されば地と隔たる器はなく、人を離るる器はない

人間が使う道具をデザインするのに、それを使う人間のことを考えようとせず、いきなり完成形の形ばかりを気にする人がいます。ユーザー調査をすればそれで満足するのか、ろくに自分の頭で分析しようともしないで、ただひたすら答えを求めたり。
先日の土曜日に行った「ユーザー中心のWebサイト設計・ワークショップ2日目」の参加者がはからずとも言っていましたが、大事なことはユーザーの視点でデザインを考えていく過程です。その意味で昨日のワークショップに参加してくださった皆さんは、それぞれがあの場でユーザーの視点から考えるデザインの方法を学びとろうという意欲が感じられ、僕の方がいろんな勉強をさせてもらったくらいです。

一方で、そういう熱い気持ちを感じさせてくれる人はまれで、なんとなく仕事だからやっているっていう感じの人が少なくありません。
そういう方には、この柳宗悦さんの言葉を読んでみていただきたい。

私たちは労働を短縮することによって、幸福を保証しようとすべきではなく、労働に意義を感ずるように事情を転ぜねばならぬ。何故なら労働なき所に、工藝の美はないからである。人間の生活はないからである。
柳宗悦『工藝の道』

答えばかり求めて考えることに労力を割こうとせず、具体的な分析のための作業にも熱をこめない。自分ことばかり、ほかの人間のことを考えられない。そうした熱のこもらぬ仕事に、デザインの美も、人間の生活もないのでしょう。
人間のことを考えながら道具はどうあるべきかを発想していかないのならデザインなんかする必要がないのではありませんか?

しかも、そうした人たちに限って、人間のことを考えないばかりか、ユーザーインターフェイスといいつつ、ユーザーとのインターフェイスでつながるシステムの側のことも考えなかったりもします。

こうなると、いったい何をデザインしようとしているのかわからないくなります。人間のことも、システムのことも考えることもなく、知ろうともせず、どうしてユーザーインターフェイスのデザインができるのかが不思議に思うことが多い。個別のボタンやUIの振る舞いをどうこういっても仕方がないのです。それらはすべてあらゆる外側のものと相互作用的につながっているのですから。

因果関係を読み解く

ユーザー中心のデザインを考える上で大事なことのひとつに「因果関係を読み解く」ということがあります。

  • なぜユーザーはそれを選ぶのか。
  • どうしてその順番で操作するのか。
  • その場所、その時間に利用するのはどういう理由か。
  • 目の前のボタンに気づかず操作できないのは何の影響によるものか。

など。

人は環境にアフォードされながら生きています。
人が行う行動、人が認識する事柄、人の頭に思い浮かぶ思考の流れを、外の環境と切り放しては考えないのがユーザー中心のデザインを行う前提です。

ふだん、箸で食事をとることに慣れている人は、フォークとナイフでは食べにかったりもします。でも、それはフォークやナイフのデザインが悪いからではない。単に箸で食事をすることに慣れた人に合わせたデザインになっていないというだけのことです。
何が使いやすく何が使いにくいということは個別の道具のデザインだけで決まるわけではないということです。ほかの類似の道具との関係性もあれば、まったく無関係のものの影響を受けることもある。とうぜん、利用する人が人生のなかで経験してきた個々の歴史にも影響を受けます。

そうした様々な事柄が相互作用的に、人びとをつねにアフォードしているのです。人はみずからを取り巻く環境の因果関係のなかで行動決定のための判断をほとんど無意志的のうちに行っているのです。

用途を離れては、器の生命は失せる

だからこそ、人と外部の環境(それは決して目の前にある環境だけでなく、その人に影響を与える経験的な歴史や文化を含めて)を丸ごと把握し、分析しながらデザインを考えていくことが必要なのです。それはユーザー中心のデザインに限らず、デザイン・企画設計をする際の基本です。

その基本をおろそかにして人間のことを考えない、人間が行う行動の相互作用・因果関係を読み解くことを丁寧にしようとしない人が多い。いや、実際にはそうした相互作用や因果関係を読み解く技術がなくて考えられない人がほとんどです。
ワークモデル分析などをやってみると、それが顕著にわかります。5W1Hで人間の行動を整理しながら、どの行動と行動が、どの人とどの人が、どのものとものとが影響し合って存在し、いくつもの流れを生み出しているかということをイメージもできなければ、描きだすこともできません。

それでは、人が扱う道具のデザインなどできるはずもありません。
そして、道具のデザインができないということは、あらゆるデザイン、企画設計ができないのとおなじです。なぜなら、人がつくるものは何かしらの形で人の役に立つべくつくられるものであるはずですから。

されば地と隔たる器はなく、人を離るる器はない。それも吾々に役立とうとてこの世に生まれた品々である。それ故用途を離れては、器の生命は失せる。また用に堪え得ずば、その意味はないであろう。そこには忠順な現世への奉仕がある。奉仕の心なき器は、器と呼ばるべきではない。
柳宗悦『工藝の道』

「地と隔たる器はなく、人を離るる器はない」。用途を離れて、生命が失せるのは器だけではないでしょう。あらゆるデザインされたものが、人を離れ用途を離れては、その生命を保つことはできないはずです。

そんな魂のないもののデザインをしていないでしょうか?

 

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