絵画にも見られるようになっていた時期。其一の画面にもそれがあらわれていて琳派の他の人が描いた絵と比べると異彩をはなっていました。
田中優子さんが『江戸百夢―近世図像学の楽しみ』で、
琳派はコンテンポラリー・アートだ。時代とまっすぐ向き合う。
たとえば、鈴木其一。『夏秋渓流花木図屏風』を見ていると、コバルトブルーの水が、こちらの身体の中にぐんぐんと流れ込んでくるかのような錯覚を起こす。身体をどこにおいても水は容赦なく入り込む。しかしこれはほんとうに水なのか。あまりに生々しい色だ。
と書いているのは納得。

其一にかぎらず、琳派の画に描かれる水は、それが渓流を描くものであっても、ことごとく水野流れを感じさせないのですが、代わりに、やたらと肉感的だったりします。
それが其一の場合、特に強くて、その青もより濃い。『定信お見通し―寛政視覚改革の治世学』でタイモン・スクリーチは藍や藍銅鉱よりもさらに深い青であるベルリン・ブルーが日本で割と容易に入手できるようになったのは19世紀もかなり経ってからと書いていますが、時期的なことを考えれば、他の琳派より濃い其一の水の青は、その新しい顔料のブルーを使ったのではないかと想像させます。その青すぎる渓流の流れは、もはや水というよりも身体のなかを流れる液体のような粘性をもった感じがします。しかも、それは生身の赤い血液ではなくより人工的な体液を感じさせる。なんとなくSF的な感触がある。其一の『四季花木図屏風』なんて、まさにそうで、水以外でも、春夏秋冬の草花が一気に咲き誇っているせいもあって、まさにSFで、それが奇妙に現実的かつ幻想的なんですね。
今回はまだ展示されていなかった『夏秋渓流花木図屏風』は11月5日以降展示替えで見られるようになるので、また見に行こうかどうかと迷っています。

ところで、本展覧会にあわせて、「Casa BRUTUS 2008年11月号」でも「琳派と民藝」という特集が組まれていました。5分で分かる「琳派」Q&Aという記事もあったので、琳派についてよく知らないという方はこれを見てからいってもよいかもしれませんね。
「失敗を恐れ、労を嫌って、何を得ようというの?」や「用の美:人と喜びを分かつことのたのしさ」でも紹介している柳宗悦さんがおこした民藝のこともいっしょにわかるので僕的にはおすすめ。
関連エントリー
この記事へのコメント