格差社会とは、自分の生まれ育った環境に拘束され、他の暮らしを想像できないようになる社会だ。田中優子『カムイ伝講義』
まさにそうなんです。僕がこのブログで口酸っぱく自分の外のオルタナティブを見ないといけない、歴史に学ばないといけないと書いているのも「自分の生まれ育った環境に拘束されずに「他の暮らしを想像でき」るようになるためです。

農民と武士
田中優子さんの書く本を読むと、まさに自分の生まれ育った環境の外にある他の暮らしを想像できるようになってきます。たとえば、外にある他の暮らしといえば、僕らはきっと江戸時代の農民と武士を誤解しています。
農民はいいが、気の毒なのは武士である。自分が何のために生きているのか、わからなくなる。ただでさえ貧しいのに、出世に失敗するとさらに貧しくなる。『カムイ伝』は、農民や穢多が苦しくて武士は楽しい、という描き方をしない。階級内格差をしっかり見つめているのだ。江戸時代で階級内格差がもっとも甚だしかったのは武士階級だった。(中略)内部格差に比べれば、士農工商などお題目でしかない。田中優子『カムイ伝講義』
まず、格差問題というのが別に現代に特有のものではないということ。むしろ、いまの格差社会は近代が標榜した平等やユニバーサルデザインの魔力がとけて、本来の格差が見えるようにだけのことでしょう。そして、江戸期においては、その格差は80%の人口をしめた農民層以上に、ほんの一握りの武士層に見られたというのは、僕は上の引用を読むまで知りませんでした。
生き物として生きることを他人に任せてしまった人間たち
田中優子さんは、この『カムイ伝講義』のなかで「『カムイ伝』における武士は、常にアイデンティティーの危機にさらされている。武士とは、生き物として生きることを他人に任せてしまった人間たちである。現代の日本人ともっともよく似ているのが、彼らであろう」とも書いています。「知行所(土地)を一切持たず、給与だけもらう武士も大量に出現する。(中略)江戸時代の武士は明らかに官僚、あるいはサラリーマンなのだ」とも書かれています。この語り口によって、これまで無関係と思われていた江戸期の武士は、現代に生きる僕らが「生き物として生きることを他人に任せてしまった人間たち」という点でつながってきます。
これがあるから田中優子さんの本を読むのはやめられません。それにこの本を読んでいると、白土三平さんの『カムイ伝』が読みたくなってくる。これも田中優子さんの本の魅力。
最近だと、田中優子さんの影響で買ってしまったのは、『広重 名所江戸百景/秘蔵 岩崎コレクション』。
『江戸を歩く』や『江戸百夢―近世図像学の楽しみ』で紹介される広重の『名所江戸百景』があまりに魅力的だったので、決して安くないのに、つい買ってしまいました。
それこそ「信頼した人の推挙に従う」です。

この上の写真の右ページの絵(「四ツ谷内藤新宿」)とかどうですか。馬の後ろ姿の見切れた構図ってありえなくないですか。しかも、そこに動きがあるのがすごい。
こういうのを見せられちゃうと、買わずにはいられないのです。だって、まさにこれは自分の生まれ育った環境にはない視点ですから。
『カムイ伝』もそのうち買ってしまうのでしょう。
その前にまずは読みはじめたばかりの『カムイ伝講義』を読了することにします。
さて、明日も仕事です。
関連エントリー
この記事へのコメント