お利口な茶器とお馬鹿な茶器

鈴木盛人さんという方のブログ「鳥獣遊画」には結構「うんうん。そうそう」と頷きたくなる記事が多くていつも楽しませてもらっています。

最初に知ったきっかけは確か「自分の暮らしに興味がないんだから、人の暮らしの提案なんか、そりゃできないよなという話」というエントリーを書いた時に、紹介&コメントする記事を書かれていたからだったと思います。
それから、書いていることに共感できる記事が多くて時々読んでます。
最近ですと、これなんかもまったくそのとおりだなって思いました。


そして、日本のデザイナーたちが「優れたデザイン」として取り上げるのが、上の写真のような椅子ばかりなのがとても気になります。「遊び心」とか「新しい概念」とか言いますが、奇抜なものばかりが取り上げられる割りに、生活の臭いが全くしない。

確かに生活の臭いはしませんね。大地に足がついてない感じは江戸時代の武士の子孫だからでしょうか?

生活や生物として生きることと、あまりにかけ離れすぎてしまったデザインというのは、方法としての人間中心設計なんて話とはまったく別の次元で気になるところです。1つ前のエントリー「毎日の生活に密着した夢の実現」で書いたこととも関係して、現代に生きる僕らはいったい何のためにデザインやものづくりをしているのか?というところで。

突然ですが、うちの急須のご紹介

鳥獣遊画」の先の記事では続けて「こういうものを取り上げているデザイナーは自身の生活を見せない」と書かれているので、僕の生活のなかの一品を紹介してみましょう。

このくらいの写真なら許してもらえるでしょうか?



うちで使ってる急須です。

鎌倉にある「陶器処加満久良」で今年のはじめに買った稲葉石水さんの作品で、半地上式穴窯で約一週間の焼成を行ったもの。
自然釉の肌合いが気に入って購入したのですが、使っているうちにだんだんとお茶を吸って、色が渋くなってきました。使い続けてどんな色に変わるか楽しみで、無駄にお茶を飲んでしまいます。
記憶では1万5000円くらいで買ったはずで、決して安くはありませんが、何年も変化していく様子を楽しめて、しかも店主曰く、だんだんと味が染みてお茶の味がよくなるそうなので、結果安い買い物なのかもしれません。

見た目だけじゃなく、作りもすごいんです

もうひとつ、この急須がすごいのはここ。



どうです? このバランス感覚。まあ、こうやって立つかどうかは正直機能的にはどうでもいいのですけど、このバランス感覚を生みだすつくりの正確さは、お茶を注ぐときにふたが微動だにしないくらい、ふたと本体がぴったり合うよう作られているところにもあらわれているんですよね。

機能的にも、見た目にも手触り的にも温もりを感じて、ついつい使いたくなるこういう物を紹介する人がいてもいいかもしれませんね。

これは僕の単なる趣味・好みなんですけど、陶器に限らず、やっぱりモノの素材にこだわり、それが使っていくうちに風合いが変化することを考慮に入れたデザインって惹かれますね。ついつい触ってみたくなる。使い倒したくなる。

おなじ茶器でも

それから先のブログに話を戻すと、これもなかなかおもしろかった。


この記事を書いた人は、コーヒーや紅茶を飲む時に、カップにスプーンを入れたまま飲むんですね( ̄ロ ̄lll) その行為を疑問にさえ思ってないみたい。デザインを評価するのに「常識」は必要です(汗)

まぁ、元記事もネタといえばネタなんでしょうけど、その前にこういうデザインが存在するというところが「お馬鹿」ですね。
同じお茶に関するものでも、さっきの急須とは大違いですね。

何を言いたいかって?
2つあります。

  1. やっぱ紅茶より日本茶でしょ。が1つ。
  2. こんな痛快な「鳥獣遊画」さんにはこれからも注目していきたいです。が2つめ。

と、まあ、今日のところはこんな感じで。

  

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