引き際の見極めができるようになるための3つのポイント
とはいえ、まずは「粘り強さ、継続性」がない人は「引き際の良さ、見極め」もできないんだと思うんですよね。つまり、タイミングが読めないんです。どこで引くか/引かずに続けるかというタイミングというものが見えない。なので、イヤになっちゃってやめるか、いつまでもグズグズ引き延ばすか、いずれかになってしまうのでしょう。しかも、その時点で辞めやすければ辞めるし、辞めにくければ辞めないというだけ。いずれにしても、あんまり自分の意志じゃないんですね。引き際も継続性もあったもんじゃない。潔くあきらめるのと続かなくなるのでは違いますし、がんばって続けようというのとやめられないのも違います。
引き際の見極めって実は、続けるか、辞めるかという判断ではないんですね。それはむしろ継続性の先にある。意志を継続しつつ、やり方を変えることです。何かを拾うために何かを捨てるには、意志そのものは変化の前になければ変化そのものが起こせません。ある地点から未来のための行動戦略を考えたときに適切な決断が論理的に下せ、その決断どおりに未来の行動を即座に組み立てなおせるかというのが「引き際の見極め」の問題です。
この「引き際は継続性の反対概念ではなく、その続き」だというのが1点目。
もうひとつ、「引き際の良さ」といいますが、実はそれって辞めるタイミングを計るのではなくて、次のことをはじめるタイミングを計ることだと思うんです。ずっと心のなかで待ち望んでいたタイミングがやってきたのを見極め、それに飛び乗れるかどうか。これって継続することよりよっぽどむずかしいんじゃないかなという気がします。辞めるというよりも、自分が変わるタイミングを計れるかどうかです。
この「辞めるのではなく、変わる」というのが2点目。
3つ目は、そもそも引き際の「キワ」、見極めの「キワ」は、すでに何度か書いてきたようにエッジだということ。界を分ける縁です。この「キワ」に関しては、日本の意匠に対称的な2つのデザインの方法があります。
1つはカギリという方法。これは俵屋宗達が得意とした扇絵やまたそれを画面に散らした扇面屏風、あるいは絵馬のように見通しを限ることで、場面を重視する手法です。歌舞伎において見栄を切るのもそこで場面を限るもので、カギリの手法の1つです。
もう1つは逆にツラネ(連ね)、ツクシ(尽くし)、ソロエ(揃え)のように、一画面のなかにあらゆるものを押し込めて描き分ける方法があります。「江戸百夢―近世図像学の楽しみ/田中優子」で紹介した百なんとか図などの「百」の世界の絵の系統がそれです。とうぜん、和歌や俳諧を連ねていく連歌会や俳諧連歌の方法もまさにツラネです。このあたりは松岡正剛さんの『日本数寄』にも詳しいので興味のある方は読んでみてください。
さて、こうしたカギリやツクシの技法を「キワ」の表現に用いたのは、日本には近世まで分類学という概念がなかったからです。種・類・属などで階層構造的な分類を行うリンネの分類学が伝わるのはもっとあとです。つまり、日本語における引き際や見極めには、単に「分かる=分ける」というのとは違った方法論が必要になるのです。それがカギリでありツクシです。というわけで、3点目のポイントは「見分けるのではなく、見極める」です。
引き際の見極めができるようになるための3つの処方箋
というわけで、じゃあ、どうすれば際の見極めができるという処方箋についても考えてみます。- 1.引き際は継続性の反対概念ではなく、その続き
- 意志を継続しつつ、やり方を変える。引き際の問題って決して完全にゼロに戻すことではないんですよね。そりゃそうだよね。いくら1から出直すって言ったって人生やり直しはきかないんだから、それまでの人生を背負った形でやり方を変えていくしかないんですよね。その意味では引き際というのも継続性の延長として考えた方がいいと思うんです。
- 1-1.プロトタイプ志向をもつ:
なにかをはじめる際に最初から成功しか視野に入れていないのがそもそも間違いです。なにかをはじめるなら、何度かの失敗の上に成功があるという風に最初から計画をしておく必要がある。ようはプロトタイプ志向、試行錯誤をあらかじめプランニングしておくことです。それができれば小さな引き際自体はわりと簡単に見極められます。プランAからプランBへの切り替えをすればいいだけです。目的を達成するために、最初はプランAからはじめてみたけど、どうやらやっていくうちにプランBのほうがうまくいきそうだなと思ったら、そちらに切り替えられるようにしておくんですね。もちろん、それには最初にある程度のプランをアイデア出ししておく必要があります。 - 1-2.ブレインストーミングができるようになる:
アイデア出しの方法で一番いいのはブレインストーミングをすることです。「自分は粘り強さ、継続性が足りないなと感じる人のための3つの処方箋」の「3-1.まずはテーブルに載せてみなけりゃはじまらない!」で書いたことにもつながりますが、まずはできるだけ多くのアイデアをテーブルに載せて吟味できる状態をつくるんですね。これをやらないではじめちゃうから、すくないプランが破綻をすると継続できない、もうやめたとなる。繰り返しになりますが「もうやめた」は引き際を見極めるのとは違います。それは単なる手づまり、行き詰まりによる放棄ですから。先のツクシの方法ではありませんが、まずはブレインストーミングをやって100個のアイデアを描き尽くしてみることからはじめればいいのです。ブレインストーミングについては「ブレインストーミングの7つの秘訣」を参照ください。
- 1-1.プロトタイプ志向をもつ:
- 2.辞めるのではなく、変わる
- まず前提にあるのは「まわりの状況を変えたいのなら自分を変える」ということです。何かを辞める理由で多いのがいくらやっても何も変わらないからということがあると思いますが、変わってないのはまわりなの? それとも、自分自身? ということはちゃんと考えてみたほうがいいでしょう。
- 2-1.必要な情報は向こうからやってくる状況をつくっておく:
見極めの問題には、見極めるための情報があるかないかという問題はかなり大きいでしょう。判断するための情報が得られなければ、的確な見極めなどできるはずもありませんから。たいてい、辞めようと思ってから急に情報を探しはじめたりしますが、それだとまともな情報なんて得られないんですよね。辞めるための情報収集になってしまうので視野が狭くなる。キーワード検索でキーワードが思いついたこと以外は検索できないのとおなじで、辞めるが前提だと情報収集のフィルターがかかってしまいます。
そうではなく、そもそも辞めようかどうかを悩みはじめるよりも前に、すでに情報は入ってきている状態をつくっておくことが必要だと思うんです。「デザインに関する箇条書きのメモ その2」でもメモ書きしておきましたけど、「情報は集めてナンボではなく、誰かに渡してナンボ」ということが大事で、普段から自分で周囲に対して情報発信しておくことが必要です。情報発信をし続けるなかでの自分の変化をまわりに知ってもらえるようにする。それではじめて周囲が変わる可能性が生まれ、そこに自分自身の活路も見えてくるんですね。自分のことなんだから、やっぱり自分起点にしないとダメです。 - 2-2.とにかく編集して使い倒す(使わないのなら集めずに捨てる):
これも「デザインに関する箇条書きのメモ その2」でメモ書きしておいたこと。情報を見極める目を養うには、情報を扱える力を養わないといけないと思うんです。情報を扱うというのは、上に書いた誰かに渡せるようにするということもそうですし、自分の考えをまとめるために編集をするということでもあるんです。結局、自分がもっている情報を編集し直すというのは、自分自身を変えることにもつながるんです。元のバラバラの情報群から編集という活動を通じて新しい文脈を生みだすこと。その新しい文脈自体が自分自身の一部になる。自分を変えるというのは、そんな風に自分のなかに新しいプログラム=文脈を生成することでもあります。編集の具体的な方法は、「自分は粘り強さ、継続性が足りないなと感じる人のための3つの処方箋」の「1-1.ポストイットを活用した整理術を身につける」や「1-3.アクティングアウト、ウォークスルーをする」を使えばよいと思います。
- 2-1.必要な情報は向こうからやってくる状況をつくっておく:
- 3.見分けるのではなく、見極める
- 上にも書いたように、かつて日本では分類によって情報を整理するのではなく、場面重視型のカギリの方法や、とにかく列挙し違いを描き分けるツクシの方法が用いられていました。ここでも安易なカテゴリー分類、それとともにある二項対立(あれかこれかの選択)ではなく、分けつつもどちらかを排他的に選択せずに選択そのものを無効化する方法についても考えたいと思います。
- 3-1.道具を揃え、使い分ける:
これは吉橋先生にいわれて、あらためて「そうだな」と思ったこと。僕はよく手書きで描いて作業することを勧めていますが、特にその道具については書いてきませんでした。でも、昨日「横浜ワークショップ2008」のフォローアップ講習に行ってみると、みんな、ボールペンとかシャープペンとかでアイデアスケッチをしてるんです。『ペルソナ作って、それからどうするの?』とペーパープロトタイプの説明のところでも書いてますが、ボールペンやシャープペンだと近くに寄らないと書いたことが見えないんですね。それじゃあ、ほかの人が見てもらって感想をもらうこともできないし、自分でもちょっと離れたところから見るということもできません。アイデアスケッチをするなら遠くから見ても書いたことが見えるサインペンを使わないと。それに黒以外にも何色かのペンをもっておくことが大事。道具がアイデアを磨いてくれるってことは往々にしてあります。いろんな大きさのポストイットを使いこなしたり、紙をそのまま使うのではなく、切り貼りするというのもそうですね。そうした物理的な作業からカギリもツクシも生まれるんです。 - 3-2.視覚的イメージで考える:
見極めるということが問題であれば、それは見ることの問題です。であれば、言葉だけの情報を頼りするという方法にそもそも間違いがある。尽くしの方法でも100の絵で描き分けたりしますが、物事の見極めにはちゃんと視覚的イメージを使って考えることも必要です。単にカテゴライズされた名称、属性情報だけで判断してしまうのがおかしい。あまりに身近なキーワードで考えてそれで満足してしまう人が多すぎます。ちゃんと時部自身でフィールドに出かけて観察したり、体験したりする情報をもとに考えることも大事ですし、集めた情報を整理する場合も言葉に抽象化できない視覚や聴覚、その他体感的な情報も含めて吟味するクセをつけたほうがいいと思います。言葉の情報はすでに抽象化されて現実そのものを含んでいないことが往々にしてありますから、より現実のにおいを残した経験的な記憶から情報をそのものを抽出する情報化の作業によって、見極めを行うことが大切だと思います。
- 3-1.道具を揃え、使い分ける:
ここまで読んで、これって単に情報デザインの方法じゃんと、ちゃんと見抜いた人は鋭いなって思います。そう。僕は継続性の問題も、引き際の問題もある程度、情報デザインの方法、情報を扱う方法でかなりうまく対処できると思っています。もともと情報デザインそのものが認知科学などをベースにしているわけですから、人の思考や行動を扱うのには役立つことが多いのです。
よくこういうエントリーを書くと「精神論」という人がいますが、書いている本人は「情報論」「情報デザイン論」だと思ってるわけです。精神の問題だなんて思ってなくて、もうすこしドライに情報をどう扱えばよいか、どうデザインすればよいのかという問題と捉えています。
情報のデザインを単にUIのデザインの問題だと思ってしまうことのほうが間違っているんですね。情報の問題とは人間そのものの問題なんですから、そのデザインももっと人間の思考や行動、人生に関わるものなんだと考えた方がいいのでは?と思うんですよね。
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