組み立てる。その前に、空中に空いた穴の輪郭を見いだす

まったくどうして世の中、こうも仕組みを組み立てるという発想・考え方に欠けているのでしょう。

組織で事業を行い、利益をあげるというのは1にも2にも仕組みだと思うのです。どんなに優秀な人材を集めても仕組みがなくては利益があがりません。昔からマーケティングは売れる仕組みをつくることだといわれます。

でも、現実には、その仕組みを作れないことが非常に多い。仕組みを組み立てるというデザイン思考が身についていない人が多すぎるんだと思います。

売れる仕組み、利益をあげる仕組み

例えば、Aを買った人はBが欲しくなり、Bを買えばCが欲しくなるというような仕組みを考えたとしましょう。さらにCの利益率を高く、かつCが最も量が売れるようにすることで、Cを柱とした利益をあげる仕組みを組み立てなくてはならないとします。

そのためにはまずCの利益率をあげるために、例えばCは低いコストで量産できる体制を整える必要があるのかもしれません。ここでAやBの利益率も一律で低く高くなるよう努力する必要はかならずしもありません(ふじいさんのご指摘で変更)。利益率の高く、かつ量産可能なCを大量に売ることができるのなら、Cを売るための起点となるAや、CにつなげるためのBは、多少利益率が悪くてもいいのかもしれない。ただ、そもそもAを売らなくては利益率の高いCが売れないのだから、Aは何としてでも買ってもらえるようにする必要がある。優秀な人材はここに投与すべきなのかもしれない。また、Bを買った人は複数のCを欲しくなるような仕組みも組み立てる必要があるでしょう。

顧客の流れを想定した事業全体の組み立て

もし、この会社がA、B、Cの商品を各事業部が別途に開発・マネジメントし、それぞれが自分たちの利益の追求のためにバラバラの戦略を立てたら、先のような仕組みは成り立たなくなります。
ひとりの顧客がAを買い、Bが欲しくなってそれも買い、そのことでCがいくつも欲しくなるような可能性があったとしても、各事業部がバラバラの戦略で、例えば、AとCの購入ターゲットを別々に設定してしまったりすれば、本来利益があがる構造を組み立てられるはずが、まったく正反対の結果ですべての事業がうまくいかないケースにだってなりえます。

そういう風に顧客の流れを想定した事業全体の組み立てができないケースが非常に多いんだと思います。
事業全体の仕組みを成り立たせるものとして、商品の位置づけ、価格設定、販売戦略を組み耐えるということができない。その組み立てがないから人材をどこにどう配置し、どういう組織体制にするのかも決まらない。とうぜん適材適所などという言葉とも無縁で、人員は場当たり的にしか配置されません。

売れる仕組みという情報アーキテクチャー

こういう発想で物事の組み立てを行うのって、建築の内部で人をどのように誘導し、導線上の各スペースではどのように過ごしてもらうかを設計するのとも、ウェブサイトの設計でユーザーが目的を達成されるような導線をデザインするのと変わらないんですね。

物的な人工物を作りだす知的活動は、基本的には、病人のために薬剤を処方する活動や、会社のために新規の販売計画を立案し、あるいは国家のために社会の福祉政策を立案する活動と、なんら異なるところはない。

つまるところ、情報アーキテクチャーなんです、仕組みというのは。

仕組みを組み立てるというのは、人びとが動く道筋、あるいは情報が流れて処理されていく仕組みを考えることにほかなりません。その導線の計画に応じて必要な仕切りを設けたり、開口部やリンクを配置する。
デザイン:内/外の境を見てとり絶妙な間を生み出す行為」というエントリーでも書いたことですが、僕はデザインとは内と外、こちら側とあちら側などに境を見出して、そのエッジを輪郭とする線を描き出す行為だといえると思っています。
輪郭を描くことで、人や情報の動きを生じさせ、それによって目指す世界を実現する。企業のような組織であれば利益をあがる状態というのがその目指す世界のひとつかもしれません。

だからこそ、事業が利益をあげる仕組みとしての組織デザイン、マーケティングの売れる仕組みのデザインもまったく建築やウェブサイトという情報アーキテクチャーと同じような組み立てが必要なはずなんです。

空中に空いた穴の輪郭を見いだす

それには、現在の環境を意図的にいろんな視点を切り替えながら、いろんな角度から物事を見て、その様々な視点からみて得た情報を整理・編集しながら、どうすれば利益が上がる構造をつくれるか、どうしたら買ってもらえる仕組みが組み立てられるかということを考える発想と、頭の使い方が必要になってきます。

でも、それができないことがほとんどなんですね。
しかも、やるべき人がそれをやろうとせずに、それが仕事じゃない人に押し付けることもある。そうなると、もう時間の無駄。だって、本来、その仕事をする役目じゃない人には、しかるべきデザインはできませんから。

こういった事業の組み立て、売れる仕組みのデザインとかいう話以外でも、物事の動きを空間的・時間的に捉えて、そこに関わる様々な要素を論理的な整合性をもって組み立てていくという訓練が、世の中全体的にみて、だいぶ欠けているんだなと感じています。

『デザインの輪郭』で深澤直人さんが

デザインの輪郭とは、まさにものの具体的な輪郭のことである。それは同時に、その周りの空気の輪郭でもあり、そのもののかたちに抜き取られた、空中に空いた穴の輪郭でもある。その輪郭を見出すことがデザインである。

と書いているように、様々な物事の動きをいろんな視点で観察してみることで、そこに存在する「空中に空いた穴の輪郭」としての境を見つけることから、仕事というものははじまるのだと思います。

深澤さんは「周りの空気とは環境のことで、それは人やものによって成り立っている。デザインの輪郭を見いだすということは、ものの輪郭をみるというよりはむしろ、環境の穴の輪郭を見いだすといった方がいいかもしれない」とも言っていますが、まさに「人やものによって成り立っている」環境のなかに、まだ見ぬ仕組みが入る穴の輪郭を見出すことが必要なんだと思います。

出来上がったモノの輪郭ではなく、モノができあがる前の穴の輪郭を見る

デザインする人が見るのは、出来上がったモノの輪郭ではなく、モノができあがる前の穴の輪郭です。

デザインする側にとって、デザインとは出来上がったものを相手にする行為ではなく、まさにデザインするという行為によってはじめて目に見え、手で触れられるものを生みだすというものであるはずですから。

それは、すでにデザインを目に見えるモノとして提示される利用者側にとっての「デザイン」とは異なります。利用者側にとってはデザインとは目に見えるモノの形・スタイリングのことかもしれません。
しかし、一方でデザインそのものをデザインするという行為によって生みだす役目のデザイナーにとっては、デザインとはまだモノの存在していない空の環境のなかで輪郭=境目を見出す行為にほかなりません。

組織において事業の収益があがる仕組みや、マーケティングという売れる仕組みを考える場合にもおなじことがいえるはずです。
いま存在しない利益や売れる仕組みを求めるなら、見えているコストや売上の上がらない現状を見るのではなく、目にははっきりとは見えない動きを様々な角度からみて発見し、その流れを組み立てなおすことで、利益や売上があがる仕組みをデザインしていかないといけないはずです。

デザインは、すべての専門教育の核心をなす

先に『システムの科学』からの引用のなかでハーバート・サイモンは続けてこんなことも言っています。

デザインは、すべての専門教育の核心をなすものであり、またそれは専門的知識を科学的知識と区別する主要な標識をなすものである

重要なことですね。専門的知識をすべて科学的知識に還元してしまういまの偏った考え方も、さらにそれが俗化した形の「数字をいじくりまわすと現実が見えてくる」というような発想とは別に、デザインを核心となす専門的知識が存在することをあらためて認識しなくてはならないのだと思います。

こうも言えるでしょう。

デザインは改善とは違うのです、と。
なぜなら、それは創造の方法なのですから。

  

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この記事へのコメント

  • ふじい

    こんにちは。マーケティングは詳しくないのであれですが、目に見えていない部分についての話、気になります。

    関係ないですが

    ここでAやBの利益率も一律で低くなるよう努力する必要はかならずしもありません。

    の部分は、利益率→コストで

    ここでAやBのコストも一律で低くなるよう努力する必要はかならずしもありません。

    という感じな気がします。自分読み違えているかもしれないので、違ってたら気にしないで下さい。

    ちなみに、特に承認しなくてもOKです!
    2008年09月11日 13:21

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