いつでも準備しておくこと

質問ができる人/できない人」に対する反響のなかに「その場ですぐに質問を組み立てることができない」という旨のものがありました。

あのエントリーそのものは「自分が興味をもって聞いた他者の話に適切な問いを立てることができるか/できないか」であって、即時性やスピードは求めていないので主旨からは外れますが、そもそも、その場で質問を組み立てられるかどうかは、スピードの問題じゃないと思うんですよね。

質問を即座に組み立てられるかどうかは能力じゃなくて準備の問題

前に「スピードを上げたいなら速度を上げるんじゃなくてスタートを早めること」というエントリーも書いていますが、その場の対応速度を高めるのではなくて、前もって準備をしておくことのほうがよっぽど即時対応力を高めることができると思うんです。

普段さぼっていて、そういう準備を怠っていたら、そりゃ相手の言葉に対して即座に質問を組み立てられないのは当たり前です。そんなの、どんなに能力がある人だってはじめての話題に即座に質問を組み立てるのがむずかしいのは当然です。はじめての話に質問をしようとしたら、その話と似た自分の経験的な知識から類推して質問を組み立てるしかない。当然、そこにも過去の経験的知識の積み重ねという準備がいるわけです。

もちろん、すべての相手の言葉に質問を投げかける必要はなくて、あくまで「自分が興味をもって聞いた他者の話に適切な問いを立てることができるか/できないか」がポイント。自分が興味を持つようなことなら、普段から予習なり勉強なりしておくのが自然な姿勢だと思いますけど、そういう準備も怠って「僕は○○に興味がある」といっている姿勢が問題ですよね。行動がともなわない興味っていったい何なのでしょうか、と。

準備は意識の問題ではなく、行動の問題

質問ができる人/できない人」で書いた学ぶ姿勢=真似ぶ姿勢は、まったくもって精神論じゃないわけです。むしろ行動論。やったか/やらなかったか。やろうとしたかどうかなんて問題じゃないのです。それは「Fw:本当に考えたの?(それは「考えた」と言わない。)」にも通じるところがあって、考えたかどうかも具体的なアウトプットがあってはじめて「考えた」という行動になる。

もちろん、準備というのも行動です。行動としての準備があるからこそ、次の行動として疑問点を質問するということにつながる。それはまた次の実際に自分で言われたことを試してみるという行動を想定しているから質問になるのだと思います。

そういう行動ベースで考えないと、結局いつまで経っても「やろうと思ってた」「やろうと思うけど」という話にしかならない。「あとで○○」というタグになる。「あとで」じゃなくて「先に」も同時に増やしていく行動を意識的にやっていく姿勢が必要です。
「やろうと思ってた」「やろうと思うけど」といった自意識の話をいくら並べ立ててもどうにもなりません。時にはそうした自意識を捨てて行動に身を委ねることをやっていかないと、それこそ自分の頭のなかのヴァーチュアルな世界から一歩も抜け出せないんじゃないでしょうか?

頭のなかだけで考えるのではなく具体的な行動をいつも行うようにする

そうではなく、自分の自意識から抜け出して、他人とつながる行動をすこしでも起こすと、それまで自分の頭のなかだけで考えていたことが他人の頭や行動も使って考えられるようになります。それがいわゆるコラボレーションのはじまりです。それにはまず自分がまず外に一歩踏み出す行動をしなくてはいけません。それこそが「準備」です。

彼らにとっての「場」は権威や論理によって保証されたものではなく、前提がはっきりしている以上、あとは実際の働きによって保証されるものだからだ。
田中優子『江戸はネットワーク』

「実際の働きによって保証される」場。これは江戸期の創作の場であった「連」というネットワークについて書かれたことですが、「実際の働きによって保証される」というのは、なにも結果がすべてというのではなくて、結果に向かって働き=行動を連ねていくその過程も含めて大事だということです(「連」に関しては「「連」という創造のシステムを夢想する」を参照)。

結局、頭のなかだけで考えるのではなく、具体的な行動をいつも行うように心がけ実行していれば、それは何かしらあとで起こることの準備なるものです。自分が興味をもったものに積極的に接ししたり、あるいは興味があるものがそもそも判然としなかったら他人の推挙にとりあえず乗っかってみて経験をするということも大事な「準備」です。
行動ですからひとりではできません。他人なり、外部のものなり、自分の外のものに働き掛けていくことを行動といいます。「近代以前の文字はどう読まれ/見られていたのか?」で書いたように、僕らはただでさえ無視化の人に比べて想像力を欠く存在です。それをすこしでも補うためには、頭で象徴的・表象的な記号と戯れるばかりではなく、具体的な外部のものの質感を肌で感じなくてはならないのだと思います。

 

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この記事へのコメント

  • tmaeda

    "Chance favors the prepared mind." --- Louis Pasteur
    ですね。
    2008年09月07日 20:56

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